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ニューヨーク雑感

 ニューヨークを初めて訪れたのは、もういつのことだったろうか。
 最初は摩天楼に驚き、人々の忙しそうな足取りにもびっくりし、有名な建物の写真を一生懸命撮ったことを覚えている。
 自由の女神を見に行き、オペラやミュージカルを聴き、美術館巡りをし、ショッピングに胸躍らせたものだった。
 しかし、いまやそういう気持ちはまったくなくなり、仕事だけに集中するようになった。これは喜ぶべきことなのか、はたまた好奇心が失せたということなのだろうか。
 今回のニューヨーク出張は、ごく短期間だったこともあり、ほとんど仕事だけの日々だった。
 海外出張というのは、そういうものなのかもしれない。観光にきているわけではないし、家族や友人と一緒なわけでもない。一日中、仕事で頭がいっぱいだ。
 まだ雑誌が発刊されていないため、今回の取材内容は紹介することができないが、そんななか街を歩きながらニューヨークの日常を写し摂った。
 今回の取材はほとんどここで行われた。有名なカーネギーホールである。

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 セントラルパークの脇の道路には、観光客向けの馬車が待機している。

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 毎日、歩いていたのはこんなところ。摩天楼のまさにニューヨークならではの光景である。
 
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posted by 伊熊よし子 at 00:01 | 麗しき旅の記憶

ニューヨーク出張から帰国しました

 昨夜の遅い便で、ニューヨーク出張から帰国した。
 まだいまは、時差と疲労でヘロヘロで、昼なのか夜なのかわからない感じだ。本当に、アメリカの時差は辛い。
 向こうに着いたときも、夜中の3時にパタッと目が覚め、それからどうやっても眠れなかった。なかには時差に強い人もいるが、ほとんどの仕事仲間が私と同様の症状だった。
 それでも、なか2日の取材スケジュールゆえ、仕事は待ったなしの状態。朝から晩までフル稼働だ。
 ようやく昨夜東京に戻ったが、からだがいうことをきかない。困ったモンですね。
 仕事の1日目にロックフェラーセンターに行き、最上階からニューヨークの街を俯瞰する撮影があるため、私もパチリ。今回は、この日だけ晴天だったが、あとの日はずっと曇天。時折、小雨がパラつく気候だった。
 さて、早く体調を戻さないとね。

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posted by 伊熊よし子 at 23:29 | 麗しき旅の記憶

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE

「リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE」は、1967年2月にビートルズが発表した14枚目のオリジナル・シングル(両A面シングル)の「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」と「ペニー・レイン」ゆかりの場所である。

 ストロベリー・フィールズは1870年に設立され、元々はいちご畑だった。この土地を裕福な海運商人が買い取り、豪邸を建てた。その後、それをサルヴェーション・アーミー(国際キリスト教団体)が1930年代に購入する。孤児院として改造されたこの場所へ、子どものころのジョンはよく足を運び、子どもたちと遊んでいた。
 ひとりっ子として叔父と叔母と暮らしていたジョンは、そこにいる子どもたちに共感を覚え、よく門を乗り越え、遊びにいった。ジョンは孤児院で毎年開かれる夏のパーティに参加し、レモネードの販売を手伝ったこともよい思い出のひとつである。
 ある夜、ジョンは孤児院のベッドで寝ているのを見つかり、もう一度立ち入ったら「吊るすぞ」(Hang)と脅される。ジョンはこのフレーズをさりげなくユーモラスに「ストロベリー・フィールズ」のなかに引用している。「吊るされるほどのことではない」というフレーズは、英語で「立ち止まっている暇はない」ということを表現している。
 この孤児院はジョンの印象に強く残ったことから、彼の傑作となる「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」が生まれる。1970年にジョンはニューヨークへ引っ越した際、この家にとても似ていることが理由でダコタ・ハウスに住むことを決意したのである。この孤児院は1969年に取り壊され、現在の家は1970年代に建て直されたものである。
 ジョンの死後、ヨーコ・オノは毎年子どもたちにクリスマス・プレゼントを渡しにここを訪ねていたが、いまは空き家となっている。ヨーコはジョンの灰をここに撒いたという説があるが、その証拠はない。
 写真は、現在のストロベリー・フィールズの門。世界中からのファンの落書きが見られる。

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 ポールの「ペニー・レイン」のインスピレーションは、毎日通学のために乗り、ジョージとも出会った有名な「86バス」から得た。そのバスは「青い郊外の空」のもと、「ロータリーの真ん中の停留所」で停まった。ポールは兄のマイケルと一緒にペニー・レイン通りの先にある聖バルナバス教会の合唱団のメンバーで、その教会で行われた1982年の兄の結婚式では付き添い人も務めた。「ペニー・レイン」の曲に登場する「床屋」「バス停留所」「銀行」「消防署」などは、現在も当時の姿を留めている。
 写真はペニー・レイン通り。看板が柵に貼りつけられているが、ファンがもっていってしまうため、現在は厳重に縛られている。

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posted by 伊熊よし子 at 23:10 | 麗しき旅の記憶
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