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広上淳一

  毎回、「音楽の友」の「マリアージュなこの1本」の取材は、そのアーティストの行きつけのお店を紹介してもらい、編集担当者のSさんとカメラマンのHさんと私の3人がそこに集結し、アーティストのインタビューと撮影を行う。
  今回は、指揮者の広上淳一の登場。教授を務めている東京音楽大学の近くのうどん処、硯屋(すずりや)で、このお店はお酒もおつまみも豊富で、広上さんいわく「東京音大の指揮科の別室のようなところ」だそうだ。
  レッスンが終わるとみんなで繰り出し、ここで夜中まで飲んだり食べたりおしゃべりしたり。いまはあまりそれができないため、残念だといっていた。
  マスターがとても実直で、いわゆる職人タイプ。次々に運んできてくれるお料理はどれも素材が新鮮で、日本人ならだれでもすぐに手が出るほどのおいしさを示している。
  広上さんの話はとてもおもしろく、ダジャレ連発で、私は笑いっぱなし。とても楽しい取材となった。
  今日の写真は、新鮮なおさしみを前に、「いいでしょう。ここのさしみはものすごくうまいんだよ」とにんまり。

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  もう1枚はマスターと一緒に写させていただいた。

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posted by 伊熊よし子 at 22:47 | 終わりよければ…取材奮闘記

田村正和

  もうかなり前のことになるが、田村正和に一度インタビューをしたことがある。音楽関係の新聞のコラムで、音楽家ではない人にクラシックとのかかわりを聞く、という記事の内容だった。
  このコラムでは、俳優や女優、建築家、演出家、アスリート、デザイナー、画家、声優らさまざまな職業の人に話を聞いた。
  そのころ、どんな大物にインタビューしても私はいつも緊張したりしないことから、会社の人たちが「きっと大好きな田村正和だったら、しどろもどろになるかも」と考え、勝手にインタビューの依頼を出した。
  当時、田村正和はニヒルな役からコミカルな役へと役柄を広げているところだった。いつもはインタビューなどには絶対応じない彼が、「音楽の話題なら」と応じてくれた。しかし、ひとつマネージャーから条件が出された。新番組の情報を付け加えてほしいというものだった。
  私は昔から田村正和のテレビではなく、「眠狂四郎」や「乾いて候」などの舞台を見ることが好きだった。ナマの正和さんは、それはそれは美しくクールで、着流し姿は妖艶ですらあった。特に「声」が素敵だった。
  インタビュー当日、会社のみんなが想像した通り、私は汗たらたらになり、あがりまくって、何をいっているのかわからない状態になった。
  そのときは真夏で、正和さんは素肌にグレーのシルクのワイシャツを1枚ポンと、すっきり着こなしていた。「やあ、こんにちは」と、いつも舞台で聞き慣れているあの声でいわれただけで、カーっと頭に血が上り、カメラマンが背後から「ねえ、背中を汗が流れているよ」などというものだから、余計に焦り、もう足はガクガク、どうしたらいいのかわかない。
  こりゃまずい、と判断した私は、ハンドバックから正和さんの大学時代にデビューしたころの写真を取り出し、「実は、私すごく長い間ファンなんです。主として舞台を見ています。今日は仕事なので緊張しまいと思ったのですが、どうもいつもと勝手が違って…」というと、「えっ、舞台を見ているの。ホント? うれしいねえ」といって、「この写真、なつかしいなあ」と、フランクに話し始めた。
  ようやく落ち着いてきた私は、なんとかインタビューを開始した。
  正和さんは、子どものころにピアノを習っていたこと、レッスンが嫌で逃げまくり、先生を弟の亮に押し付けたこと、でも、いまは後悔していて、バリー・マニロウのように弾き語りをしたかったこと、子ども時代の父親との思い出、テレビで野球観戦をするのが好きなことなど、さまざまな話をしてくれた。
  このたった1度のインタビューが、ずっと私の宝物のような存在になった。そのときの写真も大切な財産である。
  インタビューの途中で、「私はニヒルでクールな役を演じる田村さんが好きなので、お父さん役やコミカルな役はあまりやらないでほしい」といったところ、急にシリアスな表情になり「俳優というのはいつも限界を感じて演技しているものなんですよ。僕も針1本の落ちる音が聞こえるような張り詰めた場所で仕事をするのが好きなんですが、実際はそうもいかない。笑いをとったり、コミカルな演技をするのは本当に疲れるけど、どうかわかってほしい。年齢を重ねると、いろんな役に挑戦しないとならないんですよ」と、少し困惑したような、またその暗い表情もグッとくるような感じで語った。
  その田村正和が亡くなった、享年77。謹んでご冥福をお祈りします。
posted by 伊熊よし子 at 21:55 | 終わりよければ…取材奮闘記

ヤマハ オトノ仕事人

  いつもはインタビューをする側なのに、今回はインタビューをされて、撮影も行われるという逆の立場となった。
  「ヤマハ  オトノ仕事人」というWEBサイトに参加することになったのである。
  インタビュアーは、以前からよく存じ上げている原典子さんだったため、とても話しやすかった。
  実は、このインタビューはスタッフが女性ばかりで、仕事の話から私の料理レシピの話に広がり、みんな食べ物の話題が大好きなため、予定の時間を大幅に超え、最後はワイワイと女子会のような様相を呈することになった。
  そして、今日は撮影日。銀座にあるヤマハのスタジオで行われ、なんだか不思議な気分。いつもはアーティストのインタビューを行い、撮影に立ち会っている場所だから。
  今日も、スタッフ全員が女性。和気あいあいとした雰囲気のなか、撮影はスムーズに進み、なんとか私も緊張感をあまりもたずに終了することができた。
  すべてはスタッフのみなさんのおかげである。
  最近はZoomやYou-Tubeなど、顔を出す仕事が多くて困る。こういうことは苦手だからだ。
  先日も、「週刊朝日」の編集のかたから依頼があり、ベートーヴェン生誕250年の特集号のために話を聞かせてほしいといわれた。Zoomか電話インタビューで、とのことだったので、迷わず電話を選んだ。
  本当にこういう技術の進歩は、いい面もあり、悪い面もある。いつも、なんとか顔を出さないで済ます方法を考えている。
  さて、「オトノ仕事人」は、どんな仕上がりになるのだろうか。
  
  
posted by 伊熊よし子 at 22:24 | 終わりよければ…取材奮闘記
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