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アリス=紗良・オット

 アリス=紗良・オットは、世界各地のオーケストラのスケジュールを見ていると、いろんなところにソリストとして出演している人気者だ。
 8月25日、26日にはいま話題のフィンランドの指揮者、ヨーン・ストルゴーズ&NHK交響楽団と共演し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏する。
 そして11月には、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮フランクフルト放送交響楽団の日本ツアーのソリストを務め、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏する予定になっている。
 アリスには、デビュー当初からずっとインタビューをし、演奏を聴き続け、すっかり意気投合。毎年、クリスマスカードを送ってくれる。
 インタビュー・アーカイヴの第64回はそのアリス=紗良・オットの登場。やはり初めのころが鮮烈な印象だったので、今回はそのインタビューを選んでみた。

[CDジャーナル 2009年1月号]

名門ドイツ・グラモフォンから国際的なデビューを果たす 日本の血を引く超新星ピアニスト

3歳のころから自分の道は自分で決めてきた

 アリス=紗良・オットの演奏には迷いがない。自分の目指す方向を信念をもって見据え、ひたすら前進あるのみという姿勢を崩さない。それがひとつひとつの音に反映され、疾風怒涛のごとく突っ走っていく勢いを感じさせる。それは5歳のときに「将来はピアニストになる」と、自分の将来を決めたということからもうかがえる。
 そして6歳のときにイースターのプレゼントとして贈られた、ショパンのカセットテープのカバーについていたドイツ・グラモフォンの鮮やかな黄色いロゴに魅せられ、「いつか私もこんな録音がしたい」と願った。その願いが19歳で実現。ドイツ・グラモフォンと契約し、リストの「超絶技巧練習曲集」で国際的なCDデビューを果たす。
 現在、20歳。ドイツ人の父親も日本人の母親も優しく心の広い性格で、自由に育ててくれたが、3歳のころから自分の道は自分で決めてきたため、両親を手こずらせることが多かったという。
「私は辰年生まれのしし座で、石頭のじゃじゃ馬娘なんです。子どものころから言い出したら聞かない性格で、反対されればされるほど燃えるタイプ。3歳のときに両親に連れられてコンサートに行き、そのときに聴いたピアノの演奏に感動して自分がやりたいのはこれだ!と確信したんです。それでピアノを習いたいと両親に訴えました」
 家には母親が弾くグランド・ピアノがあったためすぐにでも弾きたかったが、なにしろ3歳。まだほかの選択肢がいくらでもあると考えた両親は反対し、ピアノのまわりに絵本を高く積み上げて柵を作ってしまった。
 だが、それにめげるアリスではない。親の留守中によじのぼって柵を壊し、ピアノを弾くことに成功。やがて両親はその情熱に負け、4歳からピアノを習わせてくれた。
 ミュンヘンに生まれた彼女は、3歳からユニークなイタリアの教育法を取り入れている幼稚園に通っていたが、この入園の際にも負けず魂を発揮した。
「その幼稚園はドイツ語と英語を教えてくれ、子どもの個性を伸ばすことに重点を置いていました。ですから人気が高く、父親が電話したときには満員だと断られたんです」
 父の横に立って聞いていたアリスは、リダイヤルで幼稚園に自分で電話し、園長に掛け合った。「ぜひ入りたいんです」と。3歳の子が自分で電話してきたことに幼稚園側は驚き、入園はすぐに許可された。それを聞いた両親の驚きは如何に…。
「園長先生は私の個性を伸ばすために、みんなが外で遊んでいるときにひとりでことばのカード遊びをさせてくれ、それが成長につながりました。当時から友だちは男の子ばかり。ままごとや人形遊びは苦手。女の子同士でキャーキャー騒ぐのもダメ。昔から一匹狼なんですよ」
 3歳のころ、彼女は自分の言いたいことが相手に明確に伝わらないことに悩んでいた。ことばではうまく表現できない。それがピアノを弾くことにより、自由な自己表現が可能になった。
 5歳で初めてステージで演奏したときには、聴衆の反応が伝わり、拍手を受けて自分と聴衆とのコミュニケーションに熱い感動を得る。この時点で道は決まった。以後、迷いはなし。これまで挫折もなし。壁にぶつかったことは何度もあるが、それを乗り越えることに喜びを見出し、自分に対しての大いなるチャレンジだと言いきかせてきた。これを乗り越えれば、次に進める。だったら歯をくいしばって進もうと。
「12歳のときからザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学のカール=ハインツ・ケマリンク先生に師事していますが、門下生はほとんど年上で数も膨大。大きなひとつのファミリーのような感じです。レッスンはすごくきびしいのですが、きびしければきびしいほど私には向いている。ぬるま湯状態だとダメな性格なので」
 ここでもアリスの性格が発揮される。正義感が強く、思ったことはすぐに口に出す彼女は、先生と衝突することもしばしば。そのなかで切磋琢磨し、人間性と音楽性に磨きをかけてきた。学ぶ作品についても、はげしいディスカッションが絶えない。
「13歳のときにショパンのスケルツォ第2番を弾きたいと申し出たのですが、難しいからまだ早いと却下された。でも、どうしてもこの作品が好きで弾きたかったんです。先生は技術的な難しさではなく、作品が内包する情感がまだ理解できないからと私を諭したのですが、粘りに粘って許可してもらいました。でも、練習を始めたら、自分のイメージしているように弾くことができず、何度も何度も悔し涙を流しました」

いつも学ぶという姿勢 一回一回のステージが成長の場

 その後、モーツァルト、ベートーヴェン、リストと作品の幅を広げ、数々のコンクールでも優勝、入賞を果たし、世界各地で演奏活動を展開するようになる。そんなアリスがドイツ・グラモフォンからのCDデビューに選んだ作品は、リストの「超絶技巧練習曲集」。全12曲を初めての録音に選ぶことに周囲は反対したが、これもまた押し通した。
「私は全曲弾くことにより、その作品の全体像が見えると考えています。有名な曲だけ弾くのは意味がない。リストのこの作品は、人間のあらゆる喜怒哀楽の感情が詰まったもの。リストは激しい人生を送った人ですが、すごく幸せだったと思う。人生を楽しんで生きていたと思うからです。そんな豊かな感情を表現したかった。これはエチュードでも、人の心を揺さぶる力がある作品だと思いますから。そんな演奏ができたら最高ですね」
 ある作品を全曲演奏することは、子どものころから実践してきた。J.S.バッハの「2声のインヴェンション」は6歳で、「3声のシンフォニア」は7歳のときに全曲勉強した。リストの「超絶技巧練習曲集」は12歳のときに「マゼッパ」と「鬼火」からスタート、徐々に作品を増やしていき、途中で少し離れ、17歳から18歳で全曲を弾くようになったという。
 今後はリストのピアノ・ソナタ ロ短調やベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番、ショパンのワルツ、シューベルトのピアノ・ソナタへと目が向いている。
 各地てでのコンチェルト演奏の機会も多く、2009年1月には井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」で共演、約1カ月の日本ツアーを行う。
「オーケストラとの共演は、最初が肝心ですね。リハーサルの最初の10分で指揮者とオーケストラに認めてもらえなかったら、共演はうまくいかないと思います。そのために懸命に準備をします。オーケストラのメンバーは各々がソリストと同じ。キャリアが長い人が多く、こんなチビッ子が“ソリストです”という顔をしていったらけっしてうまくいかない。ですからいつも学ぶという姿勢、挑戦する心、ステージから何かを得るという気持ちをもって臨むようにしています。私は一回一回のステージで成長していくと考えていますので。本番が大切な勉強の場。最初から心してかからないとなりません。でも、一度認めてくれたら、オーケストラの人たちはずっとサポートしてくれる。だから最初が勝負!」
 リストのアルバムの勢いに満ちたダイナミックな演奏と同様、アリスのナマのステージも、エネルギッシュでポジティブ。聴き手にも大きな元気を与えてくれるような演奏だ。
 趣味は絵を描くこと。今回のCDブックレットには、リストを描いたものが掲載されている。
「あとはピザやパンを焼くこと。いまこれにハマっていて」と、このときばかりは無邪気で明るいリラックスした笑顔がはじけた。

 当時インタビューでは、常に母親が付き添い、難しい日本語になるとお母さんが手助けしてくれたが、徐々に日本語にもインタビューにも慣れ、いまでは完全にプロフェツショナルな姿勢で応じる。
 今日の写真は、その雑誌の一部。いまは髪型も表情もまったく違うよねえ。まさに個性派になった感じだが、このころはまだあどけなさが残っている。


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posted by 伊熊よし子 at 22:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

ケマル・ゲキチ

 先日会ったケマル・ゲキチは、1985年のショパン国際ピアノ・コンクールにおいて、当初は高い評価を得たものの、結局入賞を逃した。
 1989年に来日したときには、そのときの模様を熱く語ったことを覚えている。折しも、今年はショパン国際ピアノ・コンクール開催の年。インタビュー・アーカイヴの第63回は、そのゲキチの登場だ。

[FM fan 1989年10月2日?15日号]

リストの音楽と生き方に共鳴

「本選に残れなかったのは思いもかけぬことでした。そのときすでに本選で演奏するコンチェルトの準備を始めていましたし、まさか落ちるとは思いませんでしたから」
 4年前のショパン国際ピアノ・コンクールを振り返って、ゲキチは一気にこう語った。
 1980年のショパン国際ピアノ・コンクールでは、イーヴォ・ポゴレリチが賞を逃して逆に名をあげてしまったが、1985年の同コンクールでまたもや入賞できなかったピアニストがいま話題である。
 その名は、ケマル・ゲキチ。出身はポゴレリチと同じユーゴスラヴィア。コンクール当時は22歳。下馬評では、「スタニスラフ・ブーニンかケマル・ゲキチのどちらかが優勝する」とさえいわれた。だが、ゲキチの個性的な演奏は審査員に受け入れられず、本選に残ることができなかった。
 しかし、審査員の出した結果とは裏腹に、聴衆と評論家は彼に絶対的な賛辞を送った。
「コンクールの2カ月後にワルシャワ・フィルからの招待状が届き、ぼくが用意していたショパンのピアノ協奏曲第1番を2晩連続で弾かないかというのです。それもコンクールのときと同じホール、指揮者、オーケストラでね」
 こうして彼は再びポーランドを訪れ、センセーショナルな成功を収める。その後、モントリオールでも同様のことが起こり、聴衆が入賞できなかったゲキチのために抗議リサイタルを開いている。
 こんなにも聴衆を興奮させ、熱狂的支持を受けているピアニストなのに、素顔の彼は実に淡々としていて、数々の事件を経験しているとは思えないほどおだやかな話しぶり。
 今回の日本での初レコーディングに関しては、「ぜひリストから録音したい」という彼の強い希望があった。ゲキチは1981年のリスト・コンクールの際、ピアノ・ソナタ ロ短調についての論文を発表している。また、リサイタルのプログラムの6割はリストが占めるほど。
「リストは音楽ばかりではなく、その生き方にも共鳴しています。ぼくも彼のように常に人を愛していたいし(笑)」
 そして収録曲のなかの「フィガロ・ファンタジー」は、ブゾーニ編にさらに手を加えて演奏している。デュナーミクの広さと輝くような音の響き、深く研究した解釈に基づくこれらの曲の数々は、リストのピアノ作品の新しい面を発見させてくれる。だが、今回の来日コンサートではいわくつきのショパンを弾く。それもオール・ショパン・プロ。「これがぼくのショパンだ!」という意気込みが伝わってくるかのようだ。

 先日の食事会のときにも、今年のショパン国際ピアノ・コンクールの話題が出た。私が、「応募者が多くて、第1次予選に出場するまでに何度もいろんな審査を経なければならないのよ」と話すと、「いまの参加者は本当に大変だねえ」と昔をなつかしむような目をした。 
 あれから30年。その間、ショパン国際ピアノ・コンクールは、本当にいろんなドラマを生んできた。さて、今年はどうなるだろうか。
 今日の写真は、ゲキチのインタビューが掲載された雑誌の一部。若々しいよねえ。このころから私はずっと付き合っていることになる。長いつきあいだワ?と、自分の年も考えたりして(笑)。

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posted by 伊熊よし子 at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

マルティン・シュタットフェルト

 マルティン・シュタットフェルトの記事は何度か書いてきたが、やはり最初にシュトゥットガルトでインタビューをしたときの印象が強いため、その記事を「インタビュー・アーカイヴ」の第62回として再現したい。
 
[音楽の友 2005年11月号]

ドイツ・ピアノ界に誕生した超新星 マルティン・シュタットフェルト

「バッハは極端な面を備えている音楽だと思っている」

 いま、ドイツの若きピアニスト、マルティン・シュタットフェルトのデビューCD「ゴルトベルク変奏曲」が大ヒットを記録、そのウェーブがドイツからヨーロッパ各地へと広がりつつある。
 これはシュタットフェルトが2003年10月に自分でスタジオ録音したものをレコード会社に送り、即座にリリースが決定したもの。以後、バッハの「イタリア協奏曲・シンフォニア」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番&第24番」など、次々と録音が行われている。
 今夏は音楽祭への出演が相次ぎ、8月27日と28日にはシュトゥットガルト音楽祭に出演、「21世紀のバッハ」と題したコンサートで「平均律クラヴィーア曲集」を演奏した。
 録音でも感じられたが、彼は作品を完全に自分のものとし、確信をもって弾いている。「ゴルトベルク変奏曲」は、最初は静謐で瞑想的な音の世界が広がるが、次第にジェットコースターのようなスピードを味わうことができる。「平均律」も装飾音から和音、ペダルの活用、オクターヴの使用などに確固たる意志が感じられた。
「ぼくのバッハがジェットコースターのよう? いいねそれ、まさにその通りかも(笑)。ぼくはバッハは極端な面を備えている音楽だと思っているから。静と動、瞑想とエネルギーなど、さまざまな面で非常に異なる要素を秘めている。バッハは卓越した鍵盤奏者だったけど、子どもが練習するための作品を書く面も持ち合わせていた。その二面性に無性に惹かれる」
 
「バッハを弾いていると一種のエクスタシーを感じるんだ」

 シュタットフェルトは2002年ライプツィヒで開催されたバッハ・コンクールにおいて、最年少の22歳でドイツ人初の優勝者となった。
「自分の目指す道が評価されてとても光栄に思った。ぼくは6歳からピアノを始めたけど、7歳のときにはもうピアニストになりたいという気持ちを固めていたんだ。すごく練習が好きな子どもで、もちろん外でも遊んだけど、ピアノの前にすわっているのが一番快適だった」
 コブレンツの近くの小さな村で育つ。父親は獣医で、彼は4人兄妹の長男。時間の制限なしにいつでもピアノが弾ける環境だった。
「6歳のころから《平均律》を少しずつ弾き始めた。もうバッハがたまらなく好きで、愛を感じていた。バッハを弾いていると、一種のエクスタシーを感じるんだ。もちろん音楽に対する愛だよ。危険なヤツだと思わないでね(笑)。バッハ・コンクールのときも、聴衆と愛の交換ができたと感じた。ぼくは音楽を通して自分の考えを聴き手に伝えたい。音楽で対話をしたい。それが愛の交換だと思うんだ」
 おだやかで思慮深い話し方だが、趣味はクルマを飛ばすこと。いまはロシア文学に夢中で、片時も本を離さない。ワインにも目がない。
「バッハの偉大なところは、聴く人それぞれが異なった絵を思い描くことができること。ぼくも深い海にもぐっていくような不思議な感覚を味わう。先日、トーマス・クヴァストホフと共演したんだけど、彼のすばらしいバッハに感動した。やはりバッハは偉大だ!」

 シュトゥットガルトでの演奏は、まさに彼のことば通り、バッハへの愛に満ちていた。音楽祭の会場は宮殿内のホールで、音響と雰囲気がすばらしく、強い印象をもたらした。その翌年、2006年3月9日にはすみだトリフォニーホールで「ゴルトベルク変奏曲」1曲を1日だけ弾くために来日。同年の夏にはザルツブルク音楽祭に出演した。
 このインタビューのあと、彼は愛車を飛ばしてアウトバーンを駆け抜け、自宅へと帰っていった。家ではゆっくりワインをたしなむのだそうだ。
 今日の写真は、その雑誌の一部。長身のスリムな体躯の持ち主で、モデルのよう。先日の来日公演のときも、10年経っているのにその雰囲気はまったく変わっていなかった。ちょっと安心(笑)。

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posted by 伊熊よし子 at 21:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ
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