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ニューヨーク出張から帰国しました

 昨夜の遅い便で、ニューヨーク出張から帰国した。
 まだいまは、時差と疲労でヘロヘロで、昼なのか夜なのかわからない感じだ。本当に、アメリカの時差は辛い。
 向こうに着いたときも、夜中の3時にパタッと目が覚め、それからどうやっても眠れなかった。なかには時差に強い人もいるが、ほとんどの仕事仲間が私と同様の症状だった。
 それでも、なか2日の取材スケジュールゆえ、仕事は待ったなしの状態。朝から晩までフル稼働だ。
 ようやく昨夜東京に戻ったが、からだがいうことをきかない。困ったモンですね。
 仕事の1日目にロックフェラーセンターに行き、最上階からニューヨークの街を俯瞰する撮影があるため、私もパチリ。今回は、この日だけ晴天だったが、あとの日はずっと曇天。時折、小雨がパラつく気候だった。
 さて、早く体調を戻さないとね。

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posted by 伊熊よし子 at 23:29 | 麗しき旅の記憶

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE

「リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE」は、1967年2月にビートルズが発表した14枚目のオリジナル・シングル(両A面シングル)の「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」と「ペニー・レイン」ゆかりの場所である。

 ストロベリー・フィールズは1870年に設立され、元々はいちご畑だった。この土地を裕福な海運商人が買い取り、豪邸を建てた。その後、それをサルヴェーション・アーミー(国際キリスト教団体)が1930年代に購入する。孤児院として改造されたこの場所へ、子どものころのジョンはよく足を運び、子どもたちと遊んでいた。
 ひとりっ子として叔父と叔母と暮らしていたジョンは、そこにいる子どもたちに共感を覚え、よく門を乗り越え、遊びにいった。ジョンは孤児院で毎年開かれる夏のパーティに参加し、レモネードの販売を手伝ったこともよい思い出のひとつである。
 ある夜、ジョンは孤児院のベッドで寝ているのを見つかり、もう一度立ち入ったら「吊るすぞ」(Hang)と脅される。ジョンはこのフレーズをさりげなくユーモラスに「ストロベリー・フィールズ」のなかに引用している。「吊るされるほどのことではない」というフレーズは、英語で「立ち止まっている暇はない」ということを表現している。
 この孤児院はジョンの印象に強く残ったことから、彼の傑作となる「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」が生まれる。1970年にジョンはニューヨークへ引っ越した際、この家にとても似ていることが理由でダコタ・ハウスに住むことを決意したのである。この孤児院は1969年に取り壊され、現在の家は1970年代に建て直されたものである。
 ジョンの死後、ヨーコ・オノは毎年子どもたちにクリスマス・プレゼントを渡しにここを訪ねていたが、いまは空き家となっている。ヨーコはジョンの灰をここに撒いたという説があるが、その証拠はない。
 写真は、現在のストロベリー・フィールズの門。世界中からのファンの落書きが見られる。

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 ポールの「ペニー・レイン」のインスピレーションは、毎日通学のために乗り、ジョージとも出会った有名な「86バス」から得た。そのバスは「青い郊外の空」のもと、「ロータリーの真ん中の停留所」で停まった。ポールは兄のマイケルと一緒にペニー・レイン通りの先にある聖バルナバス教会の合唱団のメンバーで、その教会で行われた1982年の兄の結婚式では付き添い人も務めた。「ペニー・レイン」の曲に登場する「床屋」「バス停留所」「銀行」「消防署」などは、現在も当時の姿を留めている。
 写真はペニー・レイン通り。看板が柵に貼りつけられているが、ファンがもっていってしまうため、現在は厳重に縛られている。

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posted by 伊熊よし子 at 23:10 | 麗しき旅の記憶

松下敏幸さん

 クレモナには、現在登録されている弦楽器制作者が150人ほどいるが、そのなかで日本人は8人だそうだ。
 なかでも著名なのは、1982年からクレモナに在住して工房を構え、数々のコンクールで賞に輝いている松下敏幸さんである。
 今回は松下さんの工房におじゃまし、その制作過程や工具、材料などを拝見し、さまざまなお話を伺った。
 彼はストラディヴァリ時代の古い楽器を研究し、古いレシピの分析を行い、自ら調合するオイルニスを使用している。このオイルニスは、亜麻仁油を煮詰めて西洋茜で色素を作るなど、すべて手作り。それを何度も楽器に塗っては乾かし、時間をかけて制作していく。

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 膨大な時間と忍耐を要するこの制作、年にヴァイオリンの場合3挺作るのが限界だそうだ。
 松下さんの話はとても情熱的で、楽器作りに命を賭けている感じ。ひとつのことに魂を傾ける大切さを教えてくれる。
 工房は古い石造りの堅牢な建物のなかにあり、夕方訪れたときに高い窓から光が射し込み、美しい光彩を放っていた。

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 部屋には何年も寝かせている木材が数多く積み上げられ、いまかいまかと楽器として完成するのを待っている。ありとあらゆる道具も所狭しと並べられ、ひたむきに仕事に打ち込む職人の技を垣間見る思いに駆られた。

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 その工房のすぐ裏手に古い教会があり、その壁画がすばらしく感動的だった。アントニオ・ストラディヴァリの時代の名士たちが描かれているのだが、後列左から4人目の、人のうしろに隠れるようにしてシャイな表情を見せているのがストラディヴァリその人だという。
 クレモナは本当に奥深い街である。たった数日間の滞在だったが、記憶に残る多くのことに出合えた。

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posted by 伊熊よし子 at 23:37 | 麗しき旅の記憶
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