ブログ

クレモナ・レッド

 先日訪れたクレモナで、ひとつ新たな発見があった。
 街全体を俯瞰した写真を撮影することになり、夜の8時にクレモナでもっとも高い建物に行き、そこからカメラマンがドゥオーモ(大聖堂)やトラッツォ(鐘塔)を望む全体像を撮影した。
 この時間は西日が建物を照らし、もっとも美しい光景になるという。
 街は屋根が赤いレンガの色で統一され、それが見事なまでの一体感を生み、とても美しい。このレンガは、ポー川の粘土で作られているそうで、アントニオ・ストラディヴァリの製作したヴァイオリンのニスの色にも似ているそうだ。
 現地の人たちに聞くと、屋根はこのレンガを使ったものでないと認められないとのことで、昔からずっと「クレモナ・レッド」と呼ばれる色合いが守られているという。
 あまりにも美しい景観に、しばしときを忘れ、悠久のかなたへと心は飛んでいった。こうした新たな発見があると、旅はより魅惑的になる。
 今日の写真は、「クレモナ・レッド」の色彩を放つ街の景観と、レンガを用いた屋根。この街は現代的なコーヒーのチェーン店やファーストフードのお店がまったくなく、中世の面影をいまなお色濃く留めている。それが旅人をストラディヴァリの時代へとタイムスリップさせ、心身を癒す大きな理由となっている。

Y3117_R.JPG 

y3137_R.JPG
 
posted by 伊熊よし子 at 00:03 | 麗しき旅の記憶

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るC

 ビートルズの足跡を辿る 第4回目はジョージ・ハリソンの家の登場だ。

 174マケッツ・レーン
 ここはジョージ・ハリソン一家が1962年から1965年までを過ごした家である。ハリソン一家はリヴァプールで3回引っ越しをしているが、ここが3軒目の家にあたる。
 ジョージは12アーノルド・グローブにあるベッドムが2つの小さな家で生まれたが、両親と4人の子どもで暮らすにはやや窮屈だった。
 一家は1950年にスペック地区の24アプトン・グリーンに移り住んだ。同地区にはポール・マッカートニーも住んでおり、彼らは同じスクールバスで学校に通い、とても仲良くなった。
 しかし、ジョージの母親はスペック地区に落ち着こうとはせず、1962年にここに引っ越してきて、ファンが毎日押しかけてくるため、新しい家を探さざるを得なくなる1965年までの3年間暮らした。ファンの女の子たちはジョージの父親の靴下や下着まで、ジョージのものと勘違いして庭先から盗んでいった。
 やがて、ジョージはここから15マイルほど離れたワリントンに家族のための家を購入する。しかし、不運が続く。1970年、母親が脳腫瘍のために、1978年には父親が肺がんで、1985年には長兄ハロルドもまた肺がんで亡くなり、1997年にはジョージ自身も肺がんと診断される。
 1999年、暴漢マイケル・アブラハムがフライアーズ・パークの家に押し入り、ジョージと妻オリビアは襲われる。ジョージは何カ所も刺されたものの生き延びたが、2001年11月21日がんで亡くなる。ジョージの次兄ピーターも、また2007年がんで亡くなった。
 1964年2月9日、ビートルズはエド・サリバン・ショーに出演、その2週間後ジョージは21歳の誕生日を家族や友人たちとこの家で祝っている。郵便配達の人たちは、世界中のファンから届くカードと62箱ものプレゼントを必死で届けてくれたのである。
 翌日、ジョージは映画「ハード・デイズ・ナイト」の撮影のためにロンドンに向けて出発するが、その日の写真家によって撮影された写真を見ると、ジョージの顔には前日のパーティの疲れがありありと見てとれる。

y2067_R.JPG
posted by 伊熊よし子 at 22:54 | 麗しき旅の記憶

クレモナの弦楽器製作アカデミー

 今回クレモナの取材では、国立の弦楽器製作学校ではなく、新しくできたという私立の弦楽器製作アカデミーを訪ねることができた。
 ここはアジアからの生徒も多く学んでいて、みな熱心に製作に励んでいた。
 教えている先生たちも、実力派ぞろい。クラシカルな製作方法にのっとり、そこに新たな技術をプラスしている。まさに伝統と革新を感じさせるものだった。
 作業の工程を見学させてもらったが、非常にこまかく根気のいる仕事で、かなりの時間と忍耐を必要とする。本当に好きでなければ、続かない仕事だと思った。
 このアカデミーは大きな古い石造りの建物を借りていて、広い中庭もあり、とても静かな環境だった。
 今日の写真は、出来上がったヴァイオリンを試奏している学生。部屋の外から写真を撮らせてもらったが、窓から光が入り、一幅の絵のようで、扉が額縁のように見えた。彼は、J.S.バッハの無伴奏作品の一部をひたすら弾き続けていた。

Y3113_R.JPG

 もう1枚は、アカデミーの外観。今回はこうした石造りの建物をいくつも見たが、みんな多少暑くても冷房はほとんどつけず、窓を開けて自然な空気のなかで作業をしたり、生活をしていた。

Y3114_R.JPG

 
posted by 伊熊よし子 at 22:25 | 麗しき旅の記憶
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
検索ボックス