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マリア・ジョアン・ピリス

 先日、マリア・ジョアン・ピリスの引退公演を聴き、深い感動が胸に迫ってくるのを感じた。
 ピリスには長年に渡ってインタビューを行い、さまざまな話を聞いてきた。
 かなり前のことになるが、彼女がポルトガルのベルガイシュ村に拠点をもって教育活動を行っていたとき、ひとりのピアニストとして人間としてのピリスを取材し、さまざまな形で紹介し、軽井沢でその活動を再現するようなプロジェクトが企画された。
 数人のチームが結成され、私は取材とインタビューとすべての記事を担当することになった。そして何度かチームでの話し合いがもたれたが、ピリス側とのやりとりが困難を極め、日本側の考えとピリス側の考えが微妙に食い違い、その溝がどんどん深まってしまい、企画はすべて白紙に戻される形となってしまった。
 以来、来日するごとにピリスは私に「どうして、あのプロジェクトはあんなにこじれてしまったの? 一番の理由は何なのよ」と詰め寄られたが、私が答える立場にはなかったため、明快な返答はできなかった。
 いま思い返してみても、いい企画だったのに、残念で仕方がない。
 そのころ、ピリスはNHKテレビ「スーパーピアノレッスン」の講師を務めることになった。そのテキストにピリスのことを綴った。「インタビュー・アーカイヴ」の第78回は、それを紹介したいと思う。

[スーパービアノレッスン]2008年夏

 音楽は人生を豊かにし、人々を救う力があると信じているピリス。演奏のみならず教育や社会活動も行い、人間同士の触れ合いの大切さを説く。夢はシューベルトが親しい友人を集めて行っていた「シューベルティアーデ」のような小規模で親密な演奏会で、音楽、演劇、舞踊などあらゆる芸術を組み合わせたコミュニケーションの場を作ること。
「私、ようやく夢をかなえることができそうなのよ。長年考え続けていた計画を実行に移す時期がきたの。ベルガイシュはとても辺鄙なところだけど、豊かな自然が息づき、人々は素朴で温かい。私にとっての理想郷なの!」
 マリア・ジョアン・ピリスがベルガイシュに芸術研究のためのセンターを創立したのは、1999年のことだった。それが実現されるかなり前に、彼女はこのビッグニュースを知らせてくれた。そのときの夢見る少女のような表情は、いまだ忘れることができない。
 ピリスに話を聞くときは、常に音楽の内奥に深く根差す、多分に精神論的なシリアスな内容になることが多い。しかし、ベルガイシュという名を口にした途端、瞳は明るく輝き、いつにも増して雄弁になった。構想は当初かなり大きなものだったが、近年さまざまな事情からベルガイシュの活動は中止されることになった。現在はその哲学と教育をスペインのサラマンカやブラジルのサルヴァドール、バヒアなどに広めている。
 ピリスがこうした活動に目を向けるようになったのは、若いころに一時期腕を痛め、まったくピアノが弾けない状態になったことに端を発する。それを克服し、さらに家庭的な危機も乗り越え、ピリスは自分が何をすべきか、どう生きるべきかを追及するようになる。そして本当に自分のしたいことをしよう、と考える。20年以上前から、彼女は演奏以外に多くの時間を割くようになっていく。
「仕事や勉強などにトラブルが生じ、自分に危機感を抱いている人たちが集まる場所を提供し、芸術全般を通して彼らとコミュニケーションをとるという、いわゆる修繕学校のようなものを開きたいの。それに最近の若い演奏家はコンクールで優勝して名が出ると、周囲がちやほやするから自分は特別なんだという気持ちになってしまう。演奏は単なるビジネスになって商業主義に振り回され、早い時期に自信を失って音楽から離れてしまう。そういう人を何人も見ているけど、たまらない気持になるの。その人たちに対して私ができることはないか、そればかり考えているわ」
 ピリス自身、子どものころから「天才少女」と称され、デビュー後はスター扱いされた。年の割には多くのお金が入ってきて、特別な存在だといわれる。そうされればされるほど、彼女の心は重くなっていった。自分を特別だと考える、そのおごりが演奏に表れてしまうからだ。ごくふつうの人間でありたい、その気持ちを忘れないようにしたい、若いピリスはその狭間で毎日悩んでいた。
 そんな彼女を救ってくれたのが、恩師のカール・エンゲルである。彼はピリスの気持ちをリラックスさせ、自分の方向を明確に見定めるという方法を伝授してくれた。
「重要なのは、自分が求めているものをずっと探し求めていく気持ちをもつことだと教えられたの。音楽によって自分の探しているものを見つけ出し、表現する。音楽はとても深く、一生を捧げるのに十分価値があるものだから」
 こうした話を聞くと、いつも心が浄化するような思いにとらわれる。生きていくことに真摯なピリスはインタビューでも最大限誠意を尽くす。自分の話を本当に理解してもらえるだろうかと、常に相手の表情を見ている。そして真の意味が伝わったとわかると、そのつどにっこりと笑いかける。
 このほほ笑みのなんと魅力的なことか。派手なことを好まず、自然素材の洋服を着てほとんどノーメイクだが、とてもチャーミング。来日中も多忙なためインタビューのオーケーをとるのも至難の業だが、いつもこのやさしい眼差しに接すると、それまでの困難が霧散していく。
 ピリスの演奏は、研ぎ澄まされた鋭角的な音色と歯切れのよい躍動感あふれるリズム感に支えられたもので、ひたむきな性格と作品をこよなく愛す気持ちが演奏にそのまま投影されている。もっとも印象的なのは、集中力である。
 彼女の集中力というのは驚異的で、それは「音楽は別世界」と何度も口にすることからもうかがえる。これはプライヴェートな面で何が起きようと、いったん演奏が始まれば完全に音楽のなかに入っていけることを意味している。それが無理なくできるそうだ。驚くべきは作品との対峙のしかた。ピリスは毎日多くても3時間ほどしか練習しない。あとは家事をしながら、さまざまな仕事をこなしながら、頭のなかで音楽を考えている。頭のなかで音楽と対話しているから、ピアノに向かうのはごく短時間でいいという。これこそ、集中力の賜物なのだろう。
 しかし、ピリスも人間である。1994年の来日公演ではそれがリアルに現れた。実はこの来日中、ピリスは再愛の母を失った。その訃報を聞いた後、彼女は黒のシンプルなドレスでヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイとステージに登場した。心持ち目線が下向きでいつものやわらかな笑顔は見られなかったが、演奏は崇高な美しさに彩られたものだった。ピリスは演奏がうまくいくよう、必死の思いで神に祈りながら弾いているように見えた。
 このとき、感動的だったのはデュメイのやさしさ。彼は懸命にピリスをサポートし、彼女の音楽をいつもの演奏に戻そうと全身全霊を使い、弦で呼びかけていた。私は目頭が熱くなった。彼らはともに「演奏は神への奉仕」と表現している。私はその意味合いが、この日の演奏に接して初めて深く理解できたような気がした。 
 彼らはモーツァルト、グリーグ、フランクなどの録音を残しているが、ブラームスは「男性が弾く曲」と考えて敬遠していたピリスを長い時間かけて説得し、録音に導いたのはデュメイの力である。一方、ピリスの得意とするソロ作品はモーツァルトとショパンとシューベルト。いずれも温かい血の通った人間が弾いているというヒューマンな演奏である。
 ここに2000年、ベートーヴェンの「月光」の静謐で詩的で洞察力あふれる録音が加わった。これはベルガイシュで録音された、唯一の貴重な宝物である。
 2007年冬、ピリスはたった1度のコンサートのために来日し、情感豊かで歌心あふれるシューベルトの即興曲とピアノ・ソナタを披露した。そんな彼女にシューベルト観を聞くと‥。
「シューベルトに近づくにはありのままの自分と向き合わなければならず、頭で音楽を考えすぎるとうまくいかない。これがシューベルトは難しいといわれる理由でしょうね」
 シューベルトは人生の痛みや病気をすべて受け入れ、深い包容力をもって短い人生を生き抜いた。それを演奏で伝えたいと彼女は付け加えた。そこには何年たっても変わらぬ、真摯で自己を律する凛としたピリスがいた。

 このインタビューから何年も経過しているが、ピリスの根底に流れている音楽への思いは変わらない気がする。そして彼女の生き方も…。
 今日の写真は、2009年のインタビュー時に撮ったもの。担当者の要望により、サイン帳にサインをしているところ。

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posted by 伊熊よし子 at 21:06 | インタビュー・アーカイヴ

クラウス・フロリアン・フォークト

 昨日は、「東京・春・音楽祭」の「東京春祭ワーグナー・シリーズvol.9」『ローエングリン』を聴きに、東京文化会館に出かけた。
 今回の主役、タイトルロールを歌うのは、クラウス・フロリアン・フォークトだ。
 昨年9月、フォークトはバイエルン国立歌劇場日本公演でワーグナーの『タンホイザー』のタイトルロールを歌い絶賛されたが、その来日時にインタビューを行い、今回の『ローエングリン』について話を聞いた。
 インタビュー・アーカイヴ第77回はそのフォークトの登場。

ワーグナーを歌い終えた後の達成感は最高です

「ぶらあぼ」2018年1月号

 2017年9月、バイエルン国立歌劇場来日公演で、ドイツの偉大なヘルデン・テノール、クラウス・フロリアン・フォークトはワーグナー『タンホイザー』のタイトルロールを歌い、絶賛された。そのフォークトの次なる日本公演は、2018年3月〜4月の「東京・春・音楽祭」のワーグナー『ローエングリン』のタイトルロール。東京春祭ワーグナー・シリーズのVol.9にあたり、全3幕ドイツ語上演、演奏会形式で、約4時間30分(休憩2回含む)におよぶ。
「オペラの演奏会形式というスタイルは、演出や舞台装置がない分、音楽に集中できます。視覚的要素がありませんから、自分ですべてを作り出していかなければなりません。『ローエングリン』という人物を自分なりの方法で表現し、説得力をもって聴衆に伝えていかなくてはならないのです。でも、そこにはとても自由な裁量が可能となり、私自身はやりがいがあると感じています。音楽がすべてですから、歌に全面的に集中し、『ローエングリン』という役柄を感じ取ってほしいと思います」
 フォークトはこれまで何度も大きな舞台で『ローエングリン』を歌っている。最初にこの役を歌ったのは、2002年ドイツのエアフルト歌劇場だった。ほどなく同役で国際的な評価を得、06年メトロポリタン歌劇場、07年ミラノ・スカラ座、08年ウィーン国立歌劇場、11年バイロイト音楽祭へと歩みを進めている。
「それぞれの公演は演出がまったく異なり、メトロポリタンではローエングリンがつかみどころのない、人工的な人物として描かれました。スカラ座では確固たる構造の演出で、美的な物語となっていました。バイロイトでは近づきがたい人物として演じることになり、私自身新たな発見が数多くありました。いずれの舞台も、歌唱と演技と表現力と解釈などすべてを自分のなかで咀嚼し、その場に合わせたローエングリン像を作り出さねばなりません。それは大変なことですが、また楽しみでもあります。歌うごとに自分のなかで新たなローエングリンが生まれるからです」
 ワーグナーを歌うのは大きな喜びであり、歌い終わった後の達成感は最高だと語る。
「ワーグナーを歌うのはテノールにとってとても名誉なことであり、また常に挑戦を強いられます。歌唱法、表現力、演技力、そして歌詞の発音など、すべてにおいて完璧を求められるからです。『ローエングリン』を初めて歌ったのは15年前ですが、最初はフィナーレまでどうしたら最高の声を維持できるかがわからず、苦労しました。でも、指揮者や演出家が自由に歌わせてくれたため、ひとつひとつの本番で学ぶことができました。いまは、15年前より表現力が増したと感じていますし、作品により近づくことができたと思っています」
 毎回毎回が勝負だという。1回の舞台に全身全霊を傾け、2度と同じ歌は歌えないと。
「そこがオペラの醍醐味ではないでしょうか。生きた音楽、ナマの声、その場だけの臨場感あふれる舞台。そこで私は完全燃焼するわけです。どんな役でもその気持ちは変わりません。役になりきるために周到な準備を怠りませんが、その日の気分や調子で少しずつ表現や歌が変わる。それを楽しんでいるわけです」
 今回、共演する指揮者のウルフ・シルマーとは気心に知れた仲である。
「シルマーさんとはオペレッタで共演し、録音もしています。とても気持ちよく仕事ができましたし、すばらしい体験でした。彼は集中して正確な仕事をする人ですから、信頼感が生まれます。久しぶりに日本で共演するのが、とても楽しみです」
 フォークトは「東京春祭 歌曲シリーズ」の2回のリサイタルにも登場し、ドイツ・リートやオペレッタを歌う。1回目はハイドン、ブラームス、マーラー、R.シュトラウスの歌曲を、2回目は妻であるシルヴィア・グルーガーを迎え、リートからミュージカル『ウエスト・サイド物語』までをデュエットやソロで聴かせる。
「さまざまな歌曲を歌います。長年歌い込んできた曲ばかりです。私はいま、シューベルトの『冬の旅』を歌う準備に入っています。オペラではワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』が視野に入ってきています。ただし、もう少し時間が必要です。まずは、新たな『ローエングリン』を聴いていただきたいと思います」

 まさに昨日の『ローエングリン』は、フォークトの新たな魅力が全開したステージだった。声量も増し、役柄に対する洞察力も深くなり、長丁場のステージを一瞬たりとも弛緩することなく、緊迫感と集中力と情熱が支配する圧巻の演奏だった。
 4月8日には、もう1公演行われる。フォークトは先日のリート・リサイタルでもそうだったが、すべて完全暗譜で、聴き手に語りかけるように、訴えかけるようにうたう。抑制された演技も加わり、まさしくプロフェッショナルという姿勢を貫く。またしても、ヘルデン・テノールの醍醐味を満喫した一夜となった。
 今日の写真は、その雑誌の一部。

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posted by 伊熊よし子 at 22:29 | インタビュー・アーカイヴ

ピーター・ウィスペルウェイ

 先日ブログに綴ったように、オランダのチェリスト、ピーター・ウィスペルウェイのインタビューは、とても興味深いものだった。
 そこで、「インタビュー・アーカイヴ」の第76回はウィスペルウェイの登場だ。

[音楽の友] 2008年4月号

 2月3日の日曜日、東京は朝から雪が深々と降る寒い日だったが、紀尾井ホールで行われたピーター・ウィスペルウェイのJ・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会は、冒頭から静かなる熱気に包まれた。
「この作品は力強く、地に足が着いた精神の落ち着きが見られる一方、生の躍動感がみなぎっています。舞曲を深く理解し、遊び心や歌心などさまざまな要素をバランスよく演奏に盛り込んでいかなければなりません。長年弾いていると解釈、表現は変化してきますが、各々の要素をどう混ぜ合わせるか、どんなカクテルを作り上げるかが重要になります」
 ウィスペルウェイは長年フランス製の楽器を使用していたが、数年前イギリスで発見された「奇跡のチェロ」と称されるグァダニーニの1760年製のチェロを手に入れた。
「以前はバロック・チェロで演奏し、ビルスマ、プリースに師事して基礎をみっちり学びました。でも、あるときイタリアの楽器を無性に弾きたくなった。その衝動が抑えられず、オークションでグァダニーニを手に入れたわけです。ええ、もちろんものすごく高い買い物でしたよ。同じ週に家も買ったんです。クレイジーでしょ(笑)。あとの支払いも考えずにね。今回はこのモダン・チェロでバッハを弾きました。弦や弓の材質はバロック・チェロと異なりますので最初は奏法を会得するのに苦労しましたが、基本スタイルは同じです」
 1月31日には録音で高い評価を得ているドヴォルザークのチェロ協奏曲を披露したが、流麗で深々とした演奏は、作曲家の生地ネラホゼヴェスの緑豊かな景観を連想させた。
「このコンチェルトは出だしから気合いを入れ、思い入れたっぷりに演奏する傾向が見られますが、これはシンプルに演奏することが大切だと思います。作曲家は多くのメッセージを作品に込めました。演奏はその語りを雄弁に物語らなくてはならない。でも、技巧を見せつけたり、表現過多になるのは避けなければ。それは大いなる知性が宿っているからです。高らかに旋律をうたいあげるときにも、ある種の抑制した知性が必要となる。オーケストラとの対話も非常に重要ですね。特に第2楽章はリリシズムがあふれていますから」
 師のビルスマもプリースも、どんな作品を演奏するときも創造的な芸術形態をもつことが大切だと教えてくれた。それを座右の銘としている。
「グァダニーニを手にしてから、すべての作品を一から学び直しています。それが私の好奇心を満たしてくれるからです。そして常に新しい方向、新しい道、新しい自分を探しています。見慣れた楽譜でも何か発見はないか、新鮮な驚きはないか、という目をもって探究しています」
 その好奇心は見知らぬ町の探索にも表れる。ウィスペルウェイはホテルで地図をもらい、新宿から下北沢、飯田橋、千駄ヶ谷と7時間ウォーキング。いろんな発見があったと目を輝かせる。スリムな体型は、きっとこの長時間の散歩の成果かも‥‥。

 今日の写真は、その雑誌の一部。今年もバッハをはじめとする無伴奏作品を聴かせてくれたが、まさに至高の音楽だった。

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posted by 伊熊よし子 at 22:11 | インタビュー・アーカイヴ
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