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堤剛

 毎年、鹿児島で開催されている「霧島国際音楽祭」は、世界にも広く知られる人気の高い音楽祭で、今年は第39回を迎える(7月19日〜8月5日)。来年はいよいよ第40回というメモリアルイヤーである。
 先日、音楽監督を務める堤剛さんにインタビューを行い、発足時代からのこと、音楽祭の特徴、世界各国から訪れる著名なアーティストのこと、受講生たちのこと、ファイナルコンサートのことなど、多岐に渡る話を聞いた。
 このインタビューは、次号の「ぶらあぼ」に書く予定になっている。
 堤さんは、今年参加するアーティストについて、またコンサートの内容について、そして音楽祭の特徴について熱く雄弁に語ってくれた。
 この音楽祭は雄大な自然のなかで行われ、温泉もあり、食事もおいしく、地元の人たちも温かく、みんなが「また参加したい」と思うほど魅力的だそうだ。
 私も何度か取材にいきたいと考えたことがあったが、残念ながらいまだ実現していない。
「ぜひ、一度いらしてください。実際にきていただかないと、よさはわからないと思いますので。きっと気に入ってもらえると思いますよ」
 堤さんにも担当のIさんにも強く薦められたため、ぜひいかねばという気になった。
 なにしろ、この音楽祭の常連であるダン・タイ・ソンやエリソ・ヴィルサラーゼには、じきじきに「ぜひ、いらっしゃいよ」といわれているからだ。
 霧島国際音楽祭は、志はあるけどなかなか留学ができないという若手音楽家に、世界一流のアーティストがレッスンをするというコンセプトがある。2週間というもの、レッスン、コンサート、仲間の聴講、ランチミーティングなど、盛りだくさんの内容が組まれている。私も若ければ、取材ではなくレッスンに参加したいと思ってしまうくらいだ。
 ぜひ、来年は40周年記念の年だから、足を運びたいな。
 今日の写真は、インタビューに答える堤剛音楽監督。

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posted by 伊熊よし子 at 22:30 | 情報・特急便

リヴァプールでビートルズの足跡を辿る A

 リヴァプールのビートルズ第2弾は、ジョンの家の登場だ。

「メンディップス」
 こちらはジョンが叔母ミミと酪農家の叔父ジョージと一緒に1945年から1963年(ジョンが住んだ家のなかで一番長い期間)まで住んでいた家である。母のジュリアはたびたびジョンに会いに来る。ジョンは母が道沿いにあるバス停から降りてくるのを家の門から見つめながら、毎回待ちわびる。母がわざわざ遠くから彼に会いにきていると思っていたのである。しかし、実は徒歩10分以内のところに住んでいた。ジュリアはわざとバスに乗り、遠くに住んでいるようにジョンに信じ込ませようとした。1952年の夏、12歳になったジョンを従兄弟のスタンリーは母ジュリアの家へ連れていく。ジョンにとって、母と異父の妹ジャッキーとジュリアがこんなに近いところに住んでいたことは衝撃的だった。
 1955年にジョンにとって唯一の父親的存在だった叔父のジョージが肝臓の出血が原因でなくなった。1956年にジョンは初めてエルヴィス・プレスリーの曲を寝室にあるラジオで耳にし、叔母ミミにギターを買ってくれるよう頼む。ミミはギターなんかで食べていけるはずがないから、しっかり勉強する方が大事だと伝え断る。ジュリアはミミの意志を無視して、ジョンに初めてギターを買ってあげる。唯一家のなかで弾くのを許されていた場所は、ガラス張りのサンルームだった。ジョンは音を響かせるガラスと床のタイルでできたその部屋を気に入っていた。
 1957年にここに立っていたら、ふたりの男の子たち、ジョンとポールがギターを弾いている姿が見えたことだろう。1958年7月15日にジュリア・レノンは家を夜10時に出て道を渡る最中に車にはねられ亡くなる。クルマを運転していたのは運転免許試験にまだ合格していない仕事へ遅れて急ぐ警察官だった。ジュリアは即死だった。ジョンはよく母をニ度「失った」といっている。一度目は叔母に預けていった5歳のころ。ニ度目はこの関係をまた築き直し始めた17歳のころだった。
 こちらに見える青いイングリッシュ・ヘリテッジ(歴史的建造物を保護する組織であり、イギリスの著名人として認定されている人の家に貼られる)のマークはジョンの死から20年経った2000年に記念として貼られた。そのイヴェントの日、ジョンの異父の妹ヴィクトリア(のちにイングリッドと呼ばれる)は他のふたりの異父の妹ジュリアとジャッキーとここで初めて対面する。
 叔母のミミは1965年にジョンがプール・ドルセットで新しい家を購入してあげたため、この家を出る。ミミは1991年に88歳で亡くなっている。
 ヨーコ・オノはこの家を2001年に買い、ナショナルトラストへ寄付する。インテリアはジョンが住んでいたときのように作られ、現在はミュージアムになっている。

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posted by 伊熊よし子 at 23:05 | 麗しき旅の記憶

ウィーン&グラフェネック出張

 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団(ソリスト辻井伸行)の取材のため、ウィーン&グラフェネックに出張することになった(家庭画報)。
 その日程が決まり、5月31日午後出発、6月4日早朝帰国となった。
 出張前はいつもながら、締め切りが重なる。ほとんどの編集担当者が、「出発前に入稿していってくださいね」というからである。
 そりゃ、そうだよね。「帰国してからでいい」なんていったら、飛行機が遅れたり日程が延びたり、何が起きるかわからないから、「絶対にいく前に欲しい」ということになる。
 ということは、私が自分で自分の首を絞めるようなもので、スケジュールを先方に知らせた途端、締め切り地獄となるわけだ。
 まあ、仕方がないか。
 またまた、原稿の内容をメモに書いて仕事机の前に貼り、ひとつずつ消していく作業の開始である。
 最後の入稿が済むのは、いつになるのかなあ(笑)。
posted by 伊熊よし子 at 22:43 | ああ愉しき(?)、締切り地獄
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