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ベートーヴェン「第九」4

  ベートーヴェンの「第九」というと、最後の合唱の部分だけを思い浮かべる人が圧倒的多数だと思うが、実はここにいたるまでのプロセスがとても大切である。
 「歓喜の歌」は絶望や悲劇との戦いの後に到達した世界。「第九」考察の最終回は、そんな作品の曲目紹介をしながら全楽章の内容を見ていきたい。
  これを通し、交響曲第9番の全体像を理解し、人生の縮図を作品全体から読み取っていただければ幸いである。
  そして、ぜひライヴか録音で全楽章に耳を傾けてほしいと思う。きっと深い感動が胸に押し寄せ、ベートーヴェンの真意が伝わってくると思うから…。

 [第1楽章]
  広大な宇宙を思わせる神秘的な力強い旋律が、壮大な交響曲の開始を告げる。これは人生の苦悩や悲しみ、希望やなぐさめなどあらゆる感情が表現されている楽章である。
  ベートーヴェンは自分の生涯を回顧し、人生を戦いにたとえたのではないだろうか。劇的で強いメッセージをもつ、幕開けにふさわしい音楽となっている。
  [第2楽章]
  弦の鋭角的な響きが全体に躍動感を与えている。また、ティンパニの小気味よいリズムも印象的だ。
  これは初演時に大きな喝采をもって迎えられた楽章。衝撃的なティンパニの独奏は、当時の人々を驚嘆させ、アンコールの拍手が鳴りやまなかった。魂が浄化するような美しさと、諧謔の精神が感じられる。
  [第3楽章]
  美しい緩徐楽章で、神への感謝を表すような深い祈りの気持ちが表現されている。やすらかな主題の変奏にはさまれた中間部が特に美しい。
  終わり近くのホルンの長いソロは、この時代としては画期的な用いられ方だった。歓喜を前にしたやすらぎを感じさせ、きたるべき何物かに心の準備を促すようだ。
 [第4楽章]
  プレスト(きわめて速く)のファンファーレから始まる。苦難の人生を振り返る前楽章の主題の回想からスタートし、有名な主題が静かに現れる。
  そしてバリトンによって「おお、友よ、もっと喜びにあふれた調べをうたおう」と明るく、力強くうたわれる。この部分はベートーヴェン自身による歌詞であり、次いでシラーの詩がおごそかに登場する。
  ベートーヴェンはこの詩のなかで特に「人々はみな兄弟となる」という箇所に共鳴したといわれる。ベートーヴェンはここで人類の理想、平和と喜びをうたい上げたかったに違いない。これは交響曲第5番「運命」にも共通している精神で、苦悩に立ち向かう人間が最終的に見出す本来の喜びを音によって表現している。
posted by 伊熊よし子 at 21:55 | クラシックを愛す

ベートーヴェン「第九」3

  1981年の暮れ、ウィーンのコンツェルトハウスの前には「ロブロ・フォン・マタチッチ氏が病気のため、本日の指揮者が交替にになります」の張り紙が出されていた。
  この日の演目はベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」。急きょ代役に立った若い指揮者は巨匠を聴きに駆け付けた聴衆をがっかりさせまいと必死でタクトを振り、オーケストラも歌手も合唱もそれに呼応し、すばらしい「第九」となった。
  私その日、ベートーヴェンの住んだ家やさまざまな作品を作曲した場所を訪ね歩き、狭く暗い階段や質素な部屋、それを補ってあまりある窓からの美しい眺めなどに心を奪われていたため、最後の合唱の部分ではベートーヴェンの姿がそこに見えるようで胸がいっぱいになり、ついハラリと涙してしまった。
  そして年が明けた1月4日、ウィーンのテレビには「マタチッチ、故郷のザグレブで85歳の生涯を閉じる」のニュースが映し出された。はるばる日本から演奏を聴きに来たちょうどそのときに亡くなるなんて、とても複雑な気持ちに駆られた。年末にはあんなにも崇高で感動的な演奏が聴けたのに、その直後にひとりの偉大な指揮者の訃報を耳にするなんて…。
  いままで多くの「第九」を聴いてきたが、このときの無名の若手指揮者によるナマの演奏が一番心に深く残っている。
  そのときに受けた熱い思いにもっとも近く、端的に「第九」に引き寄せられるのが録音でいえばカラヤン盤(ユニバーサル)だ。それも1983年9月にカラヤンが4度目の全集として完成したものが最高。これはソリストの4人がカラヤンの心情をよく理解し、いわんとすることを的確に読み取って、もてる力を十分に発揮していることはいうまでもない。
  だが、一番驚かされるのはベルリン・フィルがピタリとカラヤンに寄り添っている様子がひしひしと伝わってくることだ。ここまでオーケストラを自在に動かすカラヤンの力に、改めて感服してしまうほどで、いまやこういうカリスマ性をもった指揮者はいなくなったなあと一抹の寂しさも感じてしまう。
  そう、この「第九」はいろいろなことを考えさせてくれる演奏なのである。もちろんベートーヴェンの作品をここまで磨き上げ、研ぎ澄まされた究極の美しさと、壮大で劇的な表情をとことん追求したカラヤンの力量あってこそだが、その演奏を聴くうちに私の心にはさまざまな思いが去来する。ベートーヴェンがいいたかったことを、自分のいままでの歩みに重ね合わせてしまうのた。
  今年も大変なことがいくつかあったけど、来年はきっとそれを乗り越える何かを見つけようとか。よしっ、くよくよしていないで前向きに考えようとか。要するにエネルギーが湧いてくるのである。
  カラヤンの目も覚めるようなスピード感あふれる演奏が、人に生きる力を与えてくれるのだろう。こういう「第九」こそ、ベートーヴェンが目指した本来の主旨にのっとっているのではないだろうか。
posted by 伊熊よし子 at 20:54 | クラシックを愛す

ベートーヴェン「第九」2

  ベートーヴェンが「第九」を完成させたのは、1824年の春まだ浅いころのことだった。当時すでに53歳になっていたベートーヴェンは、聴覚をまったく失っていた。しかし、その偉大なる精神力と、長年心のなかに暖めていたシラーの詩への熱い思いが、この大曲を完成に導いた。
  ベートーヴェンがシラーの頌歌「歓喜に寄す」に出合ったのは、まだ20代のはじめのころ。この詩の底に流れる民主的思想にいたく感激したベートーヴェンは、そのときからいつかこの詩に曲をつけたいと願っていた。その積年の思いがようやく実行に移されることになったのは47歳のとき。実に30年という歳月を経て初心を貫いたことになる。そしてこのベートーヴェン最後の交響曲となった「第九」は、完成までにその後約6年という月日を費やして書かれた。
  ベートーヴェンが「第九」を作曲したのは、ウィーン郊外にある温泉保養地バーデン。現在では、ウィーンのオペラ座前から路面電車で60分ほどの距離にあるこの風光明媚な小さな町は、緑が豊かで、いつの季節にも風がそよぎ、のんびりとしたたたずまいは訪れる人にやすらぎと心の休息を与えてくれる。
  そんな町の中心に位置するラートハウスガッセの2階建ての家で、ベートーヴェンは構想を練った。訪れてみると意外に小さな感じのするその家は、しかしながら明るく、町のどこにでも行きやすく、居心地がよさそうな感じを受ける。
  ここから毎日決まった時間に散歩に出かけたといわれるベートーヴェンは、この「第九」を作曲中にもよく散歩に出た。ときには奥のヘレナ渓谷まで足を延ばし、曲想で頭がいっぱいになり、われを忘れてさまよい歩いているうちに夜になってしまい、家に帰らない日もあった。そして1823年秋までかかって全部の構想を練り終わったベートーヴェンは、ウィーンのウンガールガッセの家に戻り、冬中かけて最後の仕上げにかかった。
  初演は完成の3カ月後、ウィーンのケルントナートーア劇場で行われ、熱狂的な拍手をもって迎えられた。
  ベートーヴェンはこの偉大なる交響曲でいったい何をいいたかったのだろうか。苦悩を経て喜びへということだけではけっしてないはずだ。彼は生涯独身だった。でも、女性に憧れ、友人を求め、弟や甥などの家族を大切にした。彼は人間をこよなく愛した人だった。
  この冒頭の「友よ」という呼びかけは、すべての友に対するもの。自分のまわりの友、世界の友、そして18、19世紀だけではなく、21世紀に生きる私たちにも「友よ」と語りかけているのだと思う。
 「みんなで苦しかったことを忘れ、明日に希望をつなごうじゃないか」とベートーヴェンはいいたかったのだ。その温かな人間好きのベートーヴェンの心情が音楽から見えるからこそ、世界の人々にこんなにもこの曲が愛されているのではないだろうか。
  ベートーヴェンの愛は広く深く普遍的だ。それは第4楽章だけではなく、最初から感じられる。すべて呼びかけの音楽だから。    彼はモーツァルトのように天才とは呼ばれない。シューマンのように繊細とは評されないし、ショパンのように容姿に恵まれたわけでもない。
  そんなベートーヴェンは努力の人といわれ、私たちふつうの人間の代表格のような親近感を備えている。ベートーヴェンの悩みや喜びは、私たちにも理解できるものである。そんなふつうの感情をもったベートーヴェンが、すべてのものに対する愛がいかに大切かと、その音楽で訴えている。 
posted by 伊熊よし子 at 21:04 | クラシックを愛す
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