ブログ

フォルテ・ディ・クアトロ 2

[オーディションまでの経緯はさまざま。全員が子ども時代から無類の音楽好き]

 ここで、4人のこれまでのキャリアについて自ら語ってもらいたいと思う。レコード会社のプロフィールで紹介していることは割愛し、オーディションまでの経緯を簡単に…。まず、コ・フンジョンから。

y1955_R.JPG

「ぼくは昔から音楽が好きで、とにかく音楽の仕事に就きたかった。演技にも興味があったため、ミュージカルに携わることになったんです。本格的にミュージカルの舞台に立ったのは2009年から。いろんな人と共演し、韓国の有名な女優の相手役をしたこともあります。その後、プロデューサーとしての仕事に興味を抱き、もっと自分の違う面を出したいなと考えていたとき、このオーディションを知り、そのコンセプトに共感し、これまで自分が勉強してきたこと、積み重ねてきたことが生かせるのではないかと判断して応募しました。結果的にすばらしいメンバーと出会え、いろんな可能性が広がった。いまはステージでうたうときには、全体をいかにプロデュースすべきかも考えています。初めてのレコーディングのときはみんなすごく緊張したけど、全員がコンディションを整え、最高の状態で臨みました」
 次いでキム・ヒョンスの登場。

y1957_R.JPG

「ぼくは、ソウル大学ではクラシックを専門に学びました。卒業後、実質的には6年前から歌手としての活動を続けています。主としてクラシックの活動で、オペラをうたうのが大好きです。ぼくも韓国の女優と共演したことがあり、テレビやラジオ出演も経験しました。オペラでは主役のテノールをうたうのが大好きで、6カ月間ひとつの作品に集中したこともあります。兵役にいっているときは、軍楽隊で演奏していました。そのときは、クラシック以外の曲もうたい、さまざまな曲に出合った時期です。オーディションに応募したときは、得意とするオペラ・アリアを中心にうたいました。デビュー・アルバムの録音は、確かに全員が全力を出し切ったけど、いま考えるともっと何かできたと思う。ぼくにとっては、少し物足りない。もっと完璧な美を追求しなくてはならないと思っています」
 イ・ビョリはシンデレラボーイだが、彼のオーディションまでのいきさつはとてもおもしろい。

y1959_R.JPG

「ぼくも子どものころから音楽が大好きで、フルートを演奏していました。ヴォーカル・グループのリーダーや合唱隊のリーダーを務めたこともありますが、目立つことは何もありませんでした。神学大学に進み、そのなかで音楽を基礎から学びました。このときに何か楽器も演奏したかったのですが、楽器を新たに買わなくてはならない。そのお金がなかったため、自分を楽器としてとらえる“歌”に集中することにしました。公園にいってうたったり、夜中に湖にいって大声を出したり、いろんなことをしています」
 ところがある日、イ・ビョリの運命を決めるできごとに遭遇する。
「公園の水たまりに蛇がいて、かまれてしまったんです。ぼくは兵役に就いていたころ、北朝鮮の国境沿いの水たまりで、いつも訓練のじゃまになるからと蛇を素手で排除していたため慣れていると思ったら、これが大まちがい。すさまじい毒蛇だったんです。週末だったため病院が開いていなくて、どんどんからだに毒が回り、治療を受けたときには瀕死の状態。入院中、人生には何が起こるかわからない、人はいつ死ぬかわからないと思い、何かチャンスがあったら試すべきだと考え、友人が紹介してくれたオーディションに挑戦したんです。いまでも、蛇にかまれた指は麻痺しているんですよ。でも、ぼくにこういうチャンスを与えてくれたんだから、蛇には感謝すべきかも(笑)」
 隣で笑っていたTJソンが、最後に自己紹介をする。彼の本名はテジン・ソンだが、学生時代からTJソンと呼ばれている。

y1956_R.JPG

「ぼくはヒョンスと同じ大学で学びました。子どものころからインターナショナル・スクールで学び、海外で過ごすことが多かった。ソウル大学に入学する前も、フランスのホテル経営学科で勉強することが決まっていたんです。ただし、幼いころから音楽が大好きだったのでソウル大学で音楽を幅広く学びたいと思い、入学を決めました。ところが、大学ではクラシックが中心だった。もちろんそこではみっちり勉強し、兵役にいってからいろんなジャンルの曲をうたうようになったんです。ぼくはクロスオーバー・ミュージックが韓国に根付くことを希望しているため、このオーディションは願ってもないことでした。こうしていいメンバーに出会うことができましたし、マーケットが少しでも広がればいいと思っています。デビュー・アルバムでは、ひとりでも多くの人に自分たちのいろんな面を知ってほしいとさまざまな曲を入れましたが、今後はあるコンセプトに基づくアルバムを考えています」
 TJはひとりバスで声が低いため、テノールの3人を客観的に見ているような感じがする。大きく俯瞰してこのユニットをとらえているようだ。それが証拠に、彼はフォルテ・ディ・クアトロをこう説明してくれた。
「ステージの立ち位置で説明すると、向かって一番右がハイヴォイスのヒョンス。繊細で美しい高音の持ち主。ヒョンスよりちょっと低めのフンジョンは、ミュージカルで鍛えた表現力が武器。そして左から2番目がハイヴォイスのビョリ。のどが強く、リズム感もあり、ノリがいい。一番左がバスのぼく。だから、右からhigh、middle、high、lawというわけ。わかりやすいでしょう」
posted by 伊熊よし子 at 10:35 | 終わりよければ…取材奮闘記

フォルテ・ディ・クアトロ 1

[オーディション番組《ファントム・シンガー》から生まれた最強のヴォーカル・ユニット、フォルテ・ディ・クアトロは、個性豊かな4人組]

 真夏のソウルに取材に行ったフォルテ・ディ・クアトロの記事に関して、情報解禁となった。これから5回に分けて、その取材、インタビューの模様をお届けしたいと思う。
 彼らは11月2日にデビュー・アルバムのリリース記念のショーケースを日本で開く。いま、ユニバーサルのHPでは、アルバム予約先着50名様ご招待の告知を掲載している。ぜひ、ナマの歌声を聴いてほしい。
 
 2017年8月8日、ソウルの世宗文化会館ではフォルテ・ディ・クアトロのアンコール公演が行われ、満席のファンに熱い歌声を届けた。
 その前日4人がインタビューに応え、オーディションを受けた経緯、メンバー4人が集まった理由、デビュー・アルバムのこと、趣味から現在の心境まで、さまざまなことを幅広く語った。
 彼らは本当に仲がよく、ひとりが質問に答えていると、横から「それって本当かよ」とか「何、気取ってんだ」とか、「また、あんなこといってるよ」などと口々に横やりを入れてくる。それがとても自然で、笑いを誘う。
 そのインタビューの全容を紹介したい。

[複雑なシステムのオーディションを勝ち抜き、実力派の4人が結集した]

 フォルテ・ディ・クアトロは、韓国初のクロスオーバー・ミュージックのグループを結成するために行われたJTBC TVオーディション番組「ファントム・シンガー」のファイナリストたち。見事、グランプリを獲得し、2017年5月19日、Deccaより「Forte Di Quattro」(4人の力)と題したアルバムでデビューした。
「このオーディションはいろいろ複雑なルールがあり、ひと口で説明できないほど。まず、全国から集まってきた参加者たちが最終的に32人残り、それぞれが1対1でソロをうたう。同じ曲をうたうわけで、そのうちのひとりが次のラウンドにいけることになるんです。次は2対2で、デュオをうたう。そのうちのふたりが合格し、それがトリオでうたったりする。でも、落選した人でも、合格したメンバーが“この人と一緒にうたいたい”と判断したら、名指しされた人は生き残れるというシステムなんです。審査員は6人いて、もちろん彼らの点数は非常に重要。でも、最終的に審査員がファイナルに残った12人、3つのグルーブの人たちと話し合いの場を設け、ぼくたちの意見を聞いてくれるのです」
 まず、オーディションの説明をしてくれたのは、グルーブのリーダー的な役割を担うコ・フンジョン。とても複雑な方法をじっくり説明してくれるのだが、図に書いてもらわなければわからないほど、ファイナルに進むのは大変だ。それを補うように、キム・ヒョンスが続ける。
「ぼくたちは、全員が他の人の歌を最初から最後まで聴いているんです。この人の歌はいいな、この人の声はすばらしい、この人と一緒にうたってみたいと、どんどんテンションが上がっていく。もちろん、人は好みがあるから、この人とはうたいたくない、という人も出てくるわけ。そうした勝ち抜き戦を経験し、最後はこの4人が集まったわけだけど、廊下に赤いドアの部屋、青いドアの部屋、黄色のドアの部屋などがあり、自分が気に入った部屋に入っていく。でも、そのあとにだれが入ってくるのかは、だれにもわからない。ですから、最初に部屋に入った人は、ずっと緊張しっぱなし。外で靴音が聞こえると、すごく緊張するんですよ」
 どうも聞けば聞くほど複雑なシステムで、この4人が集まったのは偶然というべきか、あるいは運命の出会いだったのか、わからないほどである。困惑していると、TJソンが「もっと詳しくいうとね」と説明を加えた。
「要するに、番組としては、クロスオーバー・ミュージックのスターを発掘したいという目的で、オーディションを行ったんですよ。応募は本当に多数で、さまざまな人が集まったんです。もうプロとして活動している歌手もいれば、ひとりではなくグルーブでうたっていた人もいる。まったくの新人も応募し、みんなキャリアはまちまち。その人たちの歌を全員が聴き、審査員とともに生き残りをかけて闘っていく。まさに運命の出会いで、ぼくたち4人もそれまではだれひとりとして知らなかった。それが最終的に組むことになり、ファイナルでは4人でうたったんです。番組の視聴者の投票も加え、結果は優勝となったわけですが、まさに“運命”としかいいようがないんですよ」
 審査員は、「彼等のハーモニーは天国から贈られたようだ」と評し、すぐにレコーディングやコンサートが組まれた。
 それまで先輩たちの声に静かにうなずいていたイ・ビョリが口を開いた。
「この4人のなかで、ぼくだけ何のキャリアもないんです。応募用紙に何て書こうか困ったくらい。それまでまったく目が出ず、一時は音楽から離れていたこともある。でも、いまこうしてみんなとうたえることができて、本当に自分は幸せ者だと思っています。初録音では緊張感がピークに達したけど、すばらしい体験ができました」

 今日の写真は、インタビュー時の3枚。インタビューは、ソウルのユニバーサルで行われた。

y1950_R.JPG

y1954_R.JPG

y1952_R.JPG
posted by 伊熊よし子 at 11:26 | 終わりよければ…取材奮闘記

プラシド・ドミンゴ&ルネ・フレミング プレミアム・コンサート・イン・ジャパン2017

 昨年夏から関わっていたプラシド・ドミンゴの日本公演の仕事が、ようやく昨日のコンサートでひと段落した。
 あとは、「公明新聞」に公演評を書くことですべて終了となる。
 19時30分に開幕したコンサートは、前半にヴェルディの歌劇「マクベス」から「慈悲・尊敬・愛」(ドミンゴ)、チーレアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から「私は創造の神のつつましい召使い」(フレミング)などのオペラ・アリアが次々に登場。ふたりのあたかもオペラの舞台を連想させるような歌唱と表現力、演技力が東京国際フォーラムAホールの5000人を包み込み、聴衆は集中力をもってシーンと聴き入る。
 前半の最後は、ヴェルディの歌劇「シモン・ボッカネグラ」からシモンとアメーリアの二重唱「まずしい女が孤児の私を」がドミンゴとフレミングによってうたわれ、両者の成熟した歌声がこだまする。
 後半は、皇后陛下御臨席のもと、ドミンゴの得意とするサルスエラやフレミングのミュージカル・ナンバーなどがうたわれ、バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」から「トゥナイト」がふたりよって熱唱され、プログラムを閉じた。
 しかし、ここからが彼らの真骨頂だ。エンターテイナーであるふたりは、アンコールに「ベサメ・ムーチョ」「グラナダ」(ドミンゴ)、「私のお父さん」(フレミング)をうたい、昨年亡くなったレナード・ノーマン・コーエンの「ハレルヤ」(フレミング)も登場し、拍手喝采は止まらなくなった。
 そして、これを聴かずには帰れないという聴衆の期待に応え、「故郷」がうたわれ、会場はスタンディングオベーションがしばし止み、感動的な大合唱となった。
 ドミンゴはフレミングを抱えるようにしてレハールの「メリー・ウィドウ・ワルツ」で踊りも披露し、2時間強にわたる至福の時間は幕を閉じた。
 その後、ザ・キャピトルホテル東急に移り、ドミンゴ&フレミングを囲んで内輪のパーティが行われた。
 パーティが始まったのがほぼ11時。それから2時間にわたって着席のフルコースの食事会となり、すべてが終了したのは午前1時を回っていた。
 本当に長い1日だった。
 パーティの始まる前、フレミングには以前インタビューしたことがあるため、あいさつをし、ドミンゴには昨秋のロサンゼルスでのインタビューのお礼をひとこといった。
 すると、彼は「今夜のコンサートは楽しめた?」と聞いたため、私が「いま、とても幸せな気持ちです」と答えると、「それを聞いて、私も幸せだよ」といってほほ笑んだ。
 なんと温かく、真摯で、わけ隔てのない、すばらしい人柄なのだろう。ドミンゴは、みんながその性格を褒めるが、私も本当に率直で、オープンで、根っからの明るさを備えた人だと思う。
 
 写真は、素適な笑顔のフレミング。



 ちなみに、ドミンゴ&フレミングを囲んでの食事会のメニューは、ホテルがものすごく力を入れたすばらしいラインナップだった。
 
[アフタ―コンサートディナー]
蟹とグリーンピースのババロア セルクル仕立て キャビア飾り マスタードソース



温かいコンソメスープ 茸の香りと共に
国産牛サーロインのロースト 焦しオニオンソース なめらかなポテトピュレを添えて
野菜サラダ
桜のブラマンジェ 花びらをソースに散りばめて



ホテルベーカリーのパン取り合わせ
コーヒー又は紅茶
 
 これらに合わせて、シャンパン、白ワイン、赤ワインが供された。
 本当に、長い時期にわたる仕事だったが、記憶に残るコンサートで終幕を迎えることができた。



タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 終わりよければ…取材奮闘記
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
検索ボックス