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米元響子&菊池洋子ヴァイオリン・リサイタル

 一昨日、浜離宮朝日ホールで行われた米元響子(ヴァイオリン)と菊池洋子(ピアノ)のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行った。
 米元響子は、つい先ごろデビューCDをリリースしたばかり。イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全6曲」で、2015年に発見されたイザイの未完の無伴奏ヴァイオリン・ソナタも収録されている。
 これに関しては、以前彼女のインタビューの様子をブログに綴っている。インタビューは、次号の「CDジャーナル」に掲載される予定である。
 リサイタルのプログラムは、前半がモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第32番、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番、イザイのポエム・エレジアック。後半がイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第40番と第42番。
 米元響子の演奏は、冒頭から地に足の着いたどっしりとした力強く説得力のある音色と表現が際立ち、モーツァルトを得意とする菊池洋子のピアノと見事なデュオを聴かせる。
 イザイに関しては、長年弾き込んで自家薬籠中の作品ならではの熟成した響き。久々に聴く本格派の演奏だ。
 すばらしく有意義な時間を過ごすことができたが、米元響子は最後のアンコールにイザイの新発見の未完のソナタの第1楽章を披露し、底力を示した。
 この公演評は、「音楽の友」に書くことになっている。
 今日の写真は終演後のおふたり。まだテンションが上がっていて、熱い湯気が出ている感じ。こういうときの表情ってすごくいいんだよね。

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posted by 伊熊よし子 at 23:32 | クラシックを愛す

ラ・フォル・ジュルネ東京2019

 毎年、5月の連休に東京国際フォーラムをメイン会場とし、周辺の大手町や丸の内でもさまざまな催しが行われるラ・フォル・ジュルネ東京。2019年は5月3日から5日までの3日間で、324公演が予定されている(有料公演は124)。今年のテーマはCarnets de voyage ボヤージュ―旅から生まれた音楽(ものがたり)。
 2月15日には記者発表会が開かれたが、翌日、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタン氏にインタビューを行った。
 マルタン氏は、いつ会っても頭のなかが音楽でいっぱい。今年の聴きどころやお薦めコンサート、新たな才能や聴き逃せない作品などについてことばを尽くして話してくれた。
 このインタビューは次号の「ぶらあぼ」に書く予定である。
 マルタン氏は自身も旅が好きで、さまざまな土地へと出向き、そこで生まれた音楽を想像し、作曲家がその土地から触発されて書いた曲に想いを馳せるという。
 お薦め公演は多岐に渡り、文字数が決められている原稿ではとても書ききれないほど。もちろん、彼が聴衆にぜひ聴いてほしいと願うアーティストや作品ゆえ、どんどんリストが増えてしまうのだろうが、記事はかなり絞り込んで書かなくてはならない。
 19世紀のヨーロッパの作曲家がメインとなり、有名な作曲家の作品はもちろんのこと、ふだんあまり聴く機会のない貴重な作品もプログラムに登場する。
 ラ・フォル・ジュルネ東京は、膨大なスケジュールとにらめっこをしながら、自分が本当に聴きたいコンサートを、時間を考慮しながら組み立てて行くのが楽しみのひとつである。
 今日の写真は、インタビュー後のルネ・マルタン氏のワンショット。「時間があれば、もっと話したいんだけどねえ」と、コンサートスケジュールを眺めながらブツブツ…。

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posted by 伊熊よし子 at 22:18 | クラシックを愛す

テオドール・クルレンツィス

 衝撃の演奏とは、まさにこういうことをいうのだろう。
 2月13日、サントリーホールで行われたテオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナのコンサートは、近年まれにみるインパクトの強い演奏だった。
 プログラムはオール・チャイコフスキー。前半は「組曲第3番」、後半は幻想序曲「ロメオとジュリエット」、幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」。
 クルレンツィスは、黒のゆったりしたブラウスに黒のスパッツという、指揮者としては珍しいスタイル。とても動きやすそうだ。
 まさに冒頭からからだ全体をしなやかに動かし、ときにはげしく、またあるときは踊っているような様相で、タクトを持たずに指揮をする。
 その音楽は衝撃を通り越して、これまで聴いたことのないような新たなチャイコフスキーがあふれ出る。オーケストラは、チェロやチューバ以外は全員が立ったまま演奏するスタイル。
 1曲終わると、クルレンツィスは両手をグルーッと回し、上でバシッと止める。それに合わせてムジカエテルナも、弓や管楽器を真上に立てる。その見事なまでの美しい終わり方は、拍手喝采を招く。
 チャイコフスキーは稀代のメロディメーカーだが、彼らの演奏にかかると、躍動感と深い情熱と豊かな歌心が混然一体となって聴き手の心を揺さぶる。
 もっとも驚いたのは、前半が終わった途端にアンコールが始まったこと。コンサートマスターのアイレン・プリッチンがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調の第3楽章を弾き始め、さらにイザイのヴァイオリン・ソナタ第2番から第1楽章を演奏したのである。
 通常は前半が終わると、オーケストラがステージ上から去るのを見て、会場は休憩に入る。ところが、前半でアンコールが始まったため、聴衆はみな動けず、「ウワッ、何が始まったの」という感じ。
 そして後半は、クルレンツィスの独壇場。細部まで神経が張り巡らされたチャイコフスキーだが、けっして堅苦しくなく、新たな音楽体験をさせてくれる斬新さに満ちている。
 本当にすごい指揮者が登場したものだ。グスターボ・ドゥダメルの初来日のときも、新たな才能の出現に心の高揚を抑えきれなかったが、クルレンツィスの演奏も、だれかれかまわず「ねえねえ、聞いて。クルレンツィスがすごくて〜」と伝えたくなるインパクトの強さ。いやあ、まいりました、すさまじい才能。
 今後は、一瞬たりともその動向に目が離せない。新譜のマーラーの交響曲第6番「悲劇的」(ソニー)をもう一度聴きたくなった。
 今日の写真は、先日のトークイヴェントのときのワンショット。190センチあるそうな。

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posted by 伊熊よし子 at 23:02 | クラシックを愛す
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