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深沢亮子

「音楽の友」の連載、今回の「マリアージュなこの1本」のゲストは深沢亮子。
 彼女が行きつけのお店として紹介してくれたのは銀座のウィーン料理のお店、ハプスブルク・ファイルヒェン。
 神田真吾オーナーシェフが腕をふるう、上質なしつらえのお店である。
 この日は、ウィーン風のスープ、グラーシュ、ホワイトアスパラガスと白身魚の一品が用意され、キリっと冷えた極上のウィーンの白ワインが供された。
 深沢亮子は好き嫌いがなく、なんでもおいしくいただくそうで、私が「何かお好きな食材はありませんか?」とお聞きしても、「本当になんでも大丈夫。海外に行って、嫌いなものや食べられないもので困ったことは一度もないの」という。
「でも、この答えじゃ、つまらないでしょ」と、私がレシピを考案するのに悩むのがわかり、気を遣ってくれた。
 ただし、私はなんとか深沢亮子の音楽性と人間性から、あるレシピを思いついた。ページをお楽しみに。
 今日の写真は、シェフの神田さんと談笑する深沢さん。数多くの音楽関係の人がお店を訪れるそうで、共通の友人も多いとか。

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posted by 伊熊よし子 at 22:10 | クラシックを愛す

別府アルゲリッチ音楽祭2023

 第23回別府アルゲリッチ音楽祭が2月25日に開幕し、7月17日まで全14公演が予定されている。
 昨夜は東京オペラシティコンサートホールにおいて、別府アルゲリッチ音楽祭・水戸室内管弦楽団共同制作の「室内オーケストラ・コンサート」が行われた。
 プログラムはプロコフィエフの交響曲第1番「古典的」、ストラヴィンスキーの組曲「プルチネッラ」、コダーイの「ガランタ舞曲」、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調である。
 指揮はベネズエラのエル・システマ出身のディエゴ・マテウス、オーケストラは名手が勢ぞろいしている水戸室内管弦楽団、そしてラヴェルのコンチェルトのソリストはマルタ・アルゲリッチ。
 ディエゴ・マテウスは38歳。オペラとシンフォニーの両面で活躍。現在はヨーロッパとアメリカのさまざまな音楽祭やオペラハウスに招かれて活動している、勢いのある指揮者である。
 水戸室内管弦楽団は通常は指揮者を置かないアンサンブルに定評があるが、今回はマテウスとともに底力を発揮した。
 この夜は、アルゲリッチのラヴェルに期待する聴衆でホールは満杯。出だしからアルゲリッチならではの凛とした鋭角なリズムと、クリアに主題を浮き彫りにする奏法に耳が奪われる。ラヴェルの馨しきエスプリに富んだ作風は、アルゲリッチの生き生きとした高貴なピアニズムでそのすばらしさが描き出され、一瞬たりとも耳が離せない。
 鳴りやまぬ拍手喝采に応え、アンコールに再びラヴェルのコンチェルトの第3楽章を披露し、ほとんど総立ちの聴衆を歓びの笑顔へといざなった。
 別府アルゲリッチ音楽祭は、5月19日(チョン・キョンファが出演)から7月17日まで続く。
 ようやくマスクをしながらではあるものの、「ブラボー!」の声も戻ってきた。うれしい限りである。
 今日の写真は、音楽祭のプログラムの表紙。

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posted by 伊熊よし子 at 17:14 | クラシックを愛す

若き才能の演奏に曲の神髄を知る

 どんなに聴き慣れた作品でも、実力を備えた若き才能の演奏で聴くと、また新たな発見があり、胸が高鳴る。
 4月23日に東京オペラシティコンサートホールで、クシシュトフ・ウルバンスキ指揮による東京交響楽団と共演し、ショパンのピアノ協奏曲第2番のソリストを務めたヤン・リシエツキの演奏も、まさにそういう思いを強くした。
 リシエツキの演奏は弱音の美しさと自然なルバート、情感豊かな響きが大きな特質で、この日もポーランド出身のウルバンスキとの呼吸がピッタリ。ショパンの若き時代の初々しいコンチェルトを馨しい響きで奏でた。
 とりわけリシエツキの美質が生かされたのは、第2楽章のラルゲット。ショパンがコンスタンツィヤ・グワトコフスカに秘めた恋心を込めて書いたといわれる美しい旋律は、リシエツキのような抑制された弱音で奏でられると、旋律美が際立つ。

 5月9日には、同じく東京オペラシティコンサートホールで、クリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団との共演で、佐藤晴真がドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏した。
 佐藤晴真は子どものころからエッシェンバッハに憧れていたそうで、2022年に演奏を聴いてもらい、今回共演のチャンスをつかんだという。
 佐藤晴真の演奏はこれまで何度も聴いているが、このドヴォルザークは、やはり憧れの指揮者と、現在彼が留学しているベルリンの名門オーケストラであるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団との共演ということもあり、気合の入り方が違っていた。
 本当に耳慣れたこうした作品を若手奏者の熱演で聴くと、その作品がみずみずしく、いま生まれたような新鮮さをもって迫ってくる。ドヴォルザークのチェロ協奏曲は旋律が非常に印象深いため、終演後もずっとそのメロディが耳に残り、何日たってもふと旋律を口ずさんでしまうほどだった。
 最近は海外の指揮者もオーケストラも来日が可能になり、数多くの名演が生まれている。
 ようやく日常が戻った感じで、いずれの公演も聴衆の熱い喝采が胸に突き刺さるようだ。

posted by 伊熊よし子 at 22:22 | クラシックを愛す
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