ブログ

クリムト「接吻」

 通常、海外出張の場合は、着いたその日の夜からとか、明朝からすぐに仕事が開始されるため、ほとんど観光する時間や自由時間はない。
 だが、今回のウィーンでは、ホテルがベルヴェデーレ宮殿のすぐそばだったこともあり、ほんの短時間だったが、宮殿のオーストリア絵画館に絵を見にいくことができた。
 お目当ては、グスタフ・クリムトが1907年から翌年にかけて描いた有名な「接吻」である。
 クリムトと恋人エミーリエ・フレーゲがモデルといわれるこの絵は、180センチ×180センチの油絵。数多く展示されている絵画のなかでもっとも人気のある絵で、各地から訪れた人々がじっと食い入るように見つめたり、写真を撮ったり、大人気となっていた。
 クリムトの「黄金の時代」といわれる時期に描かれたこの絵は、ふんだんに金箔が使用され、見る者にある種の狂気を感じさせるような不思議なオーラを発している。
 以前、セセッション館(分離派会館)のベートーヴェン・フリーズを見たときにも感じた、背中がぞくぞくしてくるような狂気。絵の前に立つと、しばらくじっと動けなくなるような存在感と緊迫感。
 クリムトの「接吻」は世紀末ウィーンの妖艶で退廃的で甘美で深遠な空気を放つと同時に、死の影ものぞかせ、私の時差ボケや疲れを一気に吹き飛ばしてくれた。
 今日の写真は、その「接吻」。実際に見ると、実に精緻で巧妙で官能的で迫力に満ち、魅入られてしまう。

y4010_R.JPG
 
posted by 伊熊よし子 at 21:45 | 麗しき旅の記憶

リヴァプールでビートルズの足跡を辿る B

 リヴァプールのビートルズ第3弾は、リンゴの家の紹介である。

「マドリン・ストリート」
 こちらはリンゴ・スターの誕生した家であり、両親が離婚する3歳まで住んでいた。彼の父は離婚後、親の住む59番の実家へ戻った。じきに再婚した父はクルーへ引っ越し、その後リンゴにはニ度と会うことはなかった。
 リンゴは母のエルシーとアドミラル・グローヴへ引っ越し、1963年まで同じ家に住む。この家は生家のすぐ近くにあり、印象的な建物となっている。
 リンゴは子どものころから病気にかかることが多く、7歳で虫垂炎を経験している。13歳のころには結核に苦しんだ。リンゴの母はバーで働くと同時に角にあるパブで掃除の仕事をしていた。のちにハリー・グレーブスと出会い、結婚する。ハリーは入院していた病院を出るなりリンゴに初のドラムセットをプレゼントした。
 リンゴはこの角にある「ザ・エンプレス」というパブをファーストアルバムのカバーに使う。こちらのエリアではいくつかの道路が壊される計画があったが、長期に渡るデモのおかげでリンゴの家のほか117軒が無事に残された。

y2082_R.JPG 

「アドミラル・グローヴ」
 リンゴの母はこの10番に住んでいた。しかし、1964年の夏にリンゴのファンが押し寄せ、引っ越しせざるをえなくなる。ファンの熱狂ぶりはビートルズマニアと呼ばれた。リンゴの思い出の多くはこの家のものであり、80人も参加した21歳の誕生日会さえこの家で開かれた。彼の大切な思い出はすべてこの家で生まれ、先ほどの生家ではない。
 1963年12月7日、ビートルズがリヴァプールの中心にある「エンパイア・シアター」で公演した日が、リンゴにとってこの家で過ごす最後の夜となった。翌日、家を出るときの写真が残っている。リンゴは以前、「ローリー・ストーム」や「ザ・ハリケーンズ」といったバンドのメンバーだった。ビートルズに参加を頼まれていたが、参加を決めたのはビートルズがレコード会社との契約に成功してからのことだった。

y2081_R.JPG



posted by 伊熊よし子 at 22:31 | 麗しき旅の記憶

ウィーン楽友協会「黄金のホール」

 先日、辻井伸行の取材でウィーンを訪れた際、久しぶりにウィーン楽友協会「黄金のホール」に足を踏み入れた。
 このホールは音響のすばらしさで知られ、佐渡裕指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団のリハーサルを聴いているときも、ステージから放物線を描くように客席に届けられる、まろやかで精緻な響きに魅了されたものだ。
 以前、このホールを取材した際、芸術監督のトーマス・アンギャン氏が「このホールは下は空洞になっており、上も何もないため、コントラバスのように全体が鳴り、すばらしい響きが生まれるのです」と語っていた。
 今回の辻井伸行のラヴェルのピアノ協奏曲も、冒頭からピアノの響きが明晰かつこまやかで、ひとつひとつのリズムが非常にクリアに響いてきた。
 オーケストラとの音の融合も自然で、まさにラヴェルの粋で洒脱でエスプリに富んだ音楽が聴き手の心にまっすぐに届けられる感覚を抱いた。このコンチェルトは多分にジャジーな雰囲気を備えているが、幼いころからジャズが好きだという辻井さんのノリのよさも際立っていた。
 彼自身、インタビューではこのホールの響きを絶賛し、「ここで演奏できて本当に幸せ。夢のようなひとときです」と話していたが、やはりピアニストにとっては至福の時間を過ごすことができるのだろう。
 本当に、このホールは「黄金のホール」と称されるのにふさわしい。私はいつもここにすわっていると、カラヤンのたった一度のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを聴きにきたときのことを思い出す。
 私にとっても、まさにここは夢のようなひとときを過ごした場所である。
 今日の写真は、以前、許可をいただいて撮影した人の入っていない「黄金のホール」。ため息が出そうなくらい、美しい。

y1584_R.JPG

 
 
posted by 伊熊よし子 at 22:00 | 麗しき旅の記憶
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
検索ボックス