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ユーリ・テミルカーノフ

 ロシアを代表する偉大な指揮者のひとり、ユーリ・テミルカーノフが11月2日に亡くなった。享年84。
 以前ブログに書いた記事を再掲載し、マエストロのご冥福をお祈りしたいと思う。

サンクトペテルブルク・フィル

 なんと心に響くチャイコフスキーだろう。こんなピアノ協奏曲第1番を聴いてしまったら、他の演奏は聴けなくなってしまう。
 それほど、昨夜聴いたユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルの前半で演奏されたエリソ・ヴィルサラーゼのピアノは印象深かった。
 冒頭の特徴ある主題から、打鍵の深さが違う。ロシアの大地を思わせる響きで、けっして鍵盤をたたくことなく、分厚く野太い音があふれ出る。
 ああ、チャイコフスキーとは、こういう音楽なんだ。そう思わせるピアノだ。長大な第1楽章は、ロシア民謡からとった主題が幾重にも変容していき、木管とピアノとの対話が実に雄弁に展開されていく。
 ヴィルサラーゼのピアノは、ダイナミックでドラマティックだが、細部まで神経が張り巡らされた緻密さが際立ち、すべての音がクリアゆえ、音楽が明晰で主題の展開や各々のリズムが明確に聴きとれる。テミルカーノフは、オーケストラを豊かに鳴らすが、その音にピアノが消されることはまったくない。
 第2楽章のフルートやオーボエとピアノとの音の美しい対話は、まさにチャイコフスキーのメロディメーカーとしての本領発揮だが、それをヴィルサラーゼはロシアの空気をただよわせるように演奏。私の脳裏には、チャイコフスキーが愛した広大な自然が浮かんできた。
 指揮者、オーケストラ、ピアニストの3者が紡ぎ出す、絵巻物のような音世界。それをからだ全体で受け取ることができ、至福のときを過ごすことができた。
 第3楽章になると、ヴィルサラーゼのピアノはロシア舞曲のはげしさや荒々しさを表現、テミルカーノフは静と動のコントラストを絶妙なタクトで表現し、オーケストラとピアノの融合を図っていく。
 このオーケストラは、テミルカーノフが芸術監督と首席指揮者を務めてから25年になるが、非常に柔軟性に富み、けっしてパワーで押すことなく、情感に満ちた音楽を奏でる。
 チャイコフスキーが終わると、ヴィルサラーゼの「別格」を思わせる演奏に、しばし席が立てないような放心状態に陥った。カデンツァもすばらしく、いままで聴いたこのコンチェルトとは異なった作品を聴いたような、新たな作品に出会ったような感覚を抱いた。
 後半はラフマニノフの交響曲第2番。さまざまな相反する要素が含まれたこの作品を、テミルカーノフはすべての面を有機的に結び付け、オーケストラからもてる最大限のよさを引き出し、説得力のある演奏を展開した。
 終演後、テミルカーノフの75歳を祝してパーティが開かれた。アーティストも何人か参加したため、いろんな人に会うことができた。みんな演奏に心底酔いしれたとのことで、私も感動を思いっきりことばにし、会話が弾んだ。
 マエストロ、おめでとうございます。これからも、ずっとすばらしい演奏を聴かせてくださいね。この感動は、本当に忘れがたいものですから。
posted by 伊熊よし子 at 22:03 | 巨匠たちの素顔

メナヘム・プレスラー

 昨夜、メナヘム・プレスラーのインタビューが可能になるとの連絡がマネージメントから入り、今日の夕方、ピアノの練習後にプレスラーに会うため、楽器店のショールームに出かけた。
 前のインタビューを垣間見た限り、とても元気そうだ。いつものように、ゆったりとしたテンポで滔々と流れるように話している。
 私の番になったため、あいさつをすると、にこやかな笑顔で「おお、また会えたね」とあいさつを返してくれた。
 プレスラーは、つい先ごろ「メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン〜音楽界の至宝が語る、芸術的な演奏へのヒント〜」著:ウィリアム・ブラウン、訳:瀧川淳(音楽之友社)を出版したばかり。
 新譜も2枚リリースしており、モーツァルト:幻想曲ハ短調K.475、ピアノ・ソナタ第14番、第13番とモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、第27番 キンボー・イシイ指揮マグデブルク・フィル(キングインターナショナル)である。
 インタビューではこの書籍と新譜について、近況、今後の計画、ドビュッシーについて、モーツァルトについて、演奏のあるべき姿、教えるときの大切な事柄から大好きな日本食にいたるまで、短時間ながら雄弁に語ってくれた。
 私の脳裏には、先日のリサイタルで聴いた最後のアンコール曲、ドビュッシーの「月の光」の美しい音色がまだ焼き付いていて、ずっとある種の光を放っている。
 それを述べたときのプレスラーの表情が忘れられない。
 彼は「私の演奏を聴いた人が、家に帰ってから何時間も、あるいは何日間もその演奏を忘れることがないといってくれるのが理想です。あなたがそういってくれたのは、とてもうれしい。まさに、それが私の音楽に対する姿勢であり、演奏することの意義なのですから」といった。
 話はいろんな面におよび、プレスラーは、あくまでも真摯に純粋に率直に音楽に対して語った。
 そこには、彼のピアノと同様のひたむきさが宿っていた。私はそのことばひとつひとつが心に染み入り、感銘を受けた。
「また、来年も来日してくださいね」というと、「ああ、私もそうしたいと思っているよ」と答え、温かな笑顔を見せてくれた。
 この貴重なインタビューは、新聞や雑誌、WEBなどに書き分けをしたいと思っている。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。いつも手を握ってくれるが、そのぬくもりも、いまだ忘れえぬ記憶として心の奥に刻み込まれている。 

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posted by 伊熊よし子 at 22:37 | 巨匠たちの素顔

メナヘム・プレスラー

 メナヘム・プレスラーの演奏を聴くと、自然に涙があふれてくる。
 彼の93年の人生がそのピアノには色濃く投影され、音楽ひと筋に生きてきた真摯な姿勢が、音楽からストレートに伝わってくるからである。
 昨日はサントリーホールでリサイタルがあり、ヘンデル、モーツァルト、ドビュッシー、ショパンの作品が演奏された。いずれも楽譜を置いての演奏で、前回の来日時よりも音量は小さくなったが、表現力はさらに深くなり、心に響くものだった。
 ステージに登場するときも去るときも、付き添いの女性が寄り添って一歩一歩杖をつきながらゆっくり歩き、しばし立ち止まっては聴衆の方を向き、感謝の意を表していた。
 実は、先日、サントリーホールに仕事にいった折、偶然プレスラーに楽屋口で会った。
「おお、しばらく。元気かい?」
 ああ、覚えていてくれたんだ。前回の来日時にインタビューをしたのだが、そのときに「また、すぐ会おうね」といってくれたものの、体調を崩して来日がキャンセルとなった。
 病気が癒え、今回の来日が可能になった。私は首を長くして、プレスラーの来日を待っていたのである。
 リサイタルは、滋味豊かで、ひとつひとつの音が心に染み入るものだったが、とりわけ最後のアンコールに登場したドビュッシーの「月の光」が秀逸だった。
 薫り高い弱音に終始し、色彩感豊かで、会場はひとつの音も聴き逃すまいと、シーンと静まりかえった。みんな涙腺がゆるくなったようだ。
 本当はインタビューをしたいのだが、体調を考えると無理かもしれない。ただ、ひたすら話を聞くことができるのを祈るばかりである。
 今日の写真は、終演後のワンショット。温かな目の光が忘れられない。

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posted by 伊熊よし子 at 23:35 | 巨匠たちの素顔
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