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クリムトのスカーフ

 私は音楽とともに美術も大好きで、よく海外出張のときなどには、時間ができると美術館巡りをする。
 以前、ウィーンの分離派会館(セセッション館)ではグスタフ・クリムトが制作した有名な壁画「ベートーヴェン・フリース」を鑑賞し、魂が吸い取られるようなえもいわれぬ衝撃と感銘を受けた。
  そのときにショップで記念に購入したのが、「ベートーヴェン・フリース」の一部をデザインしたスカーフ(白)である。
  そして先ごろ、東京都美術館でクリムト展が開催され、またまたクリムトの絵に会いにいってきた。
  この展覧会は連日ものすごい人が訪れ、押すな押すなの大盛況。あまりの人の多さにひとつの絵をじっくり観るということは困難だったが、それでもクリムトのすばらしさに触れ、またもや深い感動を得た。
  今回、記念に購入したのは、やはり「ベートーヴェン・フリース」をデザインしたスカーフ(赤)。
  ふたつともシルクで、オーストリア製。かなりずっしりとした質感のある、大ぶりのスカーフである。
  薄着のときに巻くのはちょっと難しく、秋のジャケットや冬のコートに向いている感じだ。
  でも、眺めているだけで、脳裏に「ベートーヴェン・フリース」の偉大な絵が浮かんできて、心が豊かになる。
  今日の写真は、その紅白のスカーフ。今年の秋から冬にかけて、私の必須アイテムになりそう。

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posted by 伊熊よし子 at 21:58 | 麗しき旅の記憶

宮沢明子

 先日、宮沢明子の追悼文のような形で「ムジカノーヴァ」の記事を紹介したが、もうひとつ印象に残っている記事があるので、取り上げたい。
  1987年、明子さんのベルギーのご自宅におじゃましたときの「ショパン」の記事である。このときはパリでカメラマンと合流し、アントワープに向かった。記事はここからスタートする。

緑に囲まれたやすらぎの館

 アントワープ中央駅から宮沢さんのご主人(ギイ・クルガールさん・カメラマン)の運転する車で北へ30分。もうオランダとの国境に近い森のなかの閑静な住宅街に着く。日本の感覚からいうと、住宅街というよりは別荘地といった雰囲気。かなり広い庭には、日本のさつきやつつじ、もみじ、しゃくなげなどが整然と植えられている。
「全部日本の家の庭から盗んで来ちゃったの(笑)。これ、よく税関通ったってみんなにいわれるんだけど…。ここは土がいいからよく育つわよ」 
  ここに移ってから今年で5年目。それまではアントワープ市内の街のなかのアパートに住んだり、一戸建ての借家に住んだり…。しかし、ピアノの音にまつわる苦情に疲れ果ててしまった。
「ピアニストっていうのは、午後すごく指の訓練をする人が多いわけ。私も朝はまだねぼけているから、ノクターンとかワルツの練習から入り、午後はすごいテクニックのものを弾く。それで夕方からまた静かなものに戻る。ところが、この午後が全然できない。ベルギーは老人天国で、上の階、下の階からギャンギャンノックされる。おじいさん、おばあさんが『俺たちの命がなくなってもいいのか』って」
  そうこうして移った一軒家の方では、今度まわりの人がゾロゾロ行列してピアノを聴きに来てしまう。まるで見世物。そんなとき、この家と巡り合った。
  宮沢さんはイニシャルがM・M。大好きなミッキー・マウスもM・M。そしてこの家を売り出した人がモリス・メリヤーといって、これまたM・M。何かピンとくるものがあった。なんとこれが家探しを始めて61軒目の家だった。
「この家を初めて見たとき、『ここは私の家だ!』と思ったの。ここで最高に素敵なのは、隣にだれが住んでいるのかわからないこと。ただね、この先に95歳で亡くなった小説家のおじいさんがひとりで住んでいたのは死っていたの。35個部屋がある、いわゆるお城なんだけど、2000万円でいま売りに出ているのよ。ベルギーは50万円でちょっとしたお城なら買えるくらい。あなた、買わない?(笑)」
  なんともうらやましい限りである。ここはあくまでも空気が澄み、まわりは緑一色。鳥の鳴き声と風のそよぐ音以外は何も聞こえず、独占して泳げるプールがあり、食事の際には自家製トマトやポワロー(ニラネギ)が食卓を飾る。
「私、2日間暇ができたとき、日本からここへ飛んで帰って来ちゃったの。この空気吸って、ポケーッとして、また音楽の戦場に戻る。どこの国に行ってもすぐ戻って来ちゃう」
  この通称” 宮沢旅館”はご夫妻だけではなく、ここを訪れる人をみな去りがたくする、一種の魔力をもっているようだ。

  今日の写真は、そのときのページ。いま思い出しても、心が洗われるようだ。 

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posted by 伊熊よし子 at 22:34 | 麗しき旅の記憶

瀧廉太郎

 5月に大分県竹田市に行った折、瀧廉太郎記念館を訪れた。
 滝廉太郎は12歳のときに父親の転任のために、一家で竹田市に移り住んだ。
 多感な少年だった彼が2年半に渡って暮らしたのが豊後竹田。代表作である「荒城の月」の構想を得たとされる岡城跡があり、廉太郎が暮らした旧宅が再構築され、瀧廉太郎記念館として開放されている。

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 記念館の内部は当時のままに再現され、彼が聴いたはずの「音」が体験できるよう作庭されている。その音とは、竹の響き 雀の鳴き声、飛び石と下駄の響き、井戸の音、「滝川」の音、鳥や動物の鳴き声などである。

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 廉太郎は明治12年東京生まれ。幼少のころから音楽に類まれなる才能を示し、東京高等師範学校付属音楽学校(のちの東京音楽學校)に入学。明治34年には、ピアノおよび作曲研究のためライプツィヒ王立音楽院に留学している。
 しかし、肺結核を発病し、翌年には日本に帰国せざるをえなくなる。そして明治36年、23歳という若さで亡くなった。
 短い生涯のなかで多くの曲を生み出し、「散歩」「四季の龍」「花」「メヌエット」「荒城の月」「箱根八里」「豊太閤」「雀」「お正月」「憾(うらみ)心残り」など、数々の名曲を残している。
 岡城跡は緑豊かな自然のなかにあり、散策するコースが設定され、全国から訪れる人が後を絶たない。本丸跡や武家屋敷跡など数多くの遺構が残る広大な城址である。

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posted by 伊熊よし子 at 23:07 | 麗しき旅の記憶
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