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瀧廉太郎

 5月に大分県竹田市に行った折、瀧廉太郎記念館を訪れた。
 滝廉太郎は12歳のときに父親の転任のために、一家で竹田市に移り住んだ。
 多感な少年だった彼が2年半に渡って暮らしたのが豊後竹田。代表作である「荒城の月」の構想を得たとされる岡城跡があり、廉太郎が暮らした旧宅が再構築され、瀧廉太郎記念館として開放されている。

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 記念館の内部は当時のままに再現され、彼が聴いたはずの「音」が体験できるよう作庭されている。その音とは、竹の響き 雀の鳴き声、飛び石と下駄の響き、井戸の音、「滝川」の音、鳥や動物の鳴き声などである。

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 廉太郎は明治12年東京生まれ。幼少のころから音楽に類まれなる才能を示し、東京高等師範学校付属音楽学校(のちの東京音楽學校)に入学。明治34年には、ピアノおよび作曲研究のためライプツィヒ王立音楽院に留学している。
 しかし、肺結核を発病し、翌年には日本に帰国せざるをえなくなる。そして明治36年、23歳という若さで亡くなった。
 短い生涯のなかで多くの曲を生み出し、「散歩」「四季の龍」「花」「メヌエット」「荒城の月」「箱根八里」「豊太閤」「雀」「お正月」「憾(うらみ)心残り」など、数々の名曲を残している。
 岡城跡は緑豊かな自然のなかにあり、散策するコースが設定され、全国から訪れる人が後を絶たない。本丸跡や武家屋敷跡など数多くの遺構が残る広大な城址である。

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posted by 伊熊よし子 at 23:07 | 麗しき旅の記憶

たけたの美味なる会食

 先日のアルゲリッチ音楽祭のあとの食事会に続き、グランツたけたのプレセミナー、マイスキーのコンサート後にも、関係者が一堂に会し、食事会が行われた。
 大分は、本当に海の幸も山の幸にも恵まれていて、今回担当者が選んでくれたレストランは、ビストロ&クッチーナ・シャンピというこの土地の人気店。6人でコンサートの成功を祝し、ゆっくりとおいしい食事をいただいた。
 グランツたけたの人たちは、みなさん本当に熱心で、聴衆も温かい人たちが多く、久しぶりに幸せな気分に浸ることができた。
 写真は、シェフが腕をふるったお皿の数々。味もさることながら、盛り付け、色合いもまるで絵画のよう。地元の食材をふんだんに使用し、ひとつずつ「これはどこどこのお魚、野菜、お肉」と説明してくれる。
 舌と目で楽しむことができ、とても豊かな気持ちになった。

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posted by 伊熊よし子 at 22:32 | 麗しき旅の記憶

宮崎国際音楽祭

 以前も宮崎国際音楽祭の取材に行って感じたことだが、メイン会場であるメディキュット県民文化センターは周囲に緑が多く、広々としていて、実に清々しい。
 すぐ隣には宮崎県立美術館もあり、こちらも広い敷地のなかにあり、ロビーから展示室、カフェなどがゆったりと作られている。
 今回は、音楽祭のスペシャルプログラム「ズーカーマン 至高のアンサンブル」(11日)とメインプログラム「巨匠と若き後継者 大いなる歓びへの賛歌」(12日)を聴いた。
 この取材記事は次号の「音楽の友」に書く予定になっている。
 ホールはとても音響がよく、心ゆくまで室内楽を堪能することができた。
 終演後は、共演者の徳永二男、三浦文彰にコメントをもらい、記事に反映することにした。
 今回も、宮崎国際音楽祭管弦楽団の演奏が際立ち、徳永さんが声をかけて集まった若手および実力派演奏家の作り出す音楽に、とても感銘を受けた。
 それに関しても、記事で触れたいと思う。
 会場のあちこちに今回のコンサートやリハーサル、オフショットを撮影した写真が飾られ、音楽祭ならではの輝かしく楽しい空気を醸し出していた。
 今日の写真は、ホールの入口と、花いっぱいのロビーから外を眺めたところ。周囲に何も建物がないからか、本当にゆったりとしている。

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posted by 伊熊よし子 at 22:51 | 麗しき旅の記憶
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