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松下敏幸さん

 クレモナには、現在登録されている弦楽器制作者が150人ほどいるが、そのなかで日本人は8人だそうだ。
 なかでも著名なのは、1982年からクレモナに在住して工房を構え、数々のコンクールで賞に輝いている松下敏幸さんである。
 今回は松下さんの工房におじゃまし、その制作過程や工具、材料などを拝見し、さまざまなお話を伺った。
 彼はストラディヴァリ時代の古い楽器を研究し、古いレシピの分析を行い、自ら調合するオイルニスを使用している。このオイルニスは、亜麻仁油を煮詰めて西洋茜で色素を作るなど、すべて手作り。それを何度も楽器に塗っては乾かし、時間をかけて制作していく。

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 膨大な時間と忍耐を要するこの制作、年にヴァイオリンの場合3挺作るのが限界だそうだ。
 松下さんの話はとても情熱的で、楽器作りに命を賭けている感じ。ひとつのことに魂を傾ける大切さを教えてくれる。
 工房は古い石造りの堅牢な建物のなかにあり、夕方訪れたときに高い窓から光が射し込み、美しい光彩を放っていた。

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 部屋には何年も寝かせている木材が数多く積み上げられ、いまかいまかと楽器として完成するのを待っている。ありとあらゆる道具も所狭しと並べられ、ひたむきに仕事に打ち込む職人の技を垣間見る思いに駆られた。

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 その工房のすぐ裏手に古い教会があり、その壁画がすばらしく感動的だった。アントニオ・ストラディヴァリの時代の名士たちが描かれているのだが、後列左から4人目の、人のうしろに隠れるようにしてシャイな表情を見せているのがストラディヴァリその人だという。
 クレモナは本当に奥深い街である。たった数日間の滞在だったが、記憶に残る多くのことに出合えた。

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posted by 伊熊よし子 at 23:37 | 麗しき旅の記憶

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るD

「リヴァプールでビートルズの足跡を辿る」の第5回は、ジョンとポールが初めて出会った聖ピーターズ教会だ。

 1957年7月6日、ポールはジョンが演奏しているところを初めてここで目撃した。ポールはジョンとも共通の友人であるアイヴァン・ヴァ―ンに誘われてきた。
 ジョンの初バンド「ザ・クオリーメン」は教会の裏で開催されるガーデンパーティでの演奏を頼まれていた。ポールはジョンを見て魅了されるが「カム・ゴー・ウィズ・ミー」の歌詞をまちがえてうたっているのと、その上ギターのチューニングが合っていないと気づいた。アイヴァンはポールにあとでジョンを紹介するといった。
 ジョンは叔父のジョージをちょうど2年前に亡くし、彼が埋葬されていた場所はこの教会のなかのジョンのうたっていたステージのすぐ近くだったから、きっとうたうのが辛かったのだろうと思われる。
 アイヴァンはここでポールをジョンに紹介し、ジョンは早速ポールに「トゥエンティ・フライト・ロック」を弾けるか試す。弾き始めたポールはジョンのギターのチューニングが合っていないことに気づいたため、ジョンにチューニングの仕方を教えてあげた。その後、「ビー・パップ・ア・ルラ」や「ロング・トール・サリー」を弾き、ピアノでリトル・リチャードの物まねを披露したのである。
 みんなはポールの歌唱力、ギターとピアノのスキル、それに歌詞をしっかり覚えていることに感銘を受けた。2日後、ポールは「ザ・クオリーメン」へ誘われた。その後の活動は多くの人が知っている通りである。

今日の写真は、聖ピーターズ教会と、壁にかけられたジョンとポールがここで初めて出会ったことを記すプレート。

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posted by 伊熊よし子 at 22:45 | 麗しき旅の記憶

クレモナ・レッド

 先日訪れたクレモナで、ひとつ新たな発見があった。
 街全体を俯瞰した写真を撮影することになり、夜の8時にクレモナでもっとも高い建物に行き、そこからカメラマンがドゥオーモ(大聖堂)やトラッツォ(鐘塔)を望む全体像を撮影した。
 この時間は西日が建物を照らし、もっとも美しい光景になるという。
 街は屋根が赤いレンガの色で統一され、それが見事なまでの一体感を生み、とても美しい。このレンガは、ポー川の粘土で作られているそうで、アントニオ・ストラディヴァリの製作したヴァイオリンのニスの色にも似ているそうだ。
 現地の人たちに聞くと、屋根はこのレンガを使ったものでないと認められないとのことで、昔からずっと「クレモナ・レッド」と呼ばれる色合いが守られているという。
 あまりにも美しい景観に、しばしときを忘れ、悠久のかなたへと心は飛んでいった。こうした新たな発見があると、旅はより魅惑的になる。
 今日の写真は、「クレモナ・レッド」の色彩を放つ街の景観と、レンガを用いた屋根。この街は現代的なコーヒーのチェーン店やファーストフードのお店がまったくなく、中世の面影をいまなお色濃く留めている。それが旅人をストラディヴァリの時代へとタイムスリップさせ、心身を癒す大きな理由となっている。

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posted by 伊熊よし子 at 00:03 | 麗しき旅の記憶
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