2024年12月15日
北村陽
先日、オンラインインタビューを行い、その記事アップのお知らせをした、北村陽のリサイタルに出かけた。
12月11日のHAKUJU HALLである。
親密的なホールゆえ、いずれの作品も非常に音が響きやすく、聴き手の心に自然に届けられる。
実は、当日のプログラムは、当初発表されていた順番とは異なり、ヤナーチェクとショスタコーヴィチが前半、ベートーヴェンとブラームスが後半という構成に変わっていた。
開演前にアーティスト本人がマイクをもち、前半と後半の曲順が変わった理由を説明した。
それによると、少し前にスティーヴン・イッサーリスと話す機会があり、リサイタルのプログラムについて内容を伝えると、「メッセージ性が強いショスタコーヴィチのチェロ・ソナタを前半にもってきた方がいいのではないか」と提案されたそうだ。
そのことば通り、ヤナーチェクの「おとぎ話」で始まり、ショスタコーヴィチに移るという展開は非常にインパクトが強く、作品の暗さや影の部分、葬送行進曲の作風などが強烈に伝わり、北村陽のみずみずしい才能が全面的に開花していた。
後半のベートーヴェンとブラームスのチェロ・ソナタでは、現在ベルリンでドイツ作品をじっくり学んでいる成果が現れ、これからいかようにも変化し得る可能性を示唆した。
今日の写真は、終演後の楽屋でのワンショット。とても素直で純粋で前向きなキャラクター。続けて応援したいと思う若き逸材である。
posted by 伊熊よし子 at 22:26
| 日々つづれ織り
2024年12月14日
エフゲニー・キーシン
12月2日、サントリーホールにキーシンのリサイタルを聴きに行った。
初来日の1986年のときからずっと聴き続けてきたが、当時15歳だったキーシンもいまや堂々たる巨匠となり、風格すら漂うようになった。
しかし、ステージへの登場の仕方からおじぎ、ピアノに向かってすぐに弾き始める様子など、まったく変わることがない。
ただ、その演奏は進化と深化を遂げ、聴き手をキーシンの音の世界へと一気にいざなっていく。
プログラムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番、ショパンのノクターン第14番と幻想曲、ブラームスの「4つのバラード」、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第2番という構成。
前半のベートーヴェンもショパンもゆったりしたテンポ設定で、1音1音ていねいに弾き込み、打鍵は深々とし、息の長いうたいまわしが特徴だ。
後半のブラームスは壮大かつ幻想的な響きのなかに渋さがただよう。ここでは、キーシンの新たな一面を示唆した。
最後のプロコフィエフが傑出し、ピアノの可能性を探求した作曲家の神髄に肉薄し、ロシアピアニズムの継承者たる奏法を遺憾なく発揮。そしてアンコールもショパン、プロコフィエフ、ブラームスが組まれ、すべてのプログラムをここで完結するというキーシンらしい形をとった。この公演評は、次号の「モーストリー・クラシック」に掲載される。
posted by 伊熊よし子 at 14:34
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