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トーマ・プレヴォ

  フランスにはチェロのフランス流派が存在するように、フルートにもフレンチ・スタイルがある。
  1976年にフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団に入団して以来、長年に渡って首席奏者を務めたトーマ・プレヴォは、そのフランス特有の奏法を受け継いでいるフルーティストである。
  その彼が初のソロCDをリリースした(キングインターナショナル)。
  収録曲は、シューベルトの「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲、シューマンの3つのロマンス、R.シュトラウスのフルート・ソナタ(原曲:ヴァイオリン・ソナタ)の3曲。
  その新譜の話を聞きに、レコード会社まで出かけた。
  トーマ・プレヴォは、10歳からフルートの名手アンドレ・ペパンに師事している。その恩師の話題になると、口調がなめらかになり、話は尽きないといった様子だった。
  フランス流派の話、オーケストラにおける演奏について、歴代の指揮者のこと、初めての録音に取り上げたかった曲目について、幼いころのフルートとの出合いなど、話題は盛りだくさんだった。
  夫人は元フランス国立管弦楽団のヴァイオリニスト、破魔澄子。島根県の「石見銀山マスタークラス」のディレクターを務めている。
  トーマ・プレヴォもマスタークラスのフルートの講師を務めているため、そのマスタークラスの話をじっくり聞いた。
  この石見銀山という場所は、緑豊かな土地で、とてもおだやか。お魚がおいしく、ゆっくり音楽が学べるという。
  今年はようやく5年目を迎え、内容も充実してきたそうで、受講生も増えてきたという。
  ぜひ、機会があれば取材に行きたいと思った。
  今日の写真は、そのおふたり。このインタビューは「intoxicate」に書く予定になっている。

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posted by 伊熊よし子 at 22:57 | アーティスト・クローズアップ

ヴァレリー・アファナシエフ

  ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルは、いつも新鮮な驚きに包まれる。
  長年、彼の演奏を聴き続け、インタビューを行い、その音楽性と人間性に触れてきたが、すべてが謎めいている。
  昨日は、紀尾井ホールでリサイタルが行われ、前半はハイドンのピアノ・ソナタ第20番、第44番が演奏された。
  アファナシエフのハイドンは、かなり変わっている。
  健康的で明朗でよどみなく音楽が流れる情感あふれる演奏ではなく、きわめて劇的で深遠で哲学的ですらある。
  後半は、まずアファナシエフが得意とするムソルグスキーの「展覧会の絵」で幕を開けた。
  この作品は、アファナシエフの個性と表現力と解釈が存分に発揮されるもので、冒頭のプロムナードからエネルギー全開。それぞれの絵が、あたかも新たな命が吹き込まれたように立体的な様相を帯びて目の前に現れる。
  まるで、アファナシエフがムソルグスキーその人になったように、彼はハルトマンの絵の詳細を音で説明していく。
  そこでは、ロシア・ピアニズムの原点を見出すことができ、さらにアファナシエフがこよなく愛し、尊敬している恩師のエミール・ギレリスの奏法までをも連想させるものがある。
  不思議な時間が流れた。ピアノを大きく豊かに鳴らしているのに、ふとした瞬間の微妙な間が、とてつもない静寂をはらんでいるのである。
  これが聴き手にたまらないほどの緊張感をもたらす。
  最後は、ラフマニノフの前奏曲作品32−12嬰ト短調、ラフマニノフの作品3より幻想的小品集第2曲前奏曲嬰ハ短調が演奏され、ここでもロシアの鐘を大きく鳴らしているような音色を響かせた。
  アンコールは、ショパンのワルツ嬰ハ短調第7番。このワルツ、ショパン・コンクールで弾いたら、あまりにも個性的でみんなが驚愕するに違いない。これこそ、アファナシエフの個性全開である。
  昨日は午後からインタビューが2本続き、かなり疲れてホールに行ったため、ピアノを聴いてゆっくりしようと思ったが、それどころではない。
  アファナシエフを聴いてリラックスしようと思ったのが、そもそものまちがいだ。
  あまりにも演奏に集中し、緊張していたため、どっぷりと疲れた。もちろん、精神的に充実した疲れである。
  でも、アファナシエフって、魅力あるよねえ。
  実は、4月に出版した「35人の演奏家が語るクラシックの極意」(学研)の単行本だが、編集担当のKさんが、私のHPの「音楽を語ろうよ」のアファナシエフの記事を読んで、「ぜひ、単行本を」といってくれたのである。
  それだけ、彼は人を惹きつけるのだろう。
  昨日の演奏も、ちょっとやそっとで忘れられるものではない。
  今日の写真は、以前インタビューしたときのアファナシエフ。表情がシブいよねえ(笑)。

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  でも、こんな表情を見せてくれたこともあります。

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posted by 伊熊よし子 at 17:58 | マイ・フェイバリット・ピアニスト

服部百音

  若手音楽家の演奏をデビュー当時から聴き続けていると、その成長とともに人間性、音楽性がどんどん変化していく様子がわかり、興味深い。
  ヴァイオリニストの服部百音の演奏に初めて接したのは、彼女が11歳のときだった。「天才少女」といわれ、どんな難曲も楽々と自然に弾いてしまうその姿に驚かされたものだが、素顔の彼女はとても真面目でひたむきで、謙虚な性格だった。
  今日は、服部百音のリサイタルが紀尾井ホールで行われ、演奏を聴きに出かけた。
  プログラムは、前半がシマノフスキの「ノクターンとタランテラ 作品28」、R.シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ 作品18」。後半がシマノフスキの「アレトゥーザの泉」、ショーソンの「詩曲」、クライスラーの「ウィーン奇想曲」、そして最後はラヴェルの「ツィガーヌ」という構成である。
  服部百音の演奏は、いつ聴いても作品の内奥に一途に迫っていく姿勢が印象的だが、今回はそれに加えて音自体が以前より太く深くどっしりとした感じになり、大きな成長を示した。
  とりわけショーソンの「詩曲」が美しく詩的で生命力にあふれ、内なる情熱を秘めた旋律がみずみずしく奏でられた。
  共演者は、ヴァイオリニストとのデュオといえばこの人、ヴァイオリン作品を知り尽くしている江口玲である。
  今日の写真は、終演後の服部百音と江口玲。やはりひとりの奏者を聴き続けてくると、その成長がひしひしと感じられ、感慨深い。今後もずっと聴き続けていきたい。きっとまた、近いうちに大きな変貌を遂げるに違いない。

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posted by 伊熊よし子 at 23:51 | クラシックを愛す
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