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ピーター・ウィスペルウェイ

 先日ブログに綴ったように、オランダのチェリスト、ピーター・ウィスペルウェイのインタビューは、とても興味深いものだった。
 そこで、「インタビュー・アーカイヴ」の第76回はウィスペルウェイの登場だ。

[音楽の友] 2008年4月号

 2月3日の日曜日、東京は朝から雪が深々と降る寒い日だったが、紀尾井ホールで行われたピーター・ウィスペルウェイのJ・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会は、冒頭から静かなる熱気に包まれた。
「この作品は力強く、地に足が着いた精神の落ち着きが見られる一方、生の躍動感がみなぎっています。舞曲を深く理解し、遊び心や歌心などさまざまな要素をバランスよく演奏に盛り込んでいかなければなりません。長年弾いていると解釈、表現は変化してきますが、各々の要素をどう混ぜ合わせるか、どんなカクテルを作り上げるかが重要になります」
 ウィスペルウェイは長年フランス製の楽器を使用していたが、数年前イギリスで発見された「奇跡のチェロ」と称されるグァダニーニの1760年製のチェロを手に入れた。
「以前はバロック・チェロで演奏し、ビルスマ、プリースに師事して基礎をみっちり学びました。でも、あるときイタリアの楽器を無性に弾きたくなった。その衝動が抑えられず、オークションでグァダニーニを手に入れたわけです。ええ、もちろんものすごく高い買い物でしたよ。同じ週に家も買ったんです。クレイジーでしょ(笑)。あとの支払いも考えずにね。今回はこのモダン・チェロでバッハを弾きました。弦や弓の材質はバロック・チェロと異なりますので最初は奏法を会得するのに苦労しましたが、基本スタイルは同じです」
 1月31日には録音で高い評価を得ているドヴォルザークのチェロ協奏曲を披露したが、流麗で深々とした演奏は、作曲家の生地ネラホゼヴェスの緑豊かな景観を連想させた。
「このコンチェルトは出だしから気合いを入れ、思い入れたっぷりに演奏する傾向が見られますが、これはシンプルに演奏することが大切だと思います。作曲家は多くのメッセージを作品に込めました。演奏はその語りを雄弁に物語らなくてはならない。でも、技巧を見せつけたり、表現過多になるのは避けなければ。それは大いなる知性が宿っているからです。高らかに旋律をうたいあげるときにも、ある種の抑制した知性が必要となる。オーケストラとの対話も非常に重要ですね。特に第2楽章はリリシズムがあふれていますから」
 師のビルスマもプリースも、どんな作品を演奏するときも創造的な芸術形態をもつことが大切だと教えてくれた。それを座右の銘としている。
「グァダニーニを手にしてから、すべての作品を一から学び直しています。それが私の好奇心を満たしてくれるからです。そして常に新しい方向、新しい道、新しい自分を探しています。見慣れた楽譜でも何か発見はないか、新鮮な驚きはないか、という目をもって探究しています」
 その好奇心は見知らぬ町の探索にも表れる。ウィスペルウェイはホテルで地図をもらい、新宿から下北沢、飯田橋、千駄ヶ谷と7時間ウォーキング。いろんな発見があったと目を輝かせる。スリムな体型は、きっとこの長時間の散歩の成果かも‥‥。

 今日の写真は、その雑誌の一部。今年もバッハをはじめとする無伴奏作品を聴かせてくれたが、まさに至高の音楽だった。

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posted by 伊熊よし子 at 22:11 | インタビュー・アーカイヴ

マティアス・ゲルネ

[ヤマハWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」]2014年7月23日

[アーティストの本音トーク マティアス・ゲルネ ?]


 マティアス・ゲルネはひとつの歌曲をうたうとき、徹底的に作品を研究し、歌詞の内容に寄り添い、ピアニストとの音の融合を図り、旋律と詩との有機的な結びつきを極めていく。
 そこには完璧主義者としての顔がのぞく。それは子ども時代に培われた性格なのだろうか。
「子ども時代はワイマールで過ごしました。とても自由で、いま思い出してみると、独特の空気に包まれていたような感じがします」
 ゲルネはこういって、目を遠くに泳がせるような表情をした。それは自身の思い出をたどっているようにも見えた。
「ごく最近、おもしろいことがあったのです。母が1枚の古い写真を送ってくれたのですが、もうそれを見た途端に爆笑してしまいましたよ。すっかり忘れていたんですが、急にそのときのことが鮮やかに蘇ってきました」
 それはゲルネが3歳のころの写真で、幼稚園のカーニヴァルに参加したときのものだった。その日は、みんなが仮装することになっていた。
「母は私に“何になりたいの“と聞きました。インディアン、カウボーイ、パイロットなどと聞くのですが、私はいやだいやだといったんです。どれも私か着たいコスチュームではありませんでしたから。母は困惑して、”じゃ、いったい何になりたいの“と聞きました。すると私は、はっきり”赤ずきんちゃん!”といったのです。母は驚いて“な?に、本当に赤ずきんちゃんがいいの”と再度聞きました。私はハイと答え、赤ずきんちゃんのコスチュームを着てカーニヴァルに参加したわけです。母が送ってくれたのは、そのときの写真だったんですよ(笑)」
 ゲルネの話を聞いた途端、インタビューに居合わせた全員が大笑いし、しばらく笑いが止まらなかった。ぜひ、その写真を見せてほしいものだ。
 体躯堂々としたゲルネが、幼少時代に「赤ずきんちゃん」に変装したとは、想像を絶する。彼はそんな子ども時代を「独特の空気」ということばで表現したのだろう。
「すごくいい子ども時代だったと思います。私の要望したことがそのまま“いいよ”といわれる環境だったわけですから。子どもというのは、はっきりした希望をもっているため、それが受け入れられることがとても重要になります。私はけっして子どもらしさの芽を摘まれることがなかったのです。そう、折られることがなかった。親が子どもに何かを強制したり、否定したりすることがなかったんです」
 それはライプツィヒで最初に師事した声楽の先生、ハンス=ヨアヒム・バイヤーの教えにも共通していたことだという。
「先生は、お前はダメだとか、個性をいじる人ではありませんでした。何が正しいか、何が正しくないかを教えてくれ、まちがっていることははっきり指摘されました。私は子どものころからとてもわがままな性格で、一度いやだと思ったら絶対に引かない。そんな私を先生はよりよい方向へと導いてくれました」
 そうした子ども時代に培った精神は、いまなお彼の仕事ぶりに現れ、シューベルトの録音シリーズでも大いに発揮されている。
 さらに次なる大きなプロジェクトとして、シューベルトの「冬の旅」を京都賞を受賞した南アフリカの美術家、ウィリアム・ケントリッジの映像とのコラボレーションでうたうという計画も進められている。
 これは6月9日にプレミエが行われ、ウィーン、エクサンプロヴァンス、アムステルダム、パリ、ニューヨーク、ドイツの各都市などで5年間にわたって展開されるプロジェクト。ドイツ・リートの新たな地平を拓くゲルネの挑戦は、ここからまた快進撃が続く。
「このプロジェクト、ぜひ日本でも実現させたいんですけどね」
 目力の強いゲルネの表情が、なお一層強い光を放って見えた。
 



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posted by 伊熊よし子 at 14:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ

マティアス・ゲルネ

[ヤマハWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」]2014年7月17日

[アーティストの本音トーク マティアス・ゲルネ ?]

 マティアス・ゲルネは自身が完璧主義者ゆえ、リートで共演するピアニストに対しても非常に要求が高い。実際に、ピアニストにはどんな演奏を希望するのだろうか。
「私はピアニストではないし、あまりピアノは上手ではないのですが、これまで数多くのすばらしいピアニストとの共演を重ねてきましたので、ピアノに対する理解は深まっています。テクニック面では何もいえませんが、結局、ピアノの技術というのはその人の内面がすべて現れるものだと思います。その内面と私の音楽に対する姿勢が、お互いに正しいものだと判断できれば、多くのことが可能になるわけです」
 ゲルネは2001年から2005年までデュッセルドルフのロベルト・シューマン音楽大学で名誉教授を務め、歌曲科で教鞭を執っていたこともあり、そのときにも声楽専攻の学生とともにピアノ専攻の学生による演奏も多数聴いている。そうした経験を踏まえ、ゲルネは「指導するときは、歌手のみならず広い視野に立って教える」という。
「実は、3週間後にハンブルクでコンサートが予定されているのですが、そこにとても才能のあるヴァイオリニストがピアニストとやってくるため、その指導をすることになっています。もちろん、私はヴァイオリニストではないため、弦楽器の技術は教えられませんが、彼らと一緒にヴァイオリン作品の勉強をします。フレージングやアーティキュレーションに関しては、いずれの作品にも共通項がありますからね。豊富な経験と、楽譜の深い読み、そして豊かな音楽性をもった音楽家は、作品全体を見渡す目が備わっているものです。そうした目は、ひとつの作品の大きな鳥瞰図を描くことができます。私はそれを目指しているのです。指揮者がコンチェルトの演奏でピアニストやヴァイオリニストとともにいい音楽を作り出そうとするのは、そうした考えに基づくもので、そこでは指揮者の解釈が問われます。私もそれと同様のことを試みようとしているわけです」
 ゲルネは、2008年からシューベルトの歌曲を網羅した録音プロジェクトを実践している。これは全11巻で構成され、巻ごとに彼が信頼を寄せているピアニストと共演する形を取っている。現在は8巻まで進行し、2014年秋には「冬の旅」がリリースされる予定だ(キングインターナショナル)。
「このプロジェクトは私がすべて計画し、レコード会社に提案しました。ピアニストに関しても、この巻はこのピアニストというように決めてアイディアを出したのです。各巻のプログラムは、ピアニストに合わせて作ったといった方が的確かも知れません。長年、多くのピアニストと共演していますし、よく知っている人ばかりですから、この曲はこの人だな、とわかるのです」
 ピアニストのスケジュールもあるのだろうが、ゲルネはあらかじめこの人と決めて事後承諾で計画を進めたそうだ。この強引とも思えるほどの実行力、確固たる自信、積極性、説得力など、ゲルネの「自分を信じる」「正しいと思うことをする」という信念は、いっさい迷いがない。その強い気持ちが全面的に演奏に反映し、聴き手を納得させてしまう。
 さて、次回の最終回は爆笑ものの子ども時代の話と、次なる夢を語ってもらいたいと思う。

 今日の写真は、2016年2月の来日公演で共演したピアニスト、アレクサンダー・シュマルツと。


タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 14:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | インタビュー・アーカイヴ
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