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ラファウ・ブレハッチ

 ラファウ・ブレハッチがザルツブルク音楽祭デビューを果たしたのは、2008年8月15日のこと。この記念すべきリサイタルを聴くことができたのは、本当に幸運で、いまでも明確な記憶となって脳裏に焼き付いている。
 当日は、19時半からモーツァルテウムのグロッサー・ザールでリサイタルが行われた。プログラムはJ.S.バッハの「イタリア協奏曲」、リストの「演奏会用練習曲」 、ドビュッシーの「版画」、そしてショパンの「夜想曲op.62」とピアノ・ソナタ第3番だった。
 毎年、ザルツブルク音楽祭のデビュー・リサイタルは注目を集めるが、この年は2005年のショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者が登場することで話題を集めていた。
 モーツァルテウムのステージに姿を現したブレハッチは、リラックスしたおだやかな表情を見せていた。やわらかな笑みをたたえながら静かにピアノの前にすわると、即座に「イタリア協奏曲」を弾き始める。
 彼は幼いころから教会のオルガンでバッハを弾いてきた。「イタリア協奏曲」も長年愛奏し、血となり肉となっている作品。輝かしく華やかな第1楽章は主題を前面に浮かび上がらせながら急速なテンポで弾き進め、美しい緩除楽章ではゆったりと独奏ヴァイオリンのアリアを思わせるような歌心を発揮、終楽章ではロンド主題を軽快かつ力強く奏で、オルガンで培った音の厚みを表現した。
 次いでリストの「2つの演奏会用練習曲」「3つの演奏会用練習曲」より「森のささやき」「軽やかさ」「小人の踊り」が軽快なタッチと疾走するようなテンポで奏でられ、さらにドビュッシーの「版画」へと続いた。
 これら前半のプログラムは2007年の日本公演で演奏されたもの。あれから1年が経過し、すべての作品が一層弾き込まれ、磨き抜かれ、作品の内奥に迫る洞察力の深さを示していた。それらはあたかも細部までこまやかな神経を張り巡らして織り込んでいくタピストリーのような繊細さと緻密さを見せ、ホールを埋め尽くした聴衆の集中力を促した。
 真価が発揮されたのは、やはり後半のショパンだった。「2つの夜奏曲」、ピアノ・ソナタ第3番はショパン・コンクール覇者の名に恥じない安定感と説得力のある演奏で、耳の肥えたザルツブルク音楽祭の聴衆から「ブラボー!」の声と嵐のような喝采を引き出した。
「権威ある音楽祭で演奏することができ、とてもうれしい。満員になってよかった(笑)。以前日本で弾いた曲目をより高度なレヴェルにもっていけるよう、練習を重ねてきました」
 翌日のインタビューでは、彼は落ち着いた自信に満ちた表情を見せていた。当時は欧米各地での演奏が目白押しだったが、「年間40回以下に抑えている」と語っていた。じっくりと勉強したいからだという。
 このときのプログラムは、各作品に潜む哲学的な深さ、内面性、有機的なつながりを考慮して選曲したという。実は、この夜初めてポリーニのリサイタルを聴くといっていた。それに触発され、「ショパンのピアノ・ソナタ第2番に着手するかも」と笑っていた。当時はゲルギエフ、ヤンソンス、プレトニョフらと共演の予定がびっしり。ヨーロッパでは、自ら車を運転して回っていた。
 そんなブレハッチは4歳から教会でオルガンを弾き、バッハの音楽に親しんできた。実は、このときに聴いた「イタリア協奏曲」をメインに据えたバッハ・アルバムがリリースされた。「パルティータ第1番」「4つのデュエット」「幻想曲とフーガ イ短調」「パルティータ第3番」が収録され、最後はアンコールのように「主よ、人の望みの喜びよ」(マイラ・ヘス編)で締めくくるという趣向だ。
 ブレハッチの自然で躍動感に満ち、天空に飛翔していくようなバッハは、彼の特質を存分に描き出している。心身が浄化されるような演奏はオルガンの響きにも似て、幸福感に包まれる。
 ブレハッチは今秋来日し、9月30日から10月10日まで全国でリサイタルを開く。バッハ、ベートーヴェン、ショパンというプログラムだ。先日、この来日公演のチラシ原稿を担当した。またひとまわり大きくなっているブレハッチの演奏を聴くことができるのは、本当に楽しみである。
 今日の写真は、バッハ・リサイタルのジャケット写真(ユニバーサル)。



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ミシェル・ダルベルト

 フランスはピアニストが多い、とはよくいわれることばである。
 昔から、フランスのピアニストは特有のエスプリとウイットとユーモアをピアノに託し、繊細かつ抒情的で、しかも抑制された情熱を秘めた演奏をする人が多かった。
 現在も、新人からベテランまでさまざまなピアニストがひしめきあう状態だが、今日はそのなかのひとり、実力派のミシェル・ダルベルトのリサイタルを聴きに浜離宮朝日ホールに行った。
 プログラムは、前半がフォーレの「バラード嬰ヘ長調」と「ノクターン第7番、第13番」とフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。
 後半がブラームスの「4つのバラード」と「パガニーニの主題による変奏曲」という、いまのダルベルトを如実に映し出すプログラム。
 彼は、つい先ごろフォーレの「ピアノ作品集」(キングインターナショナル)をリリースしたばかり。
 その話を聞きに、昨日は夕方から宿泊先のホテルに出向き、久しぶりにインタビューを行った。これは次号の「intoxicate」に書く予定である。
 ダルベルトは、昔はフォーレの作品があまり好きではなく、むしろ嫌いだったという。それが室内楽作品を演奏することにより、徐々にそのすばらしさに目覚め、やがてピアノ作品を弾くようになる。
「フランスでは、自分が長年考えていることを変えるのはよくないといわれるけど、日本ではどうなのかな」
 フォーレが好きではないといっていたのに、いまや録音まで行い、来日公演でも演奏するほど好きになったことを指しているのだが、私が「日本では、そうした考えを変えることは別に悪いこととは思われない」というと、「そう、安心したよ。そういえば、私は昔、きみにショパンもあまり好きではないといわなかったっけ」といわれたけど、これは正直いって覚えていない(笑)。
 インタビューでは、フォーレの作品論から、恩師のヴラド・ペルルミュテールの教え、フランス作品に関して、指揮活動について、教育者としての立場など幅広い話を聞くことができた。
 とりわけ興味深かったのは、日本人の若手ピアニストをどう導くかということについて。
「音楽は抑揚やニュアンスが大切だけど、日本語はフラットでアクセントを強調しない言語だから、どうしても演奏も平坦になりがち。やはりヨーロッパの音楽を勉強する場合は言語が大切」と力説した。
 この話はまだまだ奥深く、ダルベルトの教育者としての顔を垣間見ることができた。彼はクララ・ハスキル・ピアノ・コンクールの審査委員長も務めていたし、現在はパリ音楽院教授としても後進の指導に当たっているため、ひとつひとつの話がとても内容が濃かった。
 今日のリサイタルは、まさに心身の充実を物語る演奏で、フォーレはもちろんだが、「いま一番弾きたいのはブラームス」と語っていたように、ブラームスの「4つのバラード」が出色だった。
 こんなに熟成したピアノを聴いたのは、久しぶりのこと。ブラームスの古典的であり、ロマン的であり、悲劇性を伴った作風がダルベルトの鍛え抜かれたテクニックと表現力でゆったりと紡がれると、まさしくブラームスの深い抒情が立ちのぼってくるよう。これがベテランのピアニズムの真情である。
 昨日は、午前1時過ぎまでれいのドミンゴのパーティがあり、明け方ベッドに入ったため、夕方からのダルベルトのインタビューでは、頭がまだウニウニ状態だったが、なんとか集中力を振り絞ってたくさんの話を聞くことができた。
 そして引き続き、今日はリサイタルを聴いたわけだが、本当に熟成したワインのような深々とした味わいのピアノに、一気に脳が覚醒した。
 今日の写真は、昨日のインタビューでのひとこま。ダルベルトは、いつ会っても、ビシッとおしゃれな服装で決め、いわゆるパリジャンということばがピッタリ。今回も、淡いネクタイとカフスボタンがとても素敵で、粋な大人の雰囲気を醸し出していた。ちょっと気難しいところも、またこの人の変わらぬ個性だ。


 
 
 
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エミール・ギレリス

 現在発売されている「レコード芸術」9月号は、「ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの世界」という特集を組んでいる。
 このなかの「20人の評論家の聞く わたしの考えるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」という人選と、そのなかの第2位になったエミール・ギレリス、第6位になったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの記事を担当した。
 今日は、ギレリスについて綴ってみたい。
 私の愛聴盤のひとつに、ギレリスの演奏するグリーグの「抒情小曲集」の録音がある。ギレリスは「鋼鉄のタッチをもつピアニスト」と呼ばれ、幅広いレパートリーを誇り、そのいずれもが完璧なるテクニックと深い表現力と音楽性に満ち、ピアノを豊かに大きく鳴らし、生前は世界各地で演奏するたびに嵐のような喝采に包まれたと伝えられている。  
 しかし、この「抒情小曲集」は静謐な美と柔和な色彩感に富み、各曲が詩的で情感あふれる歌を紡ぎ出している。それはあたかもギレリスの誠実で優しく、温かな人間性を表しているようだ。
 彼に関しては、死因もあれこれ取り沙汰され、いまだ謎に包まれているピアニストなのである。
 常にリヒテルとくらべられ、次第にその陰に隠れるようになってしまったギレリス。だが、残された数多くの録音がギレリスの偉大さ、真の天才性をいまに伝え、輝きに満ちた圧倒的な存在感を放つロシア・ピアニズムは、いまなお偉才を放っている。
 その「レコード芸術」のなかでも紹介したが、「ギレリス 1964年シアトル・リサイタル」(ユニバーサル)という新譜が登場した。これは生誕100年を記念して初リリースとなったもので、1964年12月6日にシアトルのオペラ・ハウスで開かれたリサイタルのライヴで、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」からプロコフィエフのソナタ第3番、「束の間の幻影」、ドビュッシーの「映像 第1集」など、多彩な作品が並ぶ。
 曲が終わるごとに嵐のような拍手が巻き起こり、アンコールも収録。もちろん録音は古いが、会場の熱気が伝わってくるような臨場感がある。
 ギレリスは、本当にナマを聴きたかったと切望するピアニストである。残された音の記録は、聴き手の記憶に残る偉大なる財産である。
 今日の写真は、シアトル・ライヴのジャケット。ギレリス、48歳のときの姿である。





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