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アントワーヌ・タメスティ

 ヴィオラのアントワーヌ・タメスティは、樫本大進をはじめ共演した多くのアーティストから「すばらしいヴィオラ奏者だよ」という話を聞いてきた。
 しかし、なかなかインタビューのチャンスがなく、今回ようやく会うことができた。
 タメスティは「ヴィオラスペース」で来日しており、2013年よりこの音楽祭のプログラミング・ディレクターを務め、企画・プログラミングに携わっている。
 タメスティは、いま「ヴィオラといえばタメスティ」と称されるほどの第一人者。録音も多く、最近ではメンバー全員によるアレンジを採用したJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」(トリオ・ツィンマーマン―フランク・ペーター・ツィンマーマン、アントワーヌ・タメスティ、クリスチャン・ポルテラ)、1973年生まれのイェルク・ヴィトマンがタメスティに捧げた「ヴィオラ協奏曲」(世界発録音)、ピアノのセドリック・ティベルギアンとの共演による「ベル・カント〜ヴィオラの声」、トリオ・ヴァランダーとの共演によるフォーレ「ピアノ四重奏曲集」、ヒンデミットの「ヴィオラ・ソナタ」(すべてキングインターナショナル)など、幅広いレパートリーを収録している。
 初めて会ったタメスティは、とてもおだやかでゆったりとした語り口をもつ人。まるで彼のヴィオラの深々とした美しい低音を表すかのような雰囲気をたたえ、相手をリラックスさせる。
 だが、作品論に関しては口調が一気に熱くなり、雄弁になる。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の編曲版についても、既存の編曲版を使用するのではなく、あくまでも自分たちのオリジナルにこだわり、3人でじっくり練り上げたそうだ。
 子ども時代にヴィオラに出合ったときの話から、国際コンクールを受けたときのこと、さまざまなアーティストとの共演についてなどさまざまな話を聞いたが、終始ヴィオラに対する深い愛情を示すことばが印象的だった。
 この記事は、「東京新聞」に書く予定にしている。
 この夏は、各地の音楽祭に参加するそうで、多岐に渡る作品を演奏し、いろんな人と共演するのが楽しみだという。
 今日の写真は、愛器の1672年製ストラディヴァリとともに。「写真撮るなら、楽器も一緒の方がいいよね」といって、ケースから出して抱えてくれた。

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posted by 伊熊よし子 at 22:29 | 情報・特急便

竹田市のクレソン

 先日訪れた竹田市は、おいしい水でも知られている。グランツたけたの担当者のUさんとYさんが、プレセミナーの翌日ある場所へと案内してくれた。

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 そこは清涼な湧き水が出るところで、周囲はぐるりと緑に囲まれている。この緑が、なんと野生のクレソンなのである。
「自由に摘んでいいんですよ。ただし、根は残してくださいね」
 こういわれてビックリ。これほどたくさんのクレソンを見たことはなかった。

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 私はクレソンが大好きなのだが、東京ではなかなか新鮮な物は手に入りにくい。それに結構、高価である。
 きれいな湧き水の恩恵を受け、そのクレソンは実にみずみずしい色彩を放っていた。
 そこで摘んできたクレソンは、ちらし寿司と和風パスタに変身した。
 まず、ちらし寿司は、すし飯に鮭フレークと錦糸卵を乗せ、トッピングにクレソンをちぎって散らし、焼き海苔もパラリ。
 和風パスタは、竹田市で買ってきた干し椎茸を戻して数種類のきのこと合わせ、牛の挽肉と炒める。調味料はおしょうゆと柚子胡椒だけ。もちろん、椎茸の戻し汁も加える。

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 バスタがゆであがったら、熱いうちにきのこと牛肉を加え、クレソンをちぎってざっくり混ぜれば出来上がり。
 新鮮なクレソンがあればこその、シンプルなレシピ2品である。

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 竹田市バンザーイ、ごちそうさまでした!!
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posted by 伊熊よし子 at 17:22 | 親しき友との語らい

瀧廉太郎

 5月に大分県竹田市に行った折、瀧廉太郎記念館を訪れた。
 滝廉太郎は12歳のときに父親の転任のために、一家で竹田市に移り住んだ。
 多感な少年だった彼が2年半に渡って暮らしたのが豊後竹田。代表作である「荒城の月」の構想を得たとされる岡城跡があり、廉太郎が暮らした旧宅が再構築され、瀧廉太郎記念館として開放されている。

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 記念館の内部は当時のままに再現され、彼が聴いたはずの「音」が体験できるよう作庭されている。その音とは、竹の響き 雀の鳴き声、飛び石と下駄の響き、井戸の音、「滝川」の音、鳥や動物の鳴き声などである。

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 廉太郎は明治12年東京生まれ。幼少のころから音楽に類まれなる才能を示し、東京高等師範学校付属音楽学校(のちの東京音楽學校)に入学。明治34年には、ピアノおよび作曲研究のためライプツィヒ王立音楽院に留学している。
 しかし、肺結核を発病し、翌年には日本に帰国せざるをえなくなる。そして明治36年、23歳という若さで亡くなった。
 短い生涯のなかで多くの曲を生み出し、「散歩」「四季の龍」「花」「メヌエット」「荒城の月」「箱根八里」「豊太閤」「雀」「お正月」「憾(うらみ)心残り」など、数々の名曲を残している。
 岡城跡は緑豊かな自然のなかにあり、散策するコースが設定され、全国から訪れる人が後を絶たない。本丸跡や武家屋敷跡など数多くの遺構が残る広大な城址である。

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posted by 伊熊よし子 at 23:07 | 麗しき旅の記憶
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