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グジェゴシュ・ニェムチュク

 先日、ノルウェー人の名前は難しいと書いたが、ポーランド人の名前もとても発音が難しい。
 今日、インタビューで会ったポーランドのピアニスト、グジェゴシュ・ニェムチュクは、カタカナで表記されると一応わかりやすく感じるが、一度聞いただけでは、日本人はなかなか覚えられない。
 そこで、愛称で呼ばれているという、「グレッグ」と書くことで了解を得た。
 グレッグは、2019年3月16日に銀座ヤマハホールで、3月23日にヤマハミュージック大阪なんば店でリサイタルを開く予定になっている。
 ブログラムはオール・ショパン。今日はリサイタルについて、生い立ち、ピアノとのかかわり、ショパンの音楽についてなど、さまざまな角度から話を聞いた。このインタビューは、「ヤマハ・ピアニストラウンジ(web)」、「ピアノの本」の両方に書き分けることになっている。
 グレッグはとても話好きなタイプで、ひとつの質問に対する答えがとても長い。一生懸命話してくれるため、途中で切るわけにもいかないが、時間は限られている。そこで、次々に質問の内容を変え、短く答えられるよう工夫を凝らし、さらに「ここはワンコメントでね」などと、さらりとこちらの意図を伝えたりした。
 それでも、内容が非常に興味深く、特にショパンに対する奏法、解釈、作品論に熱がこもった。
 ポーランド人だからショパンのことを聞かれるというのは当然と思われているようで、ことばを尽くして話してくれたが、子どものころはほとんどショパンを練習せず、他の作曲家の作品ばかり弾いていたそうだ。
 そのころの先生から「きっと大人になると生涯ショパンを弾くことになるだろうから、いまは他の作品を勉強する方がいい」といわれたそうだ。
「やっぱりそうなったよ」と笑っていた。
 彼の話でもっとも心惹かれたのは、ポロネーズとマズルカの弾き方と解釈。指で打鍵を示しながら、こまやかな説明をしてくれた。
 記事には、その詳細を綴りたいと思う。
 今日の写真はインタビューに応えるグレッグと、ピアノに向かっている姿、そしてサイト用にサインをしているところ。グレッグのサインは「著名なポーランドのピアニスト、ヤン・エキエルに似ているんだよ」とのことで、それが自慢のようだった。 

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posted by 伊熊よし子 at 23:03 | アーティスト・クローズアップ

ビートルズのエレベーター

 先日、あるレコード会社を訪れたところ、エレベーターの扉がビートルズのアビーロードの写真になっていた。
 ジョンとポールのところがさっと開いて、乗るようになっている。
 さて、どちらに乗ろうか、みんな迷うんだろうな。
 でも、先に来た方に乗るのがふつうだから、迷うこともないか。
 こんなエレベーターに毎日乗れるなんて、この会社はなんて遊び心に満ちているのだろうか。
 私は昔からビートルズファンで、今年の2月には念願かなって仕事でリバプールも訪ねることができたし、自分のなかではビートルズゆかりの土地や物に出合うと、なんだかなつかしさが蘇り、友だちとキャーキャー騒ぎながらビートルズの録音を聴いていたことを思い出す。
 もちろん、来日公演を聴きにいった貴重な体験もいまだ忘れることができない。
 このエレベーターの前で、私はしばし感慨にふけった。また、このレコード会社を訪ねたいな。
 今日の写真は、そのエレベーター。粋な感覚だよねえ。

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posted by 伊熊よし子 at 22:17 | 日々つづれ織り

エフゲニー・キーシン

 キーシンの演奏を聴くと、いつも1986年の初来日のときのことを思い出す。それほどこのときの演奏は衝撃的だった。
 彼はステージ脇で「早く演奏したい、早くステージに出たい」といい続け、周囲の人々がそれを止めるのに苦労していた。
 当時、14歳。演奏はまさに「真の天才」を思わせるものでいずれの作品もひらめきに満ち、躍動感と鮮やかな色彩と物語性に満ちていたが、インタビューの受けごたえはシャイで物静かで思慮深い性格をよく表していた。
 あれから32年。キーシンの来日公演をずっと聴き続け、ルツェルン音楽祭では現地でも演奏を聴いた。
 そのキーシンが11月6日、サントリーホールでリサイタルを開いた。プログラムはショパンの「夜想曲」第15番、第18番からスタート。ゆったりとしたテンポを維持し、ひとつひとつの音を慈しむように奏で、ショパンの晩年の熟達した手法をじっくりと披露していく。
 次いで、シューマンのピアノ・ソナタ第3番が登場。これは何度か改訂が施され、「グランド・ソナタ」と命名された大規模な構造を備えている。
 ピアニストを目指したシューマンの多様な技巧と創造性が盛り込まれたソナタで、キーシンの本領発揮となった。第1楽章から第4楽章まで終始緊迫感と集中力がみなぎり、キーシン自身の内面に語りかけるような内省的かつ思索的なピアニズムが全編を貫いていた。
 後半は、ラフマニノフの「10の前奏曲」作品23、「13の前奏曲」作品32より10曲が続けて演奏された。
 キーシンのロシア・ピアニズムを体現する奏法は、昔からまったく変わらない。演奏する姿勢も同様で、どこかなつかしさを感じさせる。
 だが、大きく変容しているのは、その演奏の深遠さである。彼は1シーズンにひとつのプログラムを携え、世界各地を回る。今回のプログラムも各地で演奏しているものだろうが、弾き込むほどに深さが増し、楽譜の裏側まで読み込むような熟成された音楽となる。
 キーシンを聴き続けること―それは聴き手自身の聴き方の変容を感じ取ることであり、また生き方を考えさせられることでもある。キーシンは音楽を通じ、どう生きるべきかを問いかけているように思う。
 初めて衝撃の音楽を聴いてから32年。演奏を聴きながら、さまざまなことが脳裏をよぎった。
 今日の写真はプログラムの表紙。

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posted by 伊熊よし子 at 21:53 | クラシックを愛す
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