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フォルテ・ディ・クアトロ 1

[オーディション番組《ファントム・シンガー》から生まれた最強のヴォーカル・ユニット、フォルテ・ディ・クアトロは、個性豊かな4人組]

 真夏のソウルに取材に行ったフォルテ・ディ・クアトロの記事に関して、情報解禁となった。これから5回に分けて、その取材、インタビューの模様をお届けしたいと思う。
 彼らは11月2日にデビュー・アルバムのリリース記念のショーケースを日本で開く。いま、ユニバーサルのHPでは、アルバム予約先着50名様ご招待の告知を掲載している。ぜひ、ナマの歌声を聴いてほしい。
 
 2017年8月8日、ソウルの世宗文化会館ではフォルテ・ディ・クアトロのアンコール公演が行われ、満席のファンに熱い歌声を届けた。
 その前日4人がインタビューに応え、オーディションを受けた経緯、メンバー4人が集まった理由、デビュー・アルバムのこと、趣味から現在の心境まで、さまざまなことを幅広く語った。
 彼らは本当に仲がよく、ひとりが質問に答えていると、横から「それって本当かよ」とか「何、気取ってんだ」とか、「また、あんなこといってるよ」などと口々に横やりを入れてくる。それがとても自然で、笑いを誘う。
 そのインタビューの全容を紹介したい。

[複雑なシステムのオーディションを勝ち抜き、実力派の4人が結集した]

 フォルテ・ディ・クアトロは、韓国初のクロスオーバー・ミュージックのグループを結成するために行われたJTBC TVオーディション番組「ファントム・シンガー」のファイナリストたち。見事、グランプリを獲得し、2017年5月19日、Deccaより「Forte Di Quattro」(4人の力)と題したアルバムでデビューした。
「このオーディションはいろいろ複雑なルールがあり、ひと口で説明できないほど。まず、全国から集まってきた参加者たちが最終的に32人残り、それぞれが1対1でソロをうたう。同じ曲をうたうわけで、そのうちのひとりが次のラウンドにいけることになるんです。次は2対2で、デュオをうたう。そのうちのふたりが合格し、それがトリオでうたったりする。でも、落選した人でも、合格したメンバーが“この人と一緒にうたいたい”と判断したら、名指しされた人は生き残れるというシステムなんです。審査員は6人いて、もちろん彼らの点数は非常に重要。でも、最終的に審査員がファイナルに残った12人、3つのグルーブの人たちと話し合いの場を設け、ぼくたちの意見を聞いてくれるのです」
 まず、オーディションの説明をしてくれたのは、グルーブのリーダー的な役割を担うコ・フンジョン。とても複雑な方法をじっくり説明してくれるのだが、図に書いてもらわなければわからないほど、ファイナルに進むのは大変だ。それを補うように、キム・ヒョンスが続ける。
「ぼくたちは、全員が他の人の歌を最初から最後まで聴いているんです。この人の歌はいいな、この人の声はすばらしい、この人と一緒にうたってみたいと、どんどんテンションが上がっていく。もちろん、人は好みがあるから、この人とはうたいたくない、という人も出てくるわけ。そうした勝ち抜き戦を経験し、最後はこの4人が集まったわけだけど、廊下に赤いドアの部屋、青いドアの部屋、黄色のドアの部屋などがあり、自分が気に入った部屋に入っていく。でも、そのあとにだれが入ってくるのかは、だれにもわからない。ですから、最初に部屋に入った人は、ずっと緊張しっぱなし。外で靴音が聞こえると、すごく緊張するんですよ」
 どうも聞けば聞くほど複雑なシステムで、この4人が集まったのは偶然というべきか、あるいは運命の出会いだったのか、わからないほどである。困惑していると、TJソンが「もっと詳しくいうとね」と説明を加えた。
「要するに、番組としては、クロスオーバー・ミュージックのスターを発掘したいという目的で、オーディションを行ったんですよ。応募は本当に多数で、さまざまな人が集まったんです。もうプロとして活動している歌手もいれば、ひとりではなくグルーブでうたっていた人もいる。まったくの新人も応募し、みんなキャリアはまちまち。その人たちの歌を全員が聴き、審査員とともに生き残りをかけて闘っていく。まさに運命の出会いで、ぼくたち4人もそれまではだれひとりとして知らなかった。それが最終的に組むことになり、ファイナルでは4人でうたったんです。番組の視聴者の投票も加え、結果は優勝となったわけですが、まさに“運命”としかいいようがないんですよ」
 審査員は、「彼等のハーモニーは天国から贈られたようだ」と評し、すぐにレコーディングやコンサートが組まれた。
 それまで先輩たちの声に静かにうなずいていたイ・ビョリが口を開いた。
「この4人のなかで、ぼくだけ何のキャリアもないんです。応募用紙に何て書こうか困ったくらい。それまでまったく目が出ず、一時は音楽から離れていたこともある。でも、いまこうしてみんなとうたえることができて、本当に自分は幸せ者だと思っています。初録音では緊張感がピークに達したけど、すばらしい体験ができました」

 今日の写真は、インタビュー時の3枚。インタビューは、ソウルのユニバーサルで行われた。

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posted by 伊熊よし子 at 11:26 | 終わりよければ…取材奮闘記

プラシド・ドミンゴ&ルネ・フレミング プレミアム・コンサート・イン・ジャパン2017

 昨年夏から関わっていたプラシド・ドミンゴの日本公演の仕事が、ようやく昨日のコンサートでひと段落した。
 あとは、「公明新聞」に公演評を書くことですべて終了となる。
 19時30分に開幕したコンサートは、前半にヴェルディの歌劇「マクベス」から「慈悲・尊敬・愛」(ドミンゴ)、チーレアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から「私は創造の神のつつましい召使い」(フレミング)などのオペラ・アリアが次々に登場。ふたりのあたかもオペラの舞台を連想させるような歌唱と表現力、演技力が東京国際フォーラムAホールの5000人を包み込み、聴衆は集中力をもってシーンと聴き入る。
 前半の最後は、ヴェルディの歌劇「シモン・ボッカネグラ」からシモンとアメーリアの二重唱「まずしい女が孤児の私を」がドミンゴとフレミングによってうたわれ、両者の成熟した歌声がこだまする。
 後半は、皇后陛下御臨席のもと、ドミンゴの得意とするサルスエラやフレミングのミュージカル・ナンバーなどがうたわれ、バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」から「トゥナイト」がふたりよって熱唱され、プログラムを閉じた。
 しかし、ここからが彼らの真骨頂だ。エンターテイナーであるふたりは、アンコールに「ベサメ・ムーチョ」「グラナダ」(ドミンゴ)、「私のお父さん」(フレミング)をうたい、昨年亡くなったレナード・ノーマン・コーエンの「ハレルヤ」(フレミング)も登場し、拍手喝采は止まらなくなった。
 そして、これを聴かずには帰れないという聴衆の期待に応え、「故郷」がうたわれ、会場はスタンディングオベーションがしばし止み、感動的な大合唱となった。
 ドミンゴはフレミングを抱えるようにしてレハールの「メリー・ウィドウ・ワルツ」で踊りも披露し、2時間強にわたる至福の時間は幕を閉じた。
 その後、ザ・キャピトルホテル東急に移り、ドミンゴ&フレミングを囲んで内輪のパーティが行われた。
 パーティが始まったのがほぼ11時。それから2時間にわたって着席のフルコースの食事会となり、すべてが終了したのは午前1時を回っていた。
 本当に長い1日だった。
 パーティの始まる前、フレミングには以前インタビューしたことがあるため、あいさつをし、ドミンゴには昨秋のロサンゼルスでのインタビューのお礼をひとこといった。
 すると、彼は「今夜のコンサートは楽しめた?」と聞いたため、私が「いま、とても幸せな気持ちです」と答えると、「それを聞いて、私も幸せだよ」といってほほ笑んだ。
 なんと温かく、真摯で、わけ隔てのない、すばらしい人柄なのだろう。ドミンゴは、みんながその性格を褒めるが、私も本当に率直で、オープンで、根っからの明るさを備えた人だと思う。
 
 写真は、素適な笑顔のフレミング。



 ちなみに、ドミンゴ&フレミングを囲んでの食事会のメニューは、ホテルがものすごく力を入れたすばらしいラインナップだった。
 
[アフタ―コンサートディナー]
蟹とグリーンピースのババロア セルクル仕立て キャビア飾り マスタードソース



温かいコンソメスープ 茸の香りと共に
国産牛サーロインのロースト 焦しオニオンソース なめらかなポテトピュレを添えて
野菜サラダ
桜のブラマンジェ 花びらをソースに散りばめて



ホテルベーカリーのパン取り合わせ
コーヒー又は紅茶
 
 これらに合わせて、シャンパン、白ワイン、赤ワインが供された。
 本当に、長い時期にわたる仕事だったが、記憶に残るコンサートで終幕を迎えることができた。



タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 終わりよければ…取材奮闘記

プラシド・ドミンゴ

 昨年9月、ロサンゼルスでインタビューしたプラシド・ドミンゴに関しては、新聞、音楽専門誌、一般誌、女性誌、情報誌、WEB、ラジオ出演など、さまさまな媒体でインタビュー内容と3月13日の来日情報を書き、話し、紹介してきた。
 今月号の「モーストリー・クラシック」は、そのドミンゴにかなりのページを割いている。
 表紙からドミンゴで、私は「BIGが語る」「プラシド・ドミンゴの歩み」「3大テノールの軌跡」、そして「ドミンゴと敏腕マネージャー 寺島忠男&悦子夫妻」の原稿を担当した。
 これまでずいぶんいろんな媒体に記事を書いてきたが、原稿は「モーストリー・クラシック」が最後となり、あと1本、27日のNHKラジオ「ごごラジ!」のナマ出演ですべて終わりとなる。
 毎回、インタビューのたびに感じることだが、ドミンゴはとても誠実で、前向き。どんなに忙しくても、疲れていても、一生懸命インタビューに応えてくれる。
 これはなかなかできることではない。
 実は、私の仕事はアーティストにとって、手放しで歓迎されるものではない。特に、もう宣伝や広報活動をする必要がない世界的なポジションを獲得しているアーティストの場合、インタビューに時間を取られるのは極力避けたいと思うのが常である。
 来日した場合も、寸暇を惜しんで練習やリハーサルに時間を当てたいし、時差や気温差などの問題もある。
 それゆえ、インタビューはできる限り短い時間で、ということになる。
 ほとんどの場合は、アーティストの滞在先のホテル、レコード会社や音楽事務所で行われるが、カフェやレストラン、ホールの楽屋という場合もある。
 それでも時間が取れない場合は、新幹線の車中、クルマで移動するとき、リハーサルの合間のホールの階段のところ、などということもある。
 いずれにしても、臨機応変な対応を迫られる。もういろんなケースに遭遇しているため、ちょっとやそっとのことでは驚かないが、もっとも大変なのは短時間での対応だ。
 ドミンゴの場合も、しっかりした撮影を行わなくてはならなかったため、話を聞く時間が限られていた。私はいろんな媒体に書き分けをする必要があったため、あらゆる方向から質問を試み、ドミンゴも私の気持ちを察してか当意即妙のことばを返してくれた。
 海外取材は、日本での取材とは根本的に異なる。現場では、何が起きるかわからない。予測できない事態に遭遇することもしばしば。そうした場合に備え、こちらもいろんな手段を考えておかなくてはならない。
 ようやく、ドミンゴの取材記事が形になり、いまはホッとした気持ちだ。さて、3月13日はどんなコンサートになるだろうか。ひたすら待ち遠しい!
 今日の写真は、「モーストリー・クラシック」の表紙と、「BIGが語る」のページの一部。





 
タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 15:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 終わりよければ…取材奮闘記
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