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偉大な巨匠たちの遺産

 昨年から今年にかけて、偉大な指揮者やピアニストをはじめとする巨匠たちの遺産が次々とリリースされている。
 二コラ・アンゲリッシュ、ラルス・フォークト、ネルソン・フレイレのセット物、ニコラウス・アーノンクール、セルジュ・チェリビダッケのブルックナー、そしてマウリツィオ・ポリーニの18歳のときのショパン。
 いずれもすばらしい録音を残してくれた人ばかり。
 二コラ・アンゲリッシュ、ラルス・フォークト、ネルソン・フレイレはインタビュー時の様子を思い出し、CDを聴き込むほどに涙がこぼれそうになって困る。
 アーノンクールは、ウィーン・フィルとのリハーサルの最中、ひとつの音符、ひとつの休符に疑問がわくと、オーケストラを待たせておいてウィーン楽友協会のなかにある資料室で原譜を徹底的に調べ、納得してからステージに戻ったという。ウィーン・フィルの取材のときに、その資料室に入れてもらい、ことばにできないほど感銘を受けたことを覚えている。
 チェリビダッケは、ある年の年末にウィーンでナマの演奏を聴くはずだったが、直前に体調不良で出演がキャンセルとなり、がっかりした記憶がある。
 ここに登場したポリーニのショパン「12の練習曲集」は、一度聴くとそのみずみずしく躍動感あふれ、若木がぐんぐん空に向かって伸びていくような演奏に心身が震え、毎日聴きたくなるような魅惑的なピアニズム。手放せなくなってしまう愛聴盤の誕生だ。

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posted by 伊熊よし子 at 14:40 | 巨匠たちの素顔

小林研一郎

 マエストロ小林研一郎は、いつも取材やインタビューなどのときに私をインタビュアーに指名してくれる。
 コンサートに関する原稿でも、「伊熊さん、書いてくれない?」といって、依頼されることが多い。
 昨日は、次号の「音楽の友」の表紙撮影と巻頭グラビアの記事(インタビュー)があり、久しぶりにコバケンさんにお会いした。
 春らしい淡い色のスーツを着て登場した彼は、長時間にわたる撮影とインタビューをにこやかな笑顔でこなし、インタビューでは7月に来日するハンガリー・ブダペスト交響楽団とのコンサートについて雄弁に語った。
 今年はコバケンさんにとって、1974年の第1回ブダペスト国際指揮者コンクール優勝から、ちょうど50年にあたる記念の年。そのコンクール時の様子を詳しく聞き、これまで聞いてきた話に加え、いろんな発見があった。
 話題はコンクールからベートーヴェンの「第九」、ドヴォルザークの「新世界」、そしてチャイコフスキーの交響曲へと広がり、それらの作品に対する熱い思いを存分に話してくれた。
 なにしろ巻頭ページなので、原稿も文字数が結構多い。かなり詳しく書くことができそうだ。
 なお、6月1日にはサントリーホールで、「コバケンとその仲間たちオーケストラ 第89回演奏会」があり、ベルリオーズの「幻想交響曲」(公開リハーサル付きが予定されている。
 今日の写真は、すべてが終了したあとのワンショット。早春らしいおだやかな笑顔を見せてくれた。

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posted by 伊熊よし子 at 22:47 | 巨匠たちの素顔

ユーリ・テミルカーノフ

 ロシアを代表する偉大な指揮者のひとり、ユーリ・テミルカーノフが11月2日に亡くなった。享年84。
 以前ブログに書いた記事を再掲載し、マエストロのご冥福をお祈りしたいと思う。

サンクトペテルブルク・フィル

 なんと心に響くチャイコフスキーだろう。こんなピアノ協奏曲第1番を聴いてしまったら、他の演奏は聴けなくなってしまう。
 それほど、昨夜聴いたユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルの前半で演奏されたエリソ・ヴィルサラーゼのピアノは印象深かった。
 冒頭の特徴ある主題から、打鍵の深さが違う。ロシアの大地を思わせる響きで、けっして鍵盤をたたくことなく、分厚く野太い音があふれ出る。
 ああ、チャイコフスキーとは、こういう音楽なんだ。そう思わせるピアノだ。長大な第1楽章は、ロシア民謡からとった主題が幾重にも変容していき、木管とピアノとの対話が実に雄弁に展開されていく。
 ヴィルサラーゼのピアノは、ダイナミックでドラマティックだが、細部まで神経が張り巡らされた緻密さが際立ち、すべての音がクリアゆえ、音楽が明晰で主題の展開や各々のリズムが明確に聴きとれる。テミルカーノフは、オーケストラを豊かに鳴らすが、その音にピアノが消されることはまったくない。
 第2楽章のフルートやオーボエとピアノとの音の美しい対話は、まさにチャイコフスキーのメロディメーカーとしての本領発揮だが、それをヴィルサラーゼはロシアの空気をただよわせるように演奏。私の脳裏には、チャイコフスキーが愛した広大な自然が浮かんできた。
 指揮者、オーケストラ、ピアニストの3者が紡ぎ出す、絵巻物のような音世界。それをからだ全体で受け取ることができ、至福のときを過ごすことができた。
 第3楽章になると、ヴィルサラーゼのピアノはロシア舞曲のはげしさや荒々しさを表現、テミルカーノフは静と動のコントラストを絶妙なタクトで表現し、オーケストラとピアノの融合を図っていく。
 このオーケストラは、テミルカーノフが芸術監督と首席指揮者を務めてから25年になるが、非常に柔軟性に富み、けっしてパワーで押すことなく、情感に満ちた音楽を奏でる。
 チャイコフスキーが終わると、ヴィルサラーゼの「別格」を思わせる演奏に、しばし席が立てないような放心状態に陥った。カデンツァもすばらしく、いままで聴いたこのコンチェルトとは異なった作品を聴いたような、新たな作品に出会ったような感覚を抱いた。
 後半はラフマニノフの交響曲第2番。さまざまな相反する要素が含まれたこの作品を、テミルカーノフはすべての面を有機的に結び付け、オーケストラからもてる最大限のよさを引き出し、説得力のある演奏を展開した。
 終演後、テミルカーノフの75歳を祝してパーティが開かれた。アーティストも何人か参加したため、いろんな人に会うことができた。みんな演奏に心底酔いしれたとのことで、私も感動を思いっきりことばにし、会話が弾んだ。
 マエストロ、おめでとうございます。これからも、ずっとすばらしい演奏を聴かせてくださいね。この感動は、本当に忘れがたいものですから。
posted by 伊熊よし子 at 22:03 | 巨匠たちの素顔
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