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クラウス・フロリアン・フォークト

 明日からいよいよ「タンホイザー」が始まる。
 そこで、「インタビュー・アーカイヴ」第74回は、クラウス・フロリアン・フォークトの登場。「タンホイザー」のタイトルロールをうたう。

[日経新聞 2012年6月28日 夕刊]

聴き手を別世界へといざなうテノール、
クラウス・フロリアン・フォークト


 この6月、新国立劇場でワーグナーのオペラ「ローエングリン」が全6回上演された。主役をうたったのは、いまヨーロッパで大ブレイクしているヘルデン・テノール(華麗さと量感をもってオペラの英雄的役割をうたうテノール)、クラウス・フロリアン・フォークト。ドイツ出身の彼はハンブルク・フィルの第1ホルン奏者としてキャリアをスタートさせたが、声のすばらしさを見出され、やがて歌手に転向した。

10年かけて役を磨く

 オペラ歌手として活動を開始したのは1997/98年シーズン。フレンスブルク歌劇場で腕を磨き、やがて国際舞台へと飛翔していく。「ローエングリン」をうたったのは10年前。エアフルトの歌劇場が初めてだった。
「最初はオーケストラとのやりとり、指揮者や演出家の指示など、さまざまな面での対処が難しかった。この役は長時間にわたり声のコントロール、体力、精神面など多くのものを要求されます。ワーグナーは声の色彩、歌詞の発音、ダイナミズムなどすべてにおいて幅広いものを求めて作品を書いています。それを10年かけて一歩一歩経験のなかから会得してきました」
 
チームプレイを好む

 今回の「ローエングリン」では、声の響き、歌詞の表現、演技などあらゆる面で傑出し、聴き手を異次元の世界へと運ぶ幻想的な舞台を作り上げた。10年の成果がそこには宿っていた。
「私のモットーは毎回異なる歌を披露すること。いつも新鮮な気持ちで舞台に臨み、2度と同じ演奏はしません。それがオペラの醍醐味ではないでしょうか。うたっている間は日常生活から切り離され、別世界へと旅に出ているような気分。聴いてくださるかたと一緒に旅に出るわけです。オペラは始まってみないとどんな演奏になるかわからない。その日の調子が物をいうからです。共演者とみんなでひとつの物を作り上げていく、そこに一番の魅力を感じます。私はチームプレイが大好きで、オーケストラで演奏しているときも楽しかったのですが、いまも毎回演奏を心から楽しんでいます」
 フォークトはこれまでモーツァルト「魔笛」のタミーノからコルンゴルト「死の都」のパウルまでさまざまな役をうたってきたが、それらの得意とする役を1枚のCDに収めた。題して「ヘルデン」(ソニー)。ここには本人が何度も口にする、「声と表現の幅広さ」を要求される役が詰まっている。
「私は楽譜に書かれた音符をこまかく見ていくようにしています。付点音符から休符まで、作曲家が意図したことは何かと探求していく。そして呼吸法も大切です。ホルンを吹いていましたから歌手になったときは呼吸法の訓練がずいぶん役に立ちました」 
 来春の「東京・春・音楽祭」では、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のヴァルターをうたう予定。これもフォークトの当たり役である。
「ワーグナーは声のために作られた作品が多い。楽譜に忠実にうたうと、なんと歌手にとって自然な曲なのだろうと感動を覚えます。来年、よりうたい込んだヴァルターを聴いてください」

 このインタビューから、はや5年。そのフォークトが、テノールの難役といわれるタンホイザーに挑む。ワクワクする思いだ。
 今日の写真は、新聞の一部。いつもふわりとした長髪だが、今回の来日記者会見でも、素適なヘアスタイルだった。

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posted by 伊熊よし子 at 18:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

チョン・キョンファ

 1月28日、チョン・キョンファがサントリーホールで行った「J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&無伴奏ヴァイオリン・パルティータ全6曲」のリサイタルは、心の奥に響く圧倒的な存在感を放っていた。
 彼女の真摯に作品と対峙する思いが痛いほど伝わり、磨き抜かれたテクニックに支えられた、一徹な気概が横溢したリサイタルとなった。
 第1番と第2番の間に15分、第2番と第3番の間に20分を休憩をはさみ、約3時間というもの、怖いまでの集中力を維持し、ほとんどからだを動かさない奏法でバッハの内奥へとひたすら迫り、ホールの隅々まで緊迫感のある音色を響かせていった。その演奏は、何日たっても色褪せることない。
 チョン・キョンファはこのバッハを演奏するにあたり、2016年7月6日、インタビューに答えてバッハ観をことばを尽くして話している。インタビュー・アーカイヴ第73回はそのチョン・キョンファの登場だ。

[intoxicate 2016 October]

苦難のときを超え、満を持して全曲録音に挑んだチョン・キョンファのバッハ 

 幼いころから音楽に類まれなる才能を示し、「神童」と称され、特別な教育を受けて実力を伸ばしてきた韓国出身のヴァイオリニスト、チョン・キョンファ。12歳で渡米し、ジュリアード音楽院で名ヴァイオリニストたちに師事し、19歳でエドガー・レヴェントリット国際コンクールに優勝して国際舞台へと躍り出た。以来、怖いまでの集中力に富む、深い表現力に根差した完璧なる演奏は各地で高い評価を得、全身全霊を賭けて演奏する情熱的な姿勢に世界中のファンが魅了された。
 だが、2005年に指のケガに見舞われ、5年間まったくヴァイオリンが弾けない状況に陥る。この間は後進の指導にあたるなど若い音楽家の育成に尽力した。復帰は2011年12月。演奏は洞察力に富み、情感あふれる響きとなり、ヒューマンな音楽へと変貌を遂げた。いまや各地から演奏のオファーが相次いでいる。 
 2013年6月には15年ぶりの来日公演が実現、聴衆に深い感動をもたらした。さらに2015年にも来日し、4年間デュオを組んでいるケヴィン・ケナーとのデュオでベートーヴェンのソナタをじっくりと聴かせた。
 チョン・キョンファといえば、野生動物を思わせるような本能的な演奏をする人、俊敏で情熱的で一気に天に駆け上がっていくようなはげしい演奏をする人、というイメージが定着していた。しかし、インタビューではひとつひとつの質問にことばを選びながら真摯な答えを戻し、静かにゆったりと話す。ただし、時折熱を帯びてくると声高になり、早口になり、口調も音楽と同様テンションが上がっていく。
 そんな彼女が長年の夢であるJ.Sバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとバルティータ」全6曲をリリース(ワーナー)した。
「この作品は私の人生の糧ともいうべき作品。ニューヨーク時代に14歳くらいで弾き始めたけど、本当に理解することが難しかった。特にフーガは大いなるチャレンジだったわね。全体の流れを大切に、ヴィブラートを抑制しながら弾いていく。自分のなかで各々の作品を完全に咀嚼し、音にしていく過程はとても困難だった。でも、長年に渡り、ずっと弾き続け、勉強を続けてきたわけ。今回は勇気を出して、いま演奏するべきだと自分にいい聞かせ、全曲録音に挑戦したというわけ」 
 とりわけ愛しているのが、ソナタ第3番のフーガである。フーガに関しては、当初からさまざまな悩みを抱え、あらゆる奏法をガラミアン教授から学び、自身で内容と解釈と奏法をひたすらきわめていった。ここに聴くフーガは、長年の研鑽と研究の賜物である。
「このバッハは、聴いてくれる人たちへの私からの“ギフト”なの。私が楽器を弾けない時期にバッハに救われ、音楽から贈り物を与えられたことを考え、今度は私が演奏で多くの人に贈り物を届けたいと思ったの」
 彼女は、ヴァイオリンが弾けなかった時期に、頭のなかでバッハの楽譜と対峙したという。楽器に触らず、楽譜の隅々まで読み込み、イメージを広げていく。その作業が、いまは大きな成果と役割を果たしていると語る。
「演奏家は、どうしても楽譜を深く読むことより、先に楽器を手にして弾き始めてしまう。でも、譜面をじっくり読み、頭のなかで音楽を鳴らすこと、想像すること、考えることはとても大切なことなの。楽器が弾けない時期に、私はこの精神を学んだのよ」
 ここに聴く全6曲は、楽譜の読み方を変え、作品のイメージをふくらませ、バッハにひたすら近づいた演奏。ひとつのソナタ、ひとつのパルティータがチョン・キョンファの声となり、語りとなり、歌となって聴き手の心にゆっくりと浸透してくる。
「こうした偉大な作品は、人生とは何か、なぜ私はここにいるのか、どこからきてどこへいくのか、どう生きるべきかという人生の命題を突き付けてくる。それを私は音楽で表現し、聴衆とその精神を分かち合いたいのです」
 まさに彼女の心からの“ギフト”である。

 今回の演奏中、キョンファは風邪のためか咳き込んで止まらなくなってしまった。しばらくステージで咳をしていたが、舞台袖に戻ることも、水を飲むこともせず、やがてその曲を最初から弾き始めた。
 以後、集中力はより高まり、最後まで咳はまったく出ることなく、一気に弾ききった。すさまじいまでの精神力の強さである。
 終演後、楽屋で少しだけ話をし、写真を撮ったが、疲労困憊している表情だったため写真をアップするのはやめにした。
 今日の写真は、インタビューが掲載された雑誌の一部。


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posted by 伊熊よし子 at 21:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

シューラ・チェルカスキー

 これまで多くのアーティストにインタビューを行ってきたが、時折ものすごくユニークで、型破りな人に出会う。
 インタビュー中、「これはいったい記事になるのだろうか」と心配するほど、奇人変人ぶりを発揮する人もいる。
 なかでも、シューラ・チェルカスキ―は忘れがたい印象を残している。チェルカスキ―(1909?1995)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。私が会ったのは最晩年だが、いまでもそのインタビューのときの様子は鮮やかに脳裏に蘇ってくる。
 インタビュー・アーカイヴ第72回は、そのチェルカスキ―の登場だ。

[ショパン 1993年4月号]

自由にマイペースで生きることができる人ってうらやましい!

 今年84歳を迎えるチェルカスキ―が、例年通り真冬の日本にやってきた。今回もレパートリーの広いチェルカスキ―らしく、バッハからペリオまで幅広い作品を聴かせてくれた。
 各会場ではアンコールを求める拍手が鳴り止まず、チェルカスキ―は5曲も続けて演奏。それでもまだまだ演奏可能なそぶりを見せるかくしゃくぶり。このエネルギーはいったいどこからくるのかと不思議に思っていたら、なぞはインタビュー中に解けた。彼はひたすらマイペースの姿勢を崩さなかったのである。
 それも“超”のつくマイペース。これはいくらことばで表現しても真の姿は伝わるものではない。
 そこで今回は、いつもと少々趣向を変えて、チェルカスキ―の素顔を忠実に伝えるべく、インタビュー中の様子をそのまま再現してみた。

――先日はすばらしい演奏を聴かせてくださって、ありがとうございました。チェルカスキ―さんは、演奏の前は何か縁起をかつぐというか、おまじないというか、特別にしていることがおありとか…。
チェルカスキ―(以下C) いや、縁起をかつぐというよりもすべて一分の狂いもなく物が並んでいないと気がすまないんだよ。ピアノ、せっけん、プログラムなどすべてがね。それと練習するときにきっちりと時間を計る時計がないと絶対ダメ。これを日本人はきちんと守ってくれるから、100パーセント信頼できる。日本人は私と似ている面が多いので気が合う。ここのホテルでも、日本人がいかに先を見越して行動するかを見ることができて楽しい。朝食のときだって、おつりをすぐに渡してくれるし、こういう点がヨーロッパじゃ遅いからねえ。
 日本人は常に先のことを考えるでしょ。私は、20年前に食事したけど覚えているかとか、妹を覚えているかとか、そういう過去の話はまったく興味がない。過去は振り返らず、いつも先のことを考えていたい。ただ例外は過去に犯した過ちを2度と繰り返したくない、それだけだよ。
 ここまで話がくるのに、実は大変なまわり道をした。私がセットしてあるテープレコーダーを見ては、「あっ、私もこれと同じのをもっているよ」と、突然席を立ってテレコをもちにいってしまったり(そのテレコは私の物とは似ても似つかぬ物だったが)、初めて来日したときの演奏会の様子を聞いたら、案の定、過去の話は興味がないらしく「あのときは帝国ホテルに泊まってね、そのときの朝食が…」と、すぐに音楽から話が逸れてしまう。
――雑誌「ショパン」は、今年創刊10周年を迎えます。それからチェルカスキ―さんの新譜もショパンのピアノ・ソナタ第2番、第3番ということで、ショパンのピアノ・ソナタについてお話を伺いたいのですが…。
C ショパンっていうと、おもしろい話があってね、ひとつはジョークなんだが…。
――(あっ、また見事にかわされた)
C アメリカの田舎の家族が大金を手にしたけど、使い道がわからなくて、毎週水曜日に人を招いて豪華なディナーを開いたんだよね。しばらくしたら、主人の耳にみんなが彼の奥さんをバカにしているという噂が伝わり、彼は妻に余計なことはいわないようにと釘を刺した。
 ところが、その夜のディナーで、「ショパンはお好きですか」と聞かれた奥さんは、「ああ、彼なら2週間前、8番のバスのなかで見かけたわ」と答えてしまう。それを聞いた主人は、テーブルの下で妻の膝を蹴った。そして怒りの目を向けた奥さんに、「バカ、8番のバスはもう走っていないのを知らないのか」といったんだ。
――ああ、またまた話がどんどん逸れていってしまう。この後、チェルカスキ―は今度は本当にあった話、といって真面目な顔をし、彼がマヨルカ島にいったときの話を始めた。 
 それはショパンの直系の家族にあたる人がチェルカスキ―の演奏を聴き、彼のことを有名なピアニストとは知らず、「そう、ショパンはこう弾くべきなのよ」といってくれたので、とてもうれしかったということだった。
 でも、この間も「ちょっと暖房暑くない? 私はこれくらいじゃないとダメなんだけどね。毎朝泳いでいるんで」といいながら、立ったりすわったり。
 さらに、生まれ故郷のオデッサの音楽事情を聞こうとしたら、話はモスクワに飛び、チャイコフスキー国際コンクールまで一気にいってしまった。
――国際コンクールの審査員はなさっていませんが、チャイコフスキー国際コンクールでしたら、引き受けるつもりはありますか?
C あっ、この前優勝したのはだれだっけ? ボリス・ベレゾフスキー? ああ、知っているよ、その人。確か、ロンドンのアルバートホールで演奏したと思う。
――(ハズシ方がプロですよね)
C うん、実にうまかったなあ。だけど、音響がよくなかったのか、ときどきオーケストラの音にもぐっちゃって聴こえなかった。
――チェルカスキ―さんは、演奏する際に、そのときどきのインスピレーションを非常に大切にされるということですが、そのインスピレーションとは作品や演奏する場所、または指揮者との共演などに左右されるものでしょうか。
C 特にインスピレーションはないけど、心を動かされる場所というのはある。私はね、大きな都市か、反対に海辺とか田舎とか、そういう静かなところが好きなんだよ。中間はないね。そうそう、札幌はまだいったことがないなあ。とても大きな都市だと聞いているから、ぜひいってみたいんだが。

 そんなこんなで1時間のインタビューは過ぎ去ってしまった。いったい何を聞いたのか自分でもよくわからないし、中身がまったくなくて読者の方々にはとても申し訳ないと思う。しかし、ひとつだけわかったことは、チェルカスキ―という人は、自分に興味がある話には耳を傾けるが、少しでも興味がない話題は自然に耳を通り過ぎていってしまうことだ。
 だが、それがけっして嫌味であるとか、故意でないことははっきりしている。すべてをユーモアに変えてしまい、周囲を温かい雰囲気に包み込んでしまう。これはもう天賦の才能としかいいようがない。
 とにかくピアノを弾いているときが最高で、他のことはまったくかまわない。住んでいるのもホテルで、楽器と楽譜とごく身のまわりの物だけに囲まれ、ぜいたくは好まないらしい。そしてステージにすべてを賭ける。
 そんなチェルカスキ―は、最後に「オデッサでチャリティ・コンサートをするのが夢だ」といった。これはぜひ実現してほしい。その話題だったら、話を逸らさず、きっとまともに答えてくれるだろうな。
 ああ、自由にマイペースで生きることができる人ってうらやましい!

 今日の写真は、その雑誌の一部。写真撮影のとき、ピアノの前でポーズをとってほしいと頼んだら、ネクタイをしていないことに気づき、わざわざ時間をかけてステージ衣裳に着替えてくれた。う?ん、こんなことをしてくれる人も初めてだ。



 
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posted by 伊熊よし子 at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ
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