ブログ

仕事の打ち合わせ

 先日、仕事の打ち合わせでYさんに会い、銀座でディナーとおしゃべりを楽しんだ。
 Yさんが選んでくれたのが、王子ホールのすぐ近くにある隠れ家的なソラリア西鉄ホテル銀座の2階にあるレストラン「Furutoshi」。
 10皿のコースで、すべてのお料理が日本各地から届けられた有機野菜や旬の食材によるこだわりの一品。それぞれのお料理が、どの地方のどんな食材を使用しているかという説明がなされるため、興味津々である。
 見た目の美しさももちろんだが、味付けが実に自然で、素材の旨みが生かされ、いずれも美味。
 Yさんとは、仕事の話から旅や趣味の話まで話題が広がり、有意義なひとときを過ごすことができた。
 このホテルは初めて訪れたが、静かで居心地がよく、都会の喧騒を忘れさせてくれる。レストランもとてもいい雰囲気で、ゆったりとリラックスしておしゃべりをすることができた。
 今日の写真は、鰹の藁焼き、ビーツとフェタチーズのソース、天然スズキのソテー、豚肉のロースト、桃のデザート、生わさび風味など。パンも北海道のこだわりの小麦粉を使用したもので、中間に供されたとうもろこしの冷製スープも絶品だった。

y3092_R.JPG

y3151_R.JPG

y3152_R.JPG

y3153_R.JPG
posted by 伊熊よし子 at 22:54 | 美味なるダイアリー

シュテファン・ヴラダー

 何年も会っていないアーティストに久しぶりに会うと、なんだか旧友に会ったようななつかしい思いに駆られることがある。
 ウィーン伝統のピアニズムを継承するシュテファン・ヴラダーもそのひとり。
 今日は、本当に久しぶりにヴラダーに会い、インタビューを行った。このインタビューは「ぶらあぼ」に掲載される予定である。
 彼は明日、浜離宮朝日ホールでリサイタルを行う。プログラムはオール・ベートーヴェン。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、第21番「ワルトシュタイン」、第23番「熱情」という、まさにベートーヴェンを得意とするヴラダーならではの選曲である。
 ヴラダーは2019年秋にコンサートを行うことになっているが、まだプログラムが決まっていないため、その外郭を攻めるようなインタビューとなった。
 ベートーヴェンの作品に関して、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の録音について、指揮を始めたときのこと、弾き振りに関することや現在の指揮活動について、今後のレパートリーや予定などを聞いたが、すべての質問に関してじっくりとことばを尽くして語ってくれた。
 実は、私はヴラダーがステージに現れるときの姿の美しさに魅了されている。背筋をピシッと伸ばし、膝を曲げずにスーッと流れるように歩を進めるのである。
 話の途中で、そのことを伝えると、「えーっ、自分の歩き方なんか意識したことないなあ。すでにステージに出るときから緊張し、集中しているので、ピアノのところまで歩いていくことに意識を向けたことはないですねえ」
 すかさず私が「じゃ、今度ビデオでも見て」というと、ニヤリとしていた。
 ヴラダーはいま、ピアニストとしての活動と指揮活動が半々だそうだが、指揮の割合を徐々に減らし、ピアニストとして、これまで演奏してきた作品をじっくり深めたいと力説していた。
 明日はリサイタルを聴きにいく予定にしている。久しぶりに聴くベートーヴェンが楽しみだ。
 今日の写真はインタビュー後の1枚。昔から顔の表情があまり変わらないよね。

y3136_R.JPG
posted by 伊熊よし子 at 22:22 | 情報・特急便

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るC

 ビートルズの足跡を辿る 第4回目はジョージ・ハリソンの家の登場だ。

 174マケッツ・レーン
 ここはジョージ・ハリソン一家が1962年から1965年までを過ごした家である。ハリソン一家はリヴァプールで3回引っ越しをしているが、ここが3軒目の家にあたる。
 ジョージは12アーノルド・グローブにあるベッドムが2つの小さな家で生まれたが、両親と4人の子どもで暮らすにはやや窮屈だった。
 一家は1950年にスペック地区の24アプトン・グリーンに移り住んだ。同地区にはポール・マッカートニーも住んでおり、彼らは同じスクールバスで学校に通い、とても仲良くなった。
 しかし、ジョージの母親はスペック地区に落ち着こうとはせず、1962年にここに引っ越してきて、ファンが毎日押しかけてくるため、新しい家を探さざるを得なくなる1965年までの3年間暮らした。ファンの女の子たちはジョージの父親の靴下や下着まで、ジョージのものと勘違いして庭先から盗んでいった。
 やがて、ジョージはここから15マイルほど離れたワリントンに家族のための家を購入する。しかし、不運が続く。1970年、母親が脳腫瘍のために、1978年には父親が肺がんで、1985年には長兄ハロルドもまた肺がんで亡くなり、1997年にはジョージ自身も肺がんと診断される。
 1999年、暴漢マイケル・アブラハムがフライアーズ・パークの家に押し入り、ジョージと妻オリビアは襲われる。ジョージは何カ所も刺されたものの生き延びたが、2001年11月21日がんで亡くなる。ジョージの次兄ピーターも、また2007年がんで亡くなった。
 1964年2月9日、ビートルズはエド・サリバン・ショーに出演、その2週間後ジョージは21歳の誕生日を家族や友人たちとこの家で祝っている。郵便配達の人たちは、世界中のファンから届くカードと62箱ものプレゼントを必死で届けてくれたのである。
 翌日、ジョージは映画「ハード・デイズ・ナイト」の撮影のためにロンドンに向けて出発するが、その日の写真家によって撮影された写真を見ると、ジョージの顔には前日のパーティの疲れがありありと見てとれる。

y2067_R.JPG
posted by 伊熊よし子 at 22:54 | 麗しき旅の記憶
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
検索ボックス