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インタビューの下調べ

 インタビューの仕事が入ると、その下調べに結構時間を要する。
 レコード会社や音楽事務所から送られてきた資料をじっくり読み、録音を聴き、以前インタビューしたことがある場合はそのアーティストの資料に目を通す。
 初めて話を聞くアーティストの場合は、より丹念に予習をしなくてはならない。
 先日、ロシアのある若手アーティストにインタビューした際、ずっとかたわらに付き添っていたお母さんから、「ウチの息子のことをとても詳しく調べてあって、インタビューの内容が充実していたわ。どうもありがとう」とお礼をいわれた。
 私はインタビューに臨むときは、ほとんどメモを見ない。テレコを置いて、あとは頭のなかにたたき込んできたことを頼りに、与えられた時間のすべてを、相手の目を見ながら対話するようにしている。
 それは、日本人だろうが、外国人だろうが、あまり関係ない。通訳さんを介して行う場合も、基本精神は同じである。
 インタビューの間中、ずっと相手の顔を見ながら対話していると、ほとんどの人がこちらの顔も覚えてくれ、次に会ったときには、より突っ込んだ話ができる。
 インタビューというのは、どんなジャンルでも、難しいものである。あまりいい話を聞くことができず、納得する結果が得られずに失敗することも多い。
 そういうときは、何が悪かったのだろうと、ずっと考え込んでしまう。
 そうならないためにも、準備が大切である。
 さて、もう9月。クラシックのシーズンがスタートした。今年も来日ラッシュだ。来週早々、インタビューがある。しっかり用意しなくっちゃ。
タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々つづれ織り

辻井伸行

 毎月、「家庭画報」のカラーページの連載で辻井伸行の記事を書いているが、そのインタビューのなかで、いつも彼は「次にレパートリーにしたい作品はこれです」という話をしてくれる。
 それがあっというまにステージに登場するのである。
 練習に対する集中力、忍耐力、記憶力などには驚くべきものがあり、音楽における情熱には頭が下がる思いだ。
「昔から、ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタは絶対に演奏したいと思ってきました。まず、第30番作品109から始めたいと思います。それからもうひとつ、リストの《超絶技巧練習曲》の《鬼火》も、カッコいい作品なので大好きなんです。これもそろそろ勉強したいなと思っています」
 こう語っていたのは、つい最近のことである。
 ところが、7月2日から7月28日まで行われた「プレミアム・リサイタル」で、ベートーヴェンの作品109と「鬼火」がプログラムに入っていたのである。
 昨日は、紀尾井ホールにこのリサイタルを聴きにいった。前半は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」と同作品109。後半は、ドビュッシーの「映像」第1集と「喜びの島」、リストの「超絶技巧練習曲」より「鬼火」「夕べの調べ」「マゼッパ」。
 ベートーヴェンの作品109とリストの「鬼火」は、短期間で習得したとは思えない完成度の高さで、ただ頭を垂れて聴き入ってしまった。
 終演後、楽屋を訪れ、「この2作品、ついこの間お話を聞いたばかりだったのに、もう登場してすごいですねえ。今日はこの2曲が聴けると思って出かけてきましたが、すごかった!」というと、「いやあ、大変でしたけど、喜んでいただけてよかったです」と、にこやかな笑顔を見せていた。
 いやはや、本当に、辻井さんの類まれなる努力には勇気をもらいます。
 今日の写真は、終演後に着替えをしたばかりなのに、まだ汗びっしょりの辻井さん。熱演でした!


タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々つづれ織り

中村紘子

 昨年の7月26日、中村紘子が大腸がんのために亡くなった。享年72。
 今日は、彼女の一周忌が自宅で行われ、私も参加した。よく取材に訪れたマンションの一室。もうニ度と訪れることはないと思っていたが、主亡き部屋に一歩足を踏み入れると、そこには大勢の人とあふれんばかりの蘭や百合の花かごが飾られていた。
 私は遺影の前であいさつをしたが、ふと中村紘子が現れそうな気配を感じ、不思議な感慨にとらわれた。
 昨年、東京新聞と西日本新聞に追悼文を寄せた。それを下記に記したいと思う。写真は、西日本新聞の紙面。

[中村紘子さんを悼む ショパンの心 追い求め]

 ショパンのマズルカ、中村紘子さんの訃報に触れ、まず脳裏に浮かんだのがこの作品だった。彼女はデビュー当初からショパンのさまざまな作品を演奏してきたが、なかでもマズルカには特別な思いを抱いていた。
 16歳のころに1955年のショパン国際ピアノ・コンクール(以下ショパン・コンクール)の優勝者、ポーランドのアダム・ハラシェヴィチが来日し、彼の弾くマズルカに魅せられ、「それがショパンにのめり込むきっかけになった」からである。
 ただし、若いころはマズルカを公の場で演奏することはなかった。ショパンの心情を素直に表した日々の日記のような小品ゆえ、大きなステージで演奏するには適さないと考えていたからだ。その思いが年齢を重ねることにより変化し、最近は録音でも取り上げるようになった。そこでは、ショパンの内面を吐露するような作風に寄り添った、情感豊かで滋味あふれる演奏を繰り広げている。
 中村さんは1965年のショパン・コンクールを受け、入賞を果たしているが、このコンクールを受けるきっかけとなったのは、ハラシェヴィチから紹介されたショパンの権威、ビグニュウ・ジェヴィエツキに師事したことによる。ジェヴィエツキ教授がショパン・コンクールを受けることを勧めてくれたのである。
 以来、レパートリーの根幹にショパン据え、長年ショパンの作品を愛奏し続けた。同コンクールの審査員を務めた90年には、ジェヴィエツキ未亡人のもとを訪ね、夫人とともに恩師の墓に詣でている。
「人間にはみなそれぞれ完成地点があるんじゃないかしら。人によって千差万別で、40代で到達する人もいれば10代でできてしまう人もいる。私はとても遅いの。ずっとショパンを弾いているけど、まだ完成していないから。こうしてジェヴィエツキ先生の墓前で、“ショパンの心に近づくには何が必要か”と問うと、答えが戻ってくる気がするの」
 ワルシャワの墓地で語っていたことが思い出される。その後、彼女は自身が受けた教えを次世代へとつなげるべく、後進の指導に尽力するようになる。「教えることは自分の勉強でもある」という信念のもとに…。そして、つい先ごろ話していた言葉が鮮明によみがえる。
「このごろ、ピアノがとても面白くなってきたの。ようやく演奏を楽しむことができるようになってきたのよ。本当に遅いわね」
 奏法の工夫、楽譜の解釈から作曲家の真意に近づくことまで、若いころには見えないことが見えてきたのだという。そして可能ならば、50曲以上あるショパンのマズルカの全曲録音に挑戦したいと意欲を示していた。
 中村さんの演奏は常に前向きでエネギッシュ、聴き手に活力を与えるものだった。その音の記憶はいつまでも色あせることはない。
 彼女と話していると音楽へのエネルギー、ピアノへの愛情、後進の指導への熱意が伝わってきて時間が経つのを忘れる。よく私の仕事に関しても適切な助言を与えてくれ、ときにはきびしい意見を率直に述べてくれた。もう、あの直球勝負の身の引き締まるような言葉を聞くことができないのが無性に寂しい。
 世界中の若手ピアニストの動向もいち早くキャッチし、時代に即した支援も試みた。お料理好きでおしゃれで、話題が豊富。常に人々の輪の中心にいるような存在だった。きっと天国でも、美しいピアノと、華やかな笑顔と、得意の話術で、人気を集めているに違いない。



 

タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 23:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々つづれ織り
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