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エリソ・ヴィルサラーゼ

 TOKYO FMの「ミュージックバード」のクラシック番組には、何度か出演したことがある。
 今回は、私の大好きなピアニスト、エリソ・ヴィルサラーゼの特集を組むということで、出演依頼が入った。
 これは5時間半ほど演奏を流し、30分くらい私が話すという構成である。
 その選曲を任され、ヴィルサラーゼの得意とするシューマン、シューベルト、ショパンなどをメインに据え、ブラームス、ショスタコーヴィチ、リストを加えた。 
 さらに、チェロのナターリヤ・グートマンとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのチェロ・ソナタをプラスして、選曲は終了。29日に収録する予定である。
 トークの部分は、当日スタッフとの打ち合わせをしてから、おそらくぶっつけ本番になるのではないだろうか。
 それゆえ、話す内容をしっかり決めていかなくてはならない。
 この仕事が終わってから、今月末の仕事部屋の引っ越し準備をした。
 4月30日に引っ越し便の積み込み予定で、翌日の5月1日に京都に荷物が届く手筈だ。
 こんなふうにドタバタしている最中に、先日また親友のTちゃんが送ってくれた安曇野の野菜をいくつか調理した。
 今回は、前回とは少し内容が変わっていて、鞍掛豆がレシピ付きで入っていた。「鞍掛豆のドライトマト煮」という、思ってもいない素材の組み合わせである。
 ほかにはビールの友についつい手が出て止まらなくなる結び豆、かしくるみ、凍み豆腐、珍しい山くらげなど盛りだくさん。
 もっとも春の息吹が感じられたのが、友人の自宅の庭で育てているという山椒の若芽。「こんなにたくさん!」と驚嘆の声を上げてしまうくらい入っていて、みずみずしい緑と馨しい香りに酔いしれるほどだ。
 もうひとつ、私の同じく料理好きの彼女が山椒の花を手に入れて、昆布とみりんとしょうゆで煮たという物が瓶に詰まっていた。
 この山椒の花の薄味の煮物は、まさに手作りの味で、おそばやうどんにも合うし、たけのこの煮物に添えてもおいしい。
 ああ、安曇野はすばらしい!
 忙しい時間にこういう自然を感じることのできる食材に出合うと、心身が浄化する思いにとらわれる。
 今日の写真は、安曇野からの産地直送便。レシピを考えていると、時間が経つのを忘れてしまう。
 そうだ、まだ仕事が残っていたっけ。締め切り、締め切りっと。野菜としばし別れなくっちゃ(笑)。

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マウリツィオ・ポリーニ

 近ごろ、これほどまでに人生を考えさせる演奏に出合ったことはない。
 今日は、ポリーニのリサイタルを聴きにサントリーホールに出かけた。プログラムは、前半がシェーンベルクの「6つのピアノ小品」作品19、シューマンの「アレグロ ロ短調」「幻想曲ハ長調」。後半がオール・ショパン・プロで、「舟歌」「ノクターン 作品55の1、2」、「子守歌」、「ポロネーズ第6番 英雄」。
 実は、初来日の1974年4月24日の東京文化会館で行われたリサイタルを聴いているのだが、そのときに演奏された曲のひとつが、シェーンベルクの「6つの小品」作品19だった。
 ポリーニはゆったりとステージに登場すると、何年も弾き続けている自家薬籠中のシェーンベルクをモノローグのように弾き出した。弱音を生かした奏法で、静謐で幻想的とも思える空気がホールに広がっていく。
 ポリーニといえば、コンピューターのように正確無比な奏法で、透徹した知的でクールな響きを特徴とし、完璧なるテクニックに支えられた演奏というのが一般的な評価だ。それが初来日では炸裂した。
 まだ若かった私は、ポリーニのシェーンベルクに驚愕し、「こんなピアニストがいるのだろうか」と、衝撃を受けたことを覚えている。
 以来、ずっとポリーニを聴き続けてきた。
「彼は変わったのだろうか」というテーマで、原稿を書き続けたこともある。
 今回、ポリーニの演奏は、大きな変貌を遂げていた。
 いかなる難技巧も楽々と自然にクリアしていくテクニックは影を潜め、音楽が内省的で熟成し、内なる感情を吐露するものに変容していたのである。
 打鍵の強靭さと目の回るような指の動きも変化し、テンポはかなり抑制され、詩的な感情を表出するようになり、聴き手の心にしっとりと語りかける音楽となった。
 それがもっとも強く表れたのが、後半のショパン。以前の疾走するような輝かしい光を放つショパンではなく、人間味あふれる演奏となり、じわりじわりと聴き手の心の奥に浸透してくる。
 やはり、ポリーニはショパンだ。なんという滋味豊かな演奏だろうか。
 もちろん、往年のバリバリのテクニックは望めない。しかし、演奏の感動というものは、完璧無比な演奏だから生まれるものではなく、多少のミスタッチがあろうが、伝わってくるものが深ければ、忘れえぬほどの感銘を受けることができる。
 後半のショパンは、いまのポリーニをリアルに映し出していた。彼のショパンは、ひとつひとつの音が静かな存在感を示し、ある種の不思議なオーラを放っていた。とりわけ、ショパンの晩年の傑作「舟歌」と「子守歌」が、いまのポリーニの奏法、表現、音楽性によく似合っていた。
 私はショパンの作品を聴き込むほどに、彫刻のような顔をした若きポリーニを思い出し、自分の人生も回顧する思いに駆られた。
 これまでの人生が走馬灯のように脳裏に浮かんできて、ポリーニの音楽を聴いているのに、そのバックに自分の人生が映し出されているような錯覚に陥った。よくオペラの演出で、ステージのバックにいろんな絵柄が流れていくものがあるが、あんな感じなのである。
 なんとも不思議な感覚を味わった。最初のシェーンベルクが引き金となったのだろう。
 ポリーニは「英雄ポロネーズ」が終わったあと、嵐のような喝采を受け、何度もステージに呼び戻され、アンコールを3曲弾いた。
 ショパンの「エチュード 作品10 革命」「スケルツォ第3番」「ノクターン作品27の2」である。
 このノクターンは、えもいわれぬ詩情と古雅な雰囲気と深い憂愁をたたえていたため、つい涙がこぼれそうになった。
 最後はホールを埋め尽くした聴衆が総立ちになり、ポリーニを称えた。
 胸がいっぱいになり、感情を抑えるのがやっと、という状態のときに、ピアニストの伊藤恵に会った。
「ねえ、今度、仕事抜きでごはん食べない?」と誘われ、「ええ、もちろん!」と答え、再会を約束して別れた。
 帰路に着く間、ずっと私の頭のなかには初来日のときのポリーニが浮かび、胸が痛いほど感動を覚えていた自分の姿も思い出した。
 これが「音楽の力」だろうか。シェーンベルクを聴いた途端、記憶が一気に年月を飛び越え、鮮やかに蘇った。
 今夜は、さまざまなことを考えさせられたため、脳が覚醒してしまい、なかなか眠りにつけそうもない。
 今日の写真は、ポリーニのプログラムの一部。今回の演奏を聴き、ぜひブラームスの晩年の作品を弾いてほしいという気持ちが強くなった。


 
 
 
  
 
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ネルソン・フレイレ

 私の大好きなピアニストをさまざまな角度から伝えたいと思い、ブログに「マイ・フェイバリット・ピアニスト」という新たなカテゴリーを作った。
 第1回はブラジル出身で現在はパリでも多くの時間を過ごしているピアニスト、ネルソン・フレイレである。彼は正統的で情熱的でリズムが天に飛翔していくような躍動感あふれる演奏を得意とするが、その奥にはえもいわれぬ内省的で思索的な美質が潜んでいる。
 素顔のフレイレはとても物静かでシャイ。口数は少なくおだやかで、柔和な笑みを浮かべているが、実は気難しいタイプだ。その彼は、情熱的で奔放で完璧主義者のマルタ・アルゲリッチとは親友同志である。
 フレイレとアルゲリッチはともにウィーンに留学したころに出会い、すぐに意気投合。音楽的にも共通項があると感じ、以後50年以上にわたってよき友人としてのつきあいが続いている。
「私がウィーンに行ったのは14歳のとき。両親と離れ、ひとりになって自由を満喫。練習などせず、散歩したりカフェに行ったり、遊びまくっていました。そんなときラフマニノフがシューマンの《謝肉祭》を録音したものを見つけて大感激。自由でクレージーな演奏でした。早速まねをしてレッスンにもって行ったら、先生に唖然とされましたね。マルタに出会ったのもそのころで、最初から自然にコミュニケーションがとれました。性格も音楽もまったく違うのに、なぜかウマが合う。いまでは何もかもわかりあっている感じ。ふたりが一緒に演奏すると、どちらかに演奏が似るのではなくまったく異なった第3の人間が生まれ、その人が弾いているようになるのです。みんなにそういわれるんですよ」
 彼は正統的で重量感あふれるプログラムを組むが、私が楽しみにしているのは、いつもコンサートのアンコールに登場するグルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」より「精霊の踊り」だ。
 ロマンあふれる美しい旋律とゆったりとしたリズムに彩られたこの作品は、聴き手の目を自然に閉じさせ、心身ともに曲に没頭させてしまう不思議な魅力を備えている。
 フレイレが子どものころから敬愛し、いまなお部屋に写真を飾り、彼女の思い出を大切にしているブラジル出身の名ピアニスト、ギオマール・ノヴァエスが好んで弾いていた曲である。
 ノヴァエスはフレイレにとって大先輩にあたるが、彼女はフレイレの才能を高く評価し、さまざまなアドヴァイスを与えてくれたという。
「精霊の踊り」は、ノヴァエスも録音を残している。彼女の演奏はフレイレよりもテンポがゆったりとし、古雅で気高い雰囲気を醸し出している。そしてフレイレの演奏もまた、非常に味わい深く、ピュアな美しさを秘めている。
 世界各地でフレイレはこの作品を演奏しているが、いずこの地でも常に会場はシーンと静まり、ひとつの音ももらすまいとみな神経を集中させて聴き入り、頬を濡らす人も多い。
「私は幼いころから多くの偉大なピアニストの録音を聴いてきました。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス、ギーゼキングなど。ルービンシュタインの実際の演奏を聴いたのは22歳のとき。ホロヴィッツはアルゲリッチと一緒にニューヨークで聴きました。これらはいまでも強烈な印象となって残っています。ルービンシュタインの自由さ、明快さはすばらしい。ホロヴィッツはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とのコンチェルトでしたが、マルタとふたりでからだのなかを電流が走るほどの衝撃を受けましたよ」
 2001年、フレイレは長年の沈黙を破ってショパンの作品集をリリースした。以後、シューマン・アルバム、そしてショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」などを立て続けに録音している。
「私は束縛されたり、お仕着せが大の苦手。長年、録音からは離れていましたが、新たな気持ちで始めたのは、レコード会社の人たちに好きな時期に好きな作品を録音していいよ、といわれたのでOKしたんです」
 自由をこよなく愛し、海辺を散歩したり、ボーッとしている時間が大切だというフレイレ。リオ・デ・ジャネイロの家には4匹の犬、パリの家には1匹の猫がいる。彼らはフレイレの演奏するヴィラ=ロボスの作品が大好きなのだという。
「ヴィラ=ロボスの作品にはブラジルの魂が込められています。ジャングルや鳥など自然をほうふつとさせる面もあるけど、人々の心温かな気質も感じられる。ヴィラ=ロボスはまったくの独学で作曲家になりました。これを聞いただけでも、ものすごく自由な魂を感じませんか。音楽の壮大さと人間のぬくもり、その両面が共存していると思うんですけどね」
 ヴィラ=ロボスの話は尽きない。
「リオの自宅にはボクサー犬の雌がいて、私がヴィラ=ロボスの曲を演奏すると目がウルウルになるんです。その様子をドキュメンタリー映像に撮ったものが、You-Tubeで見られますよ。《ネルソン・フレイレ その人と音楽》というタイトルだったかなあ。パリの猫もピアノが好きです。彼らはみなヴィラ=ロボスが好きなんですよ。やはりブラジルの作曲家の作品をブラジル人である私が弾くと魂がこもっているから、犬や猫も感激してくれるんでしょうかねえ」
 このペットの話になった途端、スマホでその映像を見せようと必死で探し始め、インタビューは一時中断。彼らの話題になると幸せそうな笑顔になり、犬や猫をこよなく愛すフレイレの素顔がのぞいた。
 そんなフレイレが、J.S.バッハのアルバムをリリースした。パルティータ第4番ニ長調BWV828、トッカータ ハ短調BWV911、イギリス組曲第3番ト短調WV808、半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903ほかという、凝った選曲である。
 最後は「主よ、人の望の喜びよ」(マイラ・ヘス編)で締めくくられるが、ぜひ小さなホールでナマを聴きたいという思いを抱くような、親密的で心に響く演奏。フレイレのバッハは、彼の温かく物静かな性格が全面的に投影された、精緻で静謐で深遠なピアニズムである。
 2014年の来日時に、「フレイレさんはコンサートの選曲や録音に関しても常にマイペースを崩さない人ですが、いまもっとも弾きたい作品は?」と聞くと、こんな答えが戻ってきた。
「よく聞いてくれました、J.S.バッハです! みんな私とバッハは結び付かないと思うようですが、バッハは子どものころから自分のために家で弾いてたんですよ。私の心の糧ともいうべき作曲家です。バルティータと編曲物を組み合わせて録音したいですね」
 このバッハは、何度聴いても、また初めから聴きたくなる、ある種の魔力を秘めている。


ネルソン・フレイレ バッハ
ユニバーサル(輸入盤)478 8449

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