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ヘルベルト・フォン・カラヤン

 もうすぐ、「家庭画報」700号記念の6月号が発売される。
 今回は、サントリーホールの30周年の特集記事と、「祝祭」のベスト・オブ・クラシックの付録CDの選曲と解説を担当した。
 サントリーホールは、ヘルベルト・フォン・カラヤンと深いつながりがある。
 取材のときに、私が昔、レコード会社に勤務していたころに「カラヤンの直筆サインをもらったことがある」と話したところ、「家庭画報」の編集者のSさんがとても興味を示してくれ、「ぜひ、それを誌面で紹介したい」と頼まれた。
 しかし、大昔のことゆえ、資料の整理が下手な私は、どこにサインが紛れ込んでいるのか皆目見当がつかない。
 それでも特集号の役に立つのならと、半日かけてあちこち探し、ようやく見つけた。
 実は、色紙に書いてもらったとばかり思い込み、厚い紙を探していたのだが、見つけてみると、ごく薄いレコードのジャケット大の用紙に書かれていた。
「ああ、そうだった。仕事の書類を抱えていたときに、マエストロがヒョイとその紙を1枚抜いて書いてくれたんだっけ」
 大昔の様子がまざまざと思い出された。
 まだ若かった私は、レコード会社に入ったばかりの若輩の身。新譜の即売のためにカラヤンのサインをもらわなくてはならず、何枚も色紙をもってマエストロにくっついて歩いていた。
 すべての仕事が終わり、深々とおじぎをしてカラヤンの前から立ち去ろうとしたとき、「きみもサイン要る?」といって、私が抱えていた紙の束からスイッと1枚抜いてさらさらと書いてくれたのである。
 私は仕事ゆえ、あまりサインには興味がなかったが、それでも会社に戻って上司や先輩に「これ、いただきました」と報告すると、みんなが「ええっ、ぼくたちももらったことないよ」と驚かれた。
 それ以来、資料の奥にしまってあったのだが、いまやすっかり忘れていた。
 今回、「家庭画報」のサントリーホールの仕事がなければ、思い出すこともなかっただろう。
 こうして見つけてみると、本当に貴重な宝物だということがわかった。
 額縁に入れて飾っておかないと、カラヤンに怒られてしまうな(笑)。 
 今日の写真は、その直筆サイン。長年、奥にしまってあったため、紙が変色している。やっぱり怒られるな…。


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posted by 伊熊よし子 at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 巨匠たちの素顔

マウリツィオ・ポリーニ×ステージマネージャー

 先日、サントリーホールでポリーニの演奏を聴きながら、あるエピソードを思い出した。
 ステージマネージャーというのは、バックステージのすべてを把握する仕事で、ホール内の空調から照明、楽屋のアーティストの様子、リハーサルの立ち合い、オーケストラの配置や楽器に関することまで、ありとあらゆることに気を配らなくてはならない。
 サントリーホールには、Iさんという、15年間このホールの仕事に携わるベテランのステージマネージャーがいるのだが、彼に取材したとき、ポリーニの話が出た。
 クラシックのアーティストは繊細な神経の持ち主で気難しい人が多く、完璧主義ゆえ、リハーサルのときからとても気を遣うそうだが、ポリーニはステージ上のピアノの位置をこまかくチェックするのだという。
 端から何センチとか、現代作品を弾くときはピアノを前方に置くとか、とてもこまかい指示が出るそうだ。
 そこで、Iさんは一計を案じ、ノートにこまかく楽器の位置を書き込み、次の来日のときには「前回はこうでしたよ」とノートを提示した。
 するとポリーニは、そこまで考えてくれたかと安心して、それ以上はいわなかったそうだ。
 さらに、ポリーニは楽屋で完全に精神を集中させてステージに歩みを進めるため、Iさんは、コツコツと足音が聞こえてきたのを見計らい、絶妙のタイミングでステージへのドアをさっと開けるのだという。
 もうその時点で、ポリーニの目は完璧に演奏モードに入っているからだ。
 こうしたアーティストのその日の調子をすべて呑み込み、あらゆるケアをするステージマネージャーの仕事は、さぞ神経が疲れるに違いない。
 しかし、Iさんは切り替えが早く、終わったことはすぐに忘れ、翌日へと気持ちを向けるのがストレスをためないコツとか。
 アーティストを陰で支えるステージマネージャー、通称「ステマネ」の仕事は、取材をして初めて詳細を理解することができた。
 ひとつの演奏会というのは、実に多くの人の力で成り立っている。その一端を垣間見る思いにとらわれた。
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posted by 伊熊よし子 at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 巨匠たちの素顔

ルネ・マルタン&リヒテル

 よくインタビューをするアーティストが、自分が師事したり共演した偉大な音楽家の話をしてくれることがある。
 もうその巨匠たちは亡くなっているため、実際にその人と交流のあった人から聞く話はとても貴重である。
 雑誌や新聞のインタビューは文字数に限りがあり、そのときのコンサートや録音などについて書くため、巨匠たちのエピソードなどを綴るスペースはほとんどない。
 だが、私はこうした余談や取材こぼれ話が大好きなのである。
 そこで、ブログにひとつ「巨匠たちの素顔」というカテゴリーを追加し、インタビューで得た話を書くことにした。
 第1回は、昨日インタビューした「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016」のアーティスティック・ディレクター、ルネ・マルタンの登場だ。
 彼は1995年にフランスのナントに「ラ・フォル・ジュルネ」を創設したことで知られるが、それ以前の1981年にはフランスの小村に「ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭」を創設した。
 1988年にはスヴャトスラフ・リヒテルにより、フランスのトゥール近郊のメレ農場で開催された「トゥーレーヌ音楽祭」を任されるようになり、リヒテルの音楽祭「12月の夕べ」(モスクワ・プーシキン美術館)も手がけた。
 昨日のインタビューは、5月に開催される「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016」についてテーマや内容、アーティストなどについて聞き、その記事は「日経新聞」3月と4月の最終木曜日の夕刊に2カ月にわたって書くことになっている。
 そのなかで、私がリヒテルとの交流について聞くと、マルタンは「リヒテルは私のメンターともいうべき存在です」と明言し、その話に花が咲いた。
 リヒテルのために数多くのコンサートを企画し、ともに各地でさまざまな体験をしたという。
 もっとも印象的だったのが、ふたりで画家アンリ・マティスの礼拝堂を訪ねたときの話である。
 マティスは、晩年ニースの奥に位置するヴァンスという小さな村に住み、元看護師だったシスター、ジャック・マリーからの依頼でロザリオ礼拝堂の再建に尽力する。
 彼女は、マティスがガンに苦しんでいたときに献身的に介護してくれたため、マティスは4年間かけて礼拝堂の設計から内外装、聖職者の祭服までデザインし、1954年に完成を見た。
 このロザリオ礼拝堂には、マティスが全生涯の総仕上げを意味するさまざまな壁画やステンドグラスなどがあり、空・植物・光という3つのテーマに基づく青・緑・黄色が使われている。
 リヒテルはその近くの新しい礼拝堂の方で演奏したそうだが、ロザリオ礼拝堂に出向き、ステンドグラスを通して内部に射し込んでくる太陽光の変化を1時間ほどずっと椅子にすわって眺めていたという。
「何も語らず、身動きもせず、ただじっと光のうつろうさまを眺めていました」
 マルタンはこう述懐する。
 私はこの話を聞き、ロザリオ礼拝堂の光に無性に会いにいきたくなった。リヒテルの音楽は、まさにその静謐で無垢で純粋な礼拝堂の空気に似ていると思うからである。
 もうひとつ、マルタンはこんなエピソードも紹介してくれた。
 あるとき、リヒテルを含めた4人で、ウィーンの結構大きなレストランにいったときのこと。花売りの女性が、腕に抱えきれないほどのばらをもってレストランに入ってきた。
 リヒテルはそれを見て、「ばらはそれだけなの?」と聞いた。
「いいえ、私の主人がまだ外にいて、これと同じくらいもっています」
 ほどなく、その男性もばらを抱えて入ってきた。
 リヒテルはいった。
「そのばらを全部、今夜このレストランにいる人たちに渡してくれないかなあ」
 お客さんたちは、「リヒテルからばらをもらった」と大喜びした。
 翌日、そのレストランにまた食事にいくことになった。
 リヒテルがドアを開けると、レストランの従業員たちが一斉に叫んだ。
「ああ、《ばらの騎士》がきてくれた!」
 マルタンはこの話をしながら、「さすが、ウィーンでしょう。《ばらの騎士》を出すとはねえ。リヒテルのうれしそうな顔が忘れられません」と、遠くに視線を泳がせた。
 マルタンの話は留まるところを知らない。リヒテルは、いつもシンプルで素朴で上質なお料理を好んだという。そして、けっして値段が高いところにはいかず、居心地のいい、ゆったりと食事のできる静かなところが好みだったそうだ。「そのため、私はいつもその土地のおいしいレストランを探し回ったものです」
 マルタンはこういって、「すごく大変だったけど、ほかならぬリヒテルのためですからね」と笑った。
 今日の写真は、インタビュー中のルネ・マルタン。
 彼は「リヒテルからは、本当に多くのことを教えてもらいました。ロック・ダンテロンの方には参加してもらうことができましたが、ひとつ心残りなのは《ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン》で弾いてもらうことができなかったこと」と、残念そうな表情で話す。
「自分がいまこうして音楽の仕事ができるのは、ひとえにリヒテルのおかげです。私の精神的な支えですから」と、感慨深そうに語った。 


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posted by 伊熊よし子 at 22:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 巨匠たちの素顔
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