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清水和音

 インタビューで何度も会って話を聞いているアーティストは、会うたびに本音で話してくれるようになる。
 だが、清水和音は最初から本音しかなかった。率直で嘘がなく、真っ正直。あまりにも素のままゆえ、絶句してしまうことも。
 先日、久しぶりに会って話を聞いたときも、本筋から離れて脱線しっ放し。
 決められた時間を大幅に超え、話題はあちこちに飛び、もはや修復不可能になってしまった(笑)。
 清水和音は、以前ラフマニノフのピアノ協奏曲全曲を一日で演奏したことがあるが、今年のベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤーには、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を一日で演奏するというコンサートを行う。
  東京公演は6月28日(サントリーホール)、大阪公演は7月12日(ザ・シンフォニーホール)。この話を聞くためのインタビューで、記事は次号の「ぶらあぼ」に掲載予定である。
  彼は「コンチェルトっていうのはけっして難しいものではなく、ソナタよりはずっと楽に弾ける。だけど、いい演奏をするかどうかは別問題」と明言する。
  清水和音は難曲も楽々とこなしてしまうため、昔から代演も多く依頼される。
 「明後日、弾いてくれ」と急にいわれることもしばしば。でも、こなしてしまう。
 「だから、ベートーヴェン・イヤーに急きょいろいろ頼まれると大変なんだよねえ」などと、笑っている。
  今回は、話がそれていくのを必死で食い止め、なんとか5曲に関して話を聞き出した。それを記事では紹介したいと思う。
  清水和音が「難しくはないよ」と豪語しながらも、本番ではすばらしい演奏を聴かせてくれるに違いない、そのベートーヴェンに大いに期待したい。
  今日の写真は、インタビュー中の1枚。写真を見せたら、「ひでえなあ」というので、「あら、よく撮れているでしょ」といい、マネージャーも「ええ、いいですねえ」というので、これに決めた。
  でも、「ひでえ、ひでえ」とぶつくさいっていた(笑)。

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posted by 伊熊よし子 at 22:21 | マイ・フェイバリット・ピアニスト

ヴァレリー・アファナシエフ

  ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルは、いつも新鮮な驚きに包まれる。
  長年、彼の演奏を聴き続け、インタビューを行い、その音楽性と人間性に触れてきたが、すべてが謎めいている。
  昨日は、紀尾井ホールでリサイタルが行われ、前半はハイドンのピアノ・ソナタ第20番、第44番が演奏された。
  アファナシエフのハイドンは、かなり変わっている。
  健康的で明朗でよどみなく音楽が流れる情感あふれる演奏ではなく、きわめて劇的で深遠で哲学的ですらある。
  後半は、まずアファナシエフが得意とするムソルグスキーの「展覧会の絵」で幕を開けた。
  この作品は、アファナシエフの個性と表現力と解釈が存分に発揮されるもので、冒頭のプロムナードからエネルギー全開。それぞれの絵が、あたかも新たな命が吹き込まれたように立体的な様相を帯びて目の前に現れる。
  まるで、アファナシエフがムソルグスキーその人になったように、彼はハルトマンの絵の詳細を音で説明していく。
  そこでは、ロシア・ピアニズムの原点を見出すことができ、さらにアファナシエフがこよなく愛し、尊敬している恩師のエミール・ギレリスの奏法までをも連想させるものがある。
  不思議な時間が流れた。ピアノを大きく豊かに鳴らしているのに、ふとした瞬間の微妙な間が、とてつもない静寂をはらんでいるのである。
  これが聴き手にたまらないほどの緊張感をもたらす。
  最後は、ラフマニノフの前奏曲作品32−12嬰ト短調、ラフマニノフの作品3より幻想的小品集第2曲前奏曲嬰ハ短調が演奏され、ここでもロシアの鐘を大きく鳴らしているような音色を響かせた。
  アンコールは、ショパンのワルツ嬰ハ短調第7番。このワルツ、ショパン・コンクールで弾いたら、あまりにも個性的でみんなが驚愕するに違いない。これこそ、アファナシエフの個性全開である。
  昨日は午後からインタビューが2本続き、かなり疲れてホールに行ったため、ピアノを聴いてゆっくりしようと思ったが、それどころではない。
  アファナシエフを聴いてリラックスしようと思ったのが、そもそものまちがいだ。
  あまりにも演奏に集中し、緊張していたため、どっぷりと疲れた。もちろん、精神的に充実した疲れである。
  でも、アファナシエフって、魅力あるよねえ。
  実は、4月に出版した「35人の演奏家が語るクラシックの極意」(学研)の単行本だが、編集担当のKさんが、私のHPの「音楽を語ろうよ」のアファナシエフの記事を読んで、「ぜひ、単行本を」といってくれたのである。
  それだけ、彼は人を惹きつけるのだろう。
  昨日の演奏も、ちょっとやそっとで忘れられるものではない。
  今日の写真は、以前インタビューしたときのアファナシエフ。表情がシブいよねえ(笑)。

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  でも、こんな表情を見せてくれたこともあります。

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posted by 伊熊よし子 at 17:58 | マイ・フェイバリット・ピアニスト

ラファウ・ブレハッチ

  こんなに贅沢なショパンのピアノ協奏曲の演奏があるだろうか。
  今日は東京芸術劇場で、アンドレイ・ボレイコ指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のコンサートが行われた。
  オープニングは、「ポーランドの国民歌劇の父」と称されるスタニスワフ・モニューシュコの歌劇「パリア」序曲。抒情的で豊かにうたう旋律が、ワルシャワ・フィル特有の深々とした響きで朗々と奏でられる。
  今日のメインプログラムは、ラファウ・ブレハッチをソリストに迎えた、ショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番。この2曲をワルシャワ・フィル&ブレハッチのコンビで聴くことができるのは、本当に贅沢だ。
  私は、2005年のショパン国際ピアノ・コンクールをワルシャワのフィルハーモニーで聴いたときのことを思い出していた。
  何度も記事に書いたが、国の期待を一身に背負い、本選の最後に登場したブレハッチの緊張感あふれる表情はいまだ忘れることができない。
 それを乗り越えて、ショパンの魂に寄り添う、完璧なる美に彩られたショパンを奏でたブレハッチの精神力の強さも忘れがたい。
  ブレハッチの演奏はコンクール後もさまざまな地で聴き続けているが、本質はまったく変わらない。もちろん成熟度が増し、音の美しさは比類ないものに変容しているものの、音楽の根底に流れる作曲家への尊敬の念と作品への愛情は以前のままである。
  その変わらぬ美しさは、本物であり、ゆるぎないものである。
  それゆえ、ブレハッチのピアノを聴くと心がおだやかになり、安心感が宿り、精神が落ち着く。こういう感情が湧いてくるピアニストはそうそういない。
  今日の写真は、終演後のブレハッチの表情。素顔の彼は、率直で純真で気取りや気負いがいっさいない。まさにこのキャラクターも以前のままである。

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posted by 伊熊よし子 at 22:31 | マイ・フェイバリット・ピアニスト
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