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シャルル・リシャール=アムラン

 2015年のショパン国際ピアノ・コンクールの第2位入賞と、ソナタ賞を受賞したカナダ出身のシャルル・リシャール=アムランは、成熟した大人の香りを放つ音楽を奏でるピアニストである。
 コンクールのガラ・コンサートで来日したときにも聴いたが、今夜聴いたリサイタルは、まさにピアノ好きをうならせる、情感豊かで味わい深い音楽が横溢していた。
 プログラムはオール・ショパン。ノクターン ロ長調op.62-1、バラード第3番、幻想ポロネーズ、序奏とロンド、4つのマズルカop.33、ピアノ・ソナタ第3番。コンクールで高い評価を受けた作品が多く選ばれていたが、とりわけ鍛え抜かれた奏法、表現、解釈が際立ったのが 序奏とロンドだった。
 この作品をこんなにもじっくりと聴かせる若手ピアニストは稀ではないだろうか。

 そこで「インタビュー・アーカイヴ」第69回は、リシャール=アムランの登場だ。

[ぶらあぼ 2016年5月号]

 2015年のショパン国際ピアノ・コンクールにおいて第2位入賞とソナタ賞(ツィメルマン賞)を受章したシャルル・リシャール=アムランは、弱音の美しい情感豊かな演奏を得意とするピアニストである。彼はカナダのモントリオール出身で、コンクール時は26歳だった。
「ショパンの作品に初めて出合ったのは13歳のときで、《幻想即興曲》でした。それから1年に1曲ずつ学び、徐々に自分のなかでショパンの全体像に近づいていったのです。私はスター性があるわけでもないし、世界中を飛び回る生活も得意ではない。第2位とソナタ賞をいただいたのは、自分としては理想的な結果です。今後はじっくり作品と対峙し、自分のペースを守りながら学びの精神を貫きたい。シンプルな生活が一番ですので…」
 コンクール時には「テディベア」の愛称で親しまれたリシャール=アムラン。無欲で真摯でどっしりとした体躯の愛すべきピアニストだが、演奏は聴き手の心を強烈に引き付ける成熟した美音が特徴。来日公演でも“大人の音楽”を披露し、ピアノ好きをうならせた。
「ショパンはルバートが生命線です。これは時間がゆるやかに巡っていくような感覚で、丸いものを感じます。けっして角ばったものではない。私はルービンシュタイン、リパッティ、ルプーの自然なルバートを感じさせる演奏が好きですね。今後は、自分の存在をこれでもかと見せつけるのではなく、あくまでも音楽の後ろに隠れ、作品時代をじっくりと聴かせるピアニストを目指したい」
 来日プログラムは、もちろんピアノ・ソナタ第3番は欠かせないと考えたが、バランスと調性、つながりを考慮して決めたという。
「コンクールの5カ月前にカナダでショパンのピアノ・ソナタ第3番と《幻想ポロネーズ》の録音をしましたが、まさかこのときはコンクールで入賞できるとは思ってもいませんでした。これまではコンチェルトの仕事も多く、共演したケント・ナガノ、ヤニック・ネゼ=セガンらの指揮者からも助言をいただいています。今後はソロ活動が増えそうで、年間110回のコンサートが入っています」
 リシャール=アムランは、ステージに登場する姿が往年の名ピアニスト、ラザール・ベルマンに似ていると思う。ゆったりと歩を進め、ピアノに向かうと美しい響きを醸し出し、聴き手の心を自然に解き放っていく。彼は大器晩成型のように見える。ピアノ好きの心をとらえる美音、ぜひナマの演奏で体験を!

 今日の写真は、その雑誌の一部。
 リシャール=アムランは、今日のリサイタルのアンコールにショパンの「英雄ポロネーズ」とエネスコの「パヴァーヌ」(組曲第2番op.10より)を演奏した。
 今回の演奏を逃した人は、ぜひ次回こそ、ナマの演奏に触れてほしいと願う。彼の演奏は、きっと30歳、40歳を過ぎてから、より味わいが増すのではないだろうか。





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posted by 伊熊よし子 at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

エリソ・ヴィルサラーゼ

 2014年、11年ぶりに来日公演を行ったエリソ・ヴィルサラーゼ。ユーリ・テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルとの共演、そしてリサイタルとわれわれ聴衆を感動の渦に包み込んだ。
 その来日時、霧島国際音楽祭のコンサートやマスタークラスを控えている彼女に、音楽家としてのポリシーや、指導者としての思いを聞くことができた。
 インタビュー・アーカイヴ第68回は、ヴィルサラーゼの登場。数多くのインタビューのなかでも、とりわけ印象深いひとときとなった。

[音楽の友 2014年4月号]

音楽家であるために必要なこと 

20年間同じ曲を弾いていても、常に作品に新たな息吹を吹き込むという思いが大切。音楽は生き物なのよ。

私のモットーは、常に驚きをもつことなのです。 

 真のピアノ好きに愛されているエリソ・ヴィルサラーゼが、オーケストラとの共演とソロ・リサイタルの両方で1月末から2月にかけて待望の来日を果たし、まさにピアノ・ファンの心を深く魅了する演奏を披露した。
 コンチェルトは自家薬籠中の「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」。ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルとの共演で、冒頭からこれまで聴いたことのないような新しい光を帯びたチャイコフスキーが登場。フィナーレまで作品の奥に潜む本質に迫る洞察力の深さを示した。
 テミルカーノフは、事前に「今回のエリソのチャイコフスキーは、まったく新しい作品に出合うような衝撃を与えるだろう」と語っているが、まさしく彼女の演奏は、聴き慣れた作品とは思えぬ光輝くような新鮮さを与えてくれた。 
 今回は、まずそのチャイコフスキーの話題から開始。まるで異なった作品のように思えたが、特別な版を使用しているのだろうか。
「いいえ、みんなと同じ版よ。特別なものはまったく使っていないわ。私の演奏が新鮮に聴こえたとしたら、それは私の信念が演奏に反映したからだと思います。聴衆が新鮮さを感じないような演奏をする音楽家は、もうステージから去るべきね。20年間同じ曲を弾いていても、常に作品に新たな息吹を吹き込むという思いが大切。音楽は生き物なのよ。マエストロ・テミルカーノフは、今回もまるで30歳の指揮者のような若々しくみずみずしい音楽を生み出したでしょう。これが音楽家たる姿勢であり、感動を呼ぶことにつながるの」
 ヴィルサラーゼはどんな質問に対しても凛とした口調でことばを尽くし、本音で語る。
「私のモットーは、常に驚きをもつことなんです。驚いたり、好奇心をもったり、感激したりという感情をもつことにより、自分のなかの感性が磨かれ、それが音楽と対峙するときにとても役立つわけです」
 たとえば、といって彼女は京都の清水寺の舞台から見た風景を例に挙げた。
「私はあの舞台から見る美しい光景に、いつも息が止まるような思いを抱きます。でも、毎回同じではありません。より深く見て感じて、自分の感情と向き合うから。自然に勝る芸術はないと思いますが、自然の美しさに近いのが音楽だと思います。ですからもう何度弾いたかわからないチャイコフスキーのコンチェルトも、毎回異なる演奏を心がけています。これまでザンデルリンク、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ドラティなど多くの指揮者と共演してきましたが、そのつど違う音楽が生まれます。もちろんこの曲に関してはテミルカーノフとの共演がもっとも多いですね。目指している方向が同じなので、有意義です」

ピアニストはエゴイストなんですよ。でも、それでは教える仕事はできません。


 リサイタルでは「シューマン弾き」と称される彼女の「交響的練習曲」が披露され、ロシア・ピアニズムの伝統を引き継いだ奏法、表現力が遺憾なく発揮された。19世紀から20世紀初頭にかけてのロシアの偉大なピアニストの演奏をほうふつとさせ、アンコールにいたるまで夢のなかにいるような錯覚を覚えた。
「シューマンは8歳のころ《子どものためのアルバム》を弾き始めたのですが、すべての曲が楽しくてたまらなかったわ。以後いろんな曲を弾くようになったけど、シューマンは時間をかけて少しずつ作品に近づいていく作曲家だと思います。急いではダメ。現在はコンピューター社会で、なんでもすぐに調べられ、早く結果が出せるようになり、若いピアニストも早く成功したいと望んでいます。でも、それでは作品の真の意味合いに近づくことはできません。楽譜を深く読み、ひとつひとつの音符、記号をじっくり考え、完全に自分のものにしていかなくては…」
 ヴィルサラーゼはモスクワ音楽院とミュンヘン音楽大学で教鞭を執っているが、最近の生徒はみな時代の変化に振り回されていると嘆く。先生の質も低下しているのが現状だと。
「ピアニストはエゴイストなんですよ。自分が苦労して学んで身につけてきたこと、積み重ねてきたことは他人に譲りたくないものなのです。でも、それでは教える仕事はできません。演奏家と教育者はまるで別物。教えることは責任を伴うし、もっとも大切なのは教えることが好きなこと。いまは先生の質が変化し、残念ながら本気で教えることに命を賭ける人が少なくなっていますね」
 ヴィルサラーゼはトビリシ音楽院教授の祖母アナスターシャ、彼女の親しい友人だったゲンリフ・ネイガウス、そしてヤコフ・ザークから学ぶことができた。そうした人たちの誠意ある教え、音楽と真摯に向き合う姿勢がいまの自分の糧になっているという。
「私は幸運なことに、すばらしい先生に巡り会うことができました。でも、ピアノを本格的に始めたのは8歳で、かなり遅かったですし、祖母は最初のころは身内に教えたがらなかった。そこで私は自分で学ぶ方法を見つけたのです。祖母のお弟子さんが弾く曲を耳からすべて覚えて弾くことができたので、子どものころは楽譜を読むのは大嫌いでした。あるとき祖母が足を怪我して外に出られなくなってしまったため、私は自分で学ばざるをえなくなったのです。そのときに楽譜をしっかり読む訓練をしました」
 このころから「音楽は無限の力をもって聴き手の心の奥に感動を届けることができる」と信じ、作品の本質に迫っていくようになる。
 ヴィルサラーゼの演奏が聴き手の心を強く捉えるのはこうした考えゆえだろう。彼女はひとつひとつの音符、フレーズ、リズムなどに時間をかけて対峙し、その音楽がもつ性格や法則をとことん探求していく。
「焦りは禁物」と何度も口にし、けっして同じ演奏はしない、常に新鮮でありたいという。最後にひとこと、「ひとつのシーズンである曲を取り上げたら、しばらく置いておく。10年後にまたそれを弾くと驚きがあるのよ!」。これがエリソ・ヴィルサラーゼの音楽の神髄ではないだろうか。

 このインタビューの数日後、あるパーティでヴィルサラーゼに会った。すると、「あらあ、この間はありがとう」といって、強く抱きしめてくれた。
 こちらがお礼をいうべきなのに、逆にいわれてしまった。
 なんと温かく、ヒューマンで、優しく、寛大な人なのだろう。こういう人に指導を受けるピアニストは、とても幸せだ。レッスンはとてもきびしいといわれているが、それこそヴィルサラーゼの身上である。
 今日の写真は、その雑誌の一部。真っ黒な髪のボブスタイルが、彼女の個性を際立たせている。


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posted by 伊熊よし子 at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

アレクサンドル・タロー

 アレクサンドル・タローのインタビューは、そのつど記憶に残るもので、特にラモーやクープランの録音をリリースしたころのことが印象深い。
 そこで「インタビュー・アーカイヴ」の第67回は、タローの登場。ショパンの「ワルツ集」が出たころだった。

[婦人公論 2007年12月22日&2008年1月7日号]

完璧主義者の表現力

 チェロのジャン=ギアン・ケラスのよき音楽仲間であり、録音でも共演しているフランスのピアニスト、アレクサンドル・タローが10月末に来日、緻密で成熟したテクニックと、深い表現力に満ちた演奏を披露し、ピアノ好きをうならせた。
 1968年生まれ。パリ国立高等音楽院を卒業後、ミュンヘン国際コンクールをはじめとする数々のコンクールに入賞し、ソロ、室内楽の両面で活躍するようになる。
 とりわけフランス作品を得意としているが、名前が広く知られるようになったのは2001年にリリースした「ラモー作品集」。18世紀前半にパリで活躍したジャン=フィリップ・ラモーの鍵盤作品を、貴族的でオペラティックな雰囲気をたたえながらも、近代的な奏法、斬新な解釈で演奏、ヨーロッパで「タロー現象」と呼ばれるブームを巻き起こした。
 次いでリリースされ、またもや人々に衝撃を与えたのは、ラモーと同時代にパリで活躍したフランソア・クープランが、クラヴサン(チェンバロ)のために作曲した「クープラン作品集」。この両者の作品を来日公演でも披露、美しく繊細なタピストリーを織り込んでいくような、熟練した職人芸とも思えるピアニズムを聴かせた。
「ルイ王朝時代の楽器は現代のピアノとはまったく響きが異なるため、アプローチを変えなくてはなりませんが、弱音の出しかた、やわらかな音の表現など、学ぶべきことは多い。最初はもちろんどう表現したらいいかわからず、とまどうことも多かったのですが、徐々に作品の奥深さに魅了され、のめりこんでいきました」
 タローの奏法は、完璧なるテクニックが根底に存在し、その上に多彩な色彩と自由に彩られた音色が躍動感をもってちりばめられている。リズム、タッチ、フレーズの作り方が実に個性的で、装飾音がきらびやかに、ナイーブな感覚を伴って舞い踊っている感じである。
 まさに大人の音楽、ピアノを聴き込んだ人たちが、さらなる刺激と感動を求めて聴くピアノである。その成熟度が遺憾なく発揮されたのが、アンコールで演奏されたショパンのワルツだった。これもすでに録音されている。
「子どものころからずっとショパンを愛してきました。ところが数年前、クープランの楽譜と出合い、両者の音楽にさまざまな類似点があることに気づいたのです。ふたりともからだが弱く、生きる希望を作品に託した。大音響の音楽ではなく、気品あふれる繊細な響きで鍵盤をうたわせるような作品を書きました。これらの響きがドビュッシーらのちの世代の音楽家に大きな影響を与えています。私は昔からピアノを人間の声のようにうたわせたいと考えてきましたから、彼らの曲作りの基本精神に共鳴したんです」
 タローの話しかたも、演奏同様の静けさと繊細さと流れるようなある種のリズムを持っている。そして、気難しさも随所に顔をのぞかせる。
 完璧主義者ゆえの苦悩がそこには感じられる。次なる録音はショパンの「24の前奏曲」だそうだが、録音に関しては楽しさは味わったことがないという。
「録音というのはその瞬間の音楽を切り取ったもの。リリースされたらもうやり直しはきかない。もっとああすればよかった、と常に痛みが伴うものなのです。ひとつのレコーディングが終わってリラックスし、幸福な時間が訪れるかと思うと、けっしてそうではない。CDが店頭に並んだとき、それはもう私の手から離れ、すぐに次なるプロジェクトの準備にかからなくてはならないんです」
 そんな彼のほんの少しの幸福な瞬間は、プールで泳ぐとき。いずれの地でも週に3回は泳ぐ。
「無の状態になれるから。音楽以外にこれといった趣味もないので、プールが友だちです(笑)」
 もうひとつ、タローを特徴づけているのは自分のピアノをもたず、友人の楽器から楽器へと渡り歩いて練習していること。
「この方が集中できるんです。弾きたくてたまらなくなるから。愛しい人に会いたい気持ちと同じです」
 
 今回のインタビューでも、この練習するピアノを求めてあちこち渡り歩く話になった。そこには、思いもかけない場所が登場し、とても興味深かった。少し先の「音楽を語ろうよ」で、紹介します。
 今日の写真は、2007年から2008年にかけての雑誌の一部。彼は最初に会ったときからまったく体形が変わらない。聞くところによると、常に57キロをキープしているそうだ。

タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ
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