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辻井伸行

 今日はオーチャードホールに辻井伸行のコンサートを聴きにいった。
 角田鋼亮指揮東京フィルとの共演で、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」とグリーグのピアノ協奏曲というプログラムである。
 コンチェルトの前に、まず、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」が演奏され、前半にラフマニノフ、後半にグリーグが演奏された。
 この2曲のコンチェルトは、2月初旬に行われるヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルとのイギリス・ツアーの曲目で、5月には彼らの来日公演でも共演が組まれている。
 辻井伸行の集中力に満ちた演奏は常に聴き手の心をとらえるが、オーチャードホールのステージには大きなスクリーンが設けられ、彼の指のアップが写されていたため、その動きがよくわかり、一瞬たりとも目を離すことができなかった。
 今年も辻井伸行の取材が続きそうだ。
 来週は「レコード芸術」のインタビューがあり、デビュー10周年に関していろいろ話を聞くことになっている。さらに2月1日から6日までリヴァプールに出張し、現地での演奏を聴き、「家庭画報」の連載記事の取材を行う予定である。
 終演後、辻井さんに楽屋でその旨を話すと、「リヴァプールにきてくれるんですね〜」と喜んでくれた。そして写真を撮ろうとすると、「ブログ用ですよね。父が伊熊さんのブログのファンで、いつも見ているんですよ」とのこと。以前、お父さまからも「いつも読んでいますよ」といわれたことがある。
 うれしいやら、照れくさいやら…。
 今日の写真は、その辻井さんの終演後のワンショット。大曲2曲を弾き終えた晴れやかな笑顔だ。

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posted by 伊熊よし子 at 22:22 | マイ・フェイバリット・ピアニスト

ネルソン・フレイレ

 今日は、すみだトリフォニーホールにネルソン・フレイレのリサイタルを聴きにいった。
 このプログラムの原稿を担当した私は、当初の曲目の一部が変更となり、ドビュッシーの「子どもの領分」からヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」第4番より前奏曲と、同「赤ちゃんの一族」より3曲になったことを知っていたため、ヴィラ=ロボスをとても楽しみにしていた。
 以前、フレイレにインタビューした際、彼は自国ブラジルを代表する作曲家のエイトル・ヴィラ=ロボスをこよなく愛し、世界各地で演奏し、その音楽を広めたいと熱く語っていたからである。
 プログラムはJ.S.バッハの前奏曲やコラールのブゾーニ編から開始し、次いでシューマンの「幻想曲」が演奏された。
 フレイレは「最近、バッハを弾きたい気持ちがとても強いのです」と話していたが、このバッハも心にゆったりと浸透してくる敬虔で平穏で静謐な演奏だった。時折、オルガンを思わせる荘厳で大規模な音色を交え、フレイレらしい祈りの音楽をホールの隅々まで響かせた。
 シューマンの「幻想曲」は、フレイレの巨匠性が存分に表れた演奏となった。彼は、長年来日が途絶えた時期があったが、近年はひんぱんに来日するようになり、いつのころからか「巨匠」と称されるようになった。この「幻想曲」は、そんなフレイレが聴き慣れた作品に新たな風を吹き込むもので、とりわけ第3楽章のロマンあふれる楽想が心に深い印象をもたらした。
 後半はヴィラ=ロボスが演奏され、やはり「血で弾く」というというのはこういうことかと感じるほど、自然体で母国語を話すような演奏だった。
 最後は、ショパンのピアノ・ソナタ第3番が登場。フレイレは、ショパン国際ピアノ・コンクールの審査員もし、ショパンの作品を熟知している。
「私は、ショパンはけっして声高に叫ぶ音楽ではないと思う。最近の若いピアニストは鍵盤をガンガン力任せに叩き、猛スピードで突っ走るような演奏をするけど、私はそのような演奏はしたくない。ショパンの楽譜をじっくり読み、時代を考慮し、ショパンの意図したことに心を配りたいと思う」と話していたように、彼のソナタ第3番は、ショパンの生きた時代の空気をほうふつとさせるピアニズムだった。
 テンポも、リズムも、フレーズの作り方も、そしてルバートも、すべてにおいて作為的なものや余分なものが何もない。私の脳裏には、いつしかショパンの生家、ジェラゾヴァヴォーラの緑豊かな自然が浮かんできた。
 フレイレの演奏は聴き手の想像力を喚起する、まさに一幅の絵のようである。
 帰りは台風の影響で大雨に見舞われながら、電車の遅延などもあったが、心のなかにはおだやかで温かな空気が流れていた。
 これが「音楽の力」なのかもしれない。この公演評は、先日のダン・タイ・ソンとともに、次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定になっている。
 今日の写真は、リサイタルのチラシ。この顔を見ているだけで、なんだかなごんでしまうよね(笑)。素顔はとてもシャイで、ポツポツと話し、ペットの話になると、途端に雄弁になるフレイレ。愛すべき「巨匠」である。

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ダン・タイ・ソン

 ダン・タイ・ソンが1980年にショパン国際ピアノ・コンクールにおいて、アジア人初の優勝者となってからはや37年が経過した。この間、彼はベトナムからロシア、日本へと移り住み、その後カナダとフランスに拠点を置くようになり、国際舞台で活躍するようになる。
 久しぶりにリリースされた新譜は、シューベルトの作品集(ビクター)。最後のソナタにあたるピアノ・ソナタ第21番をメインに据え、「アレグレット」「12のドイツ舞曲(レントラー)」という構成だ。
 いまでは国際コンクールの審査員を務めたり、後進の指導にも力を入れているダン・タイ・ソン。このシューベルトは、音楽性と人間性を磨き抜いてきた彼の、現在の心身の充実を示すアルバムとなっている。
 ダン・タイ・ソンの音楽はおだやかな音色とゆったりとしたテンポに彩られているが、その奥に静謐な空気が宿る。このシューベルトも作曲家の思いに寄り添い、孤独感と諦念を潜ませている。
「私がショパン・コンクールを受けたころは、まだやせていてからだができていませんでした。上半身を大きく動かして演奏していたものです。あとでビデオを見てすごく恥ずかしかった。ゆらゆら揺れてばかりで音がまったく安定しない、消してしまいたいくらいでした(笑)。その後、先生に指摘されてピアノに向かう姿勢を直し、筋肉もつくようになり、ようやくスケールが大きくエネルギッシュなロシア作品が弾けるようになりました。ショパンに関しても自然な姿勢で自由に鍵盤をうたわせることができ、リズムもテンポも自在に奏でることができるようになりました」
 そしていま、ピアニスト自身が成熟しないとうまく弾けないといわれる、シューベルトの作品と対峙することになったのである。
「モスクワ時代はお金がなくて食べ物に不自由していたため、太るどころではありませんでした。ピアノは体力を要します。ですからコンクール後にとにかく体重を増やそうと努力し、いまのように太ったわけです(笑)」
 当初は清涼で静謐で平穏な美しい音でショパンを奏でていたダン・タイ・ソン。それが徐々に音が肉厚になり、幅も広くなり、音楽が深淵になっていく。現在はピアノ好きがため息をもらすほど、情感豊かで表現力に富む美しいピアノを奏でる音楽家に成長を遂げた。
 明日は、武蔵野市民文化会館でダン・タイ・ソンのリサイタルがある。オール・シューベルト・プロである。私は明日聴きに行く予定にしているが、22日は紀尾井ホールでもリサイタルが予定されている。
 ナマで聴く、ダン・タイ・ソンのシューベルト。どんな美しい歌が奏でられるだろうか。
 今日の写真は、シューベルトの作品集のジャケット。





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