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ベートーヴェンゆかりの家 2

  ベートーヴェンの家の第2回は、遺書が書かれたハイリゲンシュタットの家。
  ウィーン郊外のハイリゲンシュタットは、現在では多くの家が建ち並ぶ住宅街。ベートーヴェン時代ののどかな田園風景や田舎の静けさなどはすっかり姿を消しているが、やはりここは高級住宅街。どの家も敷地が広く、緑に囲まれ、立派な家ばかりだ。
  住宅街を抜けると、森のなかに「ベートーヴェン・ガング」と呼ばれるベートーヴェンの散歩道が残っている。ここには、いまでもあの交響曲第6番「田園」の発想を得たという小川は健在。ほんの一部の細い流れが見られるだけだが、ここだけは昔の面影を伝えていて、樹々の揺らぐ音や小鳥のさえずりも変わっていない。かたわらのベンチにすわると、どこからか「田園」の第1楽章が聴こえてきそうだ。
  だが、ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いた家を訪れると、胸がキシキシと音をたてて痛むのがわかる。いまではこのあたりもホイリゲが増え、人々が陽気にワイングラスを傾けているが、ベートーヴェンの住まいとその周囲は、当時のままだ。
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  ベートーヴェンは22歳であこがれのウィーンでハイドンの弟子となり、作曲のかたわらピアニストとしても活躍。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第1番などの代表作を次々に生み出していく。ベートーヴェンは29歳を迎えていよいよ交響曲作曲家としてのスタートを切ったのである。斬新で美しい音楽はウィーンの人々の心をとらえ、出版も開始された。
  しかし、このころから彼はだれにもいえない深い悩みを抱えるようになっていく。聴覚の異常である。いろいろな治療も効果はなく、悪化するばかり。ハイリゲンシュタットに移って交響曲第2番の構想を練るベートーヴェンは音楽家として致命的なこの病に耐え切れず、ついに1802年10月6日、弟たちに宛てて手紙をしたためた。これが有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」である。
  書き出しはベートーヴェンを人間嫌いの変人扱いする世間に対し、自分は耳が聴こえない悩みがあるのだと告白し、「私は喜びをもって死に急ぐ」と結んでいる。だが、ベートーヴェンは苦悩を吐き出したあと再び力強く生きる決心をしたため、この遺書は死後発見されることになった。
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  これ以後、ベートーヴェンの創作力は以前にも増して充実し、交響曲第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、歌劇「フィデリオ」、「ミサ・ソレムニス」、「ディアベリ変奏曲」という大作を完成させていく。
  ヴァイオリン・ソナタ第7番も、遺書が書かれたころに作曲されている。ロシア皇帝アレクサンダー2世に献呈された作品30の3曲のなかでも傑出した作品となっており、これから生まれる「傑作の森」と呼ばれる作品群の先駆け的な存在で、強い説得力と緊迫した曲想が身上だ。ただし、各楽章の主題は明快で親しみやすく、難解な感じや暗さはほとんど感じさせない。
  曲は交響曲第5番「運命」やピアノ協奏曲第3番、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」などと同じハ短調で書かれ、ベートーヴェンの傑作を特徴付ける調性となっている。これはヴァイオリンとピアノが同等に対話し、豊かなデュオを繰り広げる作品。息の合ったヴァイオリニストとピアニストの共演が必要となる。
  写真は 展示されているベートーヴェンの髪の毛。
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  ハイリゲンシュタットでベートーヴェンが住んだ家を示す石版の地図。広場に掲げられている。
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posted by 伊熊よし子 at 16:51 | 麗しき旅の記憶

ベートーヴェンゆかりの家 1

  今年はベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤー。これを記念して国内外の多くのアーティストがベートーヴェンの作品をプログラムに組んだコンサートを予定していたが、いまはほとんどそれが行われていない。
  そこで、以前ヤマハのWEB「音楽ジャーナリストの眼」に書いた「ベートーヴェンゆかりの家」をプレーバックしたいと思う。少しでもベートーヴェンに近づいていただけたら幸いである。
  まず、交響曲第3番「英雄」を書いたといわれる「エロイカハウス」から(Doblinger Hauptstrabe92、1190Wien)。ここは現在、博物館となっており、見学可能である。ただし、2週間前までに電話で申し込むことが必要(tel +43 1 369 14 24)。
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  ベートーヴェンは1803年ここに移り、「英雄」とピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」を作曲した。ウィーン市内の北方に位置するこの家は、当時ぶどう畑や牧草地が広がり、湯治場としての要素も備え、ベートーヴェンが愛する緑豊かな土地だった。
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  交響曲第3番「英雄」は、ハイドンやモーツァルトの影響から脱し、ベートーヴェン独自のスタイルを確立した交響曲で、従来このジャンルに見られなかった壮大なスケールと自由な楽想が特徴となっている。ベートーヴェンの交響曲でホルンが3本になったのはこの曲からで、特に第3楽章はベートーヴェンが書いたスケルツォ(3拍子の快活な曲)の最高傑作といわれ、中間部におけるホルン三重奏の野趣あふれる響きが印象的だ。
  これは有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた直後の1804年に完成され、翌年の初演は作曲者の指揮によって行われている。 ベートーヴェンは耳が聴こえないという苦悩を吐き出した後、再び生きる勇気をもち、以前にも増して創造力を充実させていく。
   当初、楽譜の表紙には「ボナパルト」の文字が書かれ、革命の英雄ナポレオンに捧げられるはずだったが、権力を手に入れた彼に失望し、「ひとりの英雄のために」と書き換えられた。革命の寵児として登場したナポレオンがフランス皇帝として戴冠したという知らせを聞いたベートーヴェンは、その場で表紙を切り裂き、「彼もふつうの人間だった。多くの人権を踏みにじる独裁者になるだろう」と叫んだと弟子のリースは伝えている。
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  第1楽章から勝利を謳歌する力強い曲想がみなぎり、有名な第2楽章の「葬送行進曲」に続く。そして疾風のような第3楽章へと進み、息詰まるようなクライマックスを築く。
  この「エロイカハウス」にはベートーヴェンの遺品の数々が展示され、特に「英雄」の楽譜の「ボナパルト」の文字を荒々しく消した表紙が強い印象をもたらす。
  現在は、ヘッドホンでヘルベルト・フォン・カラヤンをはじめ名盤と称される録音を聴くこともでき、リアリティをもって「英雄」と対峙できる。
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posted by 伊熊よし子 at 20:59 | 麗しき旅の記憶

カラヴァッジョ展

  いま、大阪のあべのハルカス美術館で、「カラヴァッジョ展」が開催されている(2020年2月16日まで)。
  年末年始は京都の仕事部屋で過ごしているため、大阪まで足を伸ばした。東京開催がないからである。
  あべのハルカスは日本一の高さを誇る超高層複合ビルで有名になったが、その16階にあべのハルカス美術館はある。
  まず、入口で大きなカラヴァッジョの「法悦のマグダラのマリア」のポスターが出迎えてくれた。
  今回は、この絵の他に「リュート弾き」「聖セバスティアヌス」「悲嘆に暮れるマグダラのマリア」「歯を抜く人」「執筆する聖ヒエロニムス」「聖アガピトゥスの殉教」「洗礼者ヨハネ」などが展示され、カラヴァッジョと同時代の画家たちの作品も多数展示されている。
  カラヴァッジョは数奇な運命をたどった画家である。私は昔から大好きで、伝記や資料もずいぶん読んでいる。
  そして、海外に行ったときも、カラヴァッジョの絵がある土地だとわかると、いつも飛んでいく。
  年末ゆえ、大阪はものすごい混雑だったが、ちょうどランチの時間帯だったこともあり、美術館ではゆっくりひとつずつの絵と対面することができた。
  その後、せっかく来たのだからと大阪城を訪ねたが、ここも海外の観光客であふれていた。
  京都もそうだが、大阪もすさまじい人の波。でも、カラヴァッジョをじっくり見られたのはよかった。
  今日の写真は、「カラヴァッジョ展」の入口のポスター。それから大阪城の天守閣。

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posted by 伊熊よし子 at 22:57 | 麗しき旅の記憶
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