2026年07月12日
室井摩耶子
7月5日、ピアニストの室井摩耶子が天に召された。享年105。
生前、何度か成城のご自宅にインタビューに出かけたが、いつもとてもにこやかに雄弁に質問に答えてくれ、いろんな話を聞くことができた。ひとつ心残りなのは、お料理を教えてもらえなかったこと。サバ寿司を教えてくれるといってくれたが、それがかなわぬこととなってしまった。
今回は、2008年に「ムジカノーヴァ」でインタビューした記事を紹介し、追悼文に替えたいと思う。謹んでご冥福をお祈りいたします。
「生涯現役のピアニスト」という姿勢を貫き、コンサートやレコーディングのみならず、後進の指導も積極的に行っている室井摩耶子。テレビやラジオにも出演し、パソコン習得にも意欲を燃やす。その前向きなエネルギーはとどまるところを知らず、常にチャレンジあるのみという姿勢を崩さない。そのポジティブな精神が演奏に全面的に現れ、聴き手を元気にさせてくれる。さて、その素顔は…。
「みなさん、よく私の演奏を聴いてエネルギーをもらったといってくださるんだけど、私は弾く側ですから、正直いってそれがよくわからないの。そんなに活力を与えるようなこと、何もしていないんですけどねえ(笑)」
この自然さ、謙虚さ、おだやかさ。澄んだ高音のトーンをもつ美しい声で流れるごとく話す。その語りは彼女の音楽にも通じ、人の心を瞬時にとらえる、ある種の引力の強さを内包している。しかし、押し付けがましさや説得するような雰囲気は皆無、あくまでも聞き手とのコミュニケーションを楽しむ、というスタイルが根底に横たわっている。
この室井摩耶子の語りを含んだ「音楽を聴きたいって何なの?」と題した「トーク&コンサート・シリーズ」が95年からスタート、すでに18回を数える。いまや、人気の高いシリーズとして定着した感がある。
「最初、トークはちょっとためらっていたんです。でも、徐々にみなさんが期待してくださるようになり、ここまで続けてきました。でも、15分から20分のトークがいいなんていわれると、また少し困惑気味。だって、何年間もかけて練習で積み上げてきた演奏のほうが余程価値があるでしょう。トークはあくまでも聴衆との会話の導入ですね」
彼女は、演奏は人々との会話だと考えている。「音」が媒介となる会話。楽譜に書かれた音符は作曲家が五線紙に綴った音の詩であり、小説であり、また戯曲であるという考え。それを演奏家である自分が音として蘇らせ、聴き手の心に音の会話として届ける。
「譜面というものは、読めば読むほど新しい発見がいくつも出てくるものなんです。もう80年もピアノを弾いているのに、いまも日々新たな発見がある。それをほんのひとつ見出しただけで、私は限りない喜びに満たされ、この上ないうれしさに心が踊るような気持ちになり、天に飛翔していくような感覚にとらわれるの。この喜びがずっと私を音楽に結びつけてくれたのだと思います。そして音楽がエネルギーを与えてくれたのでしょうね。作曲家に感謝しています」
幼いころから、本人いわく「お転婆」だった。新しいことや面白いことに興味を抱き、好奇心に満ち、冒険好きで楽天家だった。電車の踏み切りでも、危険を顧みずに上下の電車が行き交う間に立って、駅員さんに怒鳴られたりもした。それを「今日、面白いことがあったの」と母親に報告するような子だった。
音楽に関してもただ音符を楽譜通りに弾くのでは物足りず、いつも「この作品は何を表現したいのか」と疑問を抱き、納得いくまで追求する性格だった。それが、音楽大学の入試のときに演奏したモーツァルトの作品で疑問の頂点に達する。モーツァルトをいかに弾いたらいいのか、自分には何かが足りない、そう感じ、先生に質問した。
「当時はいまと違って先生に質問などする生徒はいませんでした。でも、私はモーツァルトってどういう音楽なんですか、と聞いたんです。すると、困り果てた先生からは真珠の粒のようなきれいな音楽だという答えが戻ってきました。そんなこといわれたって、わからないじゃない(笑)」
これがきっかけとなり、現代の楽器で現代のピアニストが弾くのだから、いまの時代の作曲家、同時代の作品を弾いたほうが理解できると考えた。そしてサティやデュカスをはじめとする作品を徹底して学び始める。やがて「現代音楽の室井摩耶子」と評されるようになった。しかし、モーツァルトやベートーヴェンに対する強い思いは変わることなく、作品が生まれたヨーロッパに留学しようと決心する。折しも、ウィーンではモーツァルト生誕200年に湧く時期だった。
「ここでカール・ベームが指揮するモーツァルトの交響曲第40番を聴いたの。そのときに、ああモーツァルトはこういう音楽だったのかとわかった。ウィーンには4か月いたけど、それでモーツァルトがすべてわかるはずもない。その後、ベルリンで勉強を続けたわけ。ここでは主としてベートーヴェンを学びました。海外と日本の先生の教えかたの相違もわかり、次第に自分の音楽家としての方向性が決まっていきました」
留学先で学んだことは、音楽だけではなかった。日本からの留学生はとかく日本人だけでまとまりがち。そこから少しでも離れる人はいじめなどに遭う。室井摩耶子も、マイペースの個性派ゆえ、何度もいじめに遭遇した。
「最初はどう対処していいか、本当にわかりませんでした。陰湿な意地悪をされると、やはり気持ちを立て直すのが大変です。でも、あるとき決心したんです。私はこんなことに時間を割くために留学したんじゃない。音楽を学びにきたんだ、よしっ、音楽に集中しようって。そう思えるまでは忍耐の日々でしたが、気持ちが決まった時点で、いろんなことが聞き流せるようになった。もう音楽だけに目を向けられるようになったんです」
この強い意志が彼女を成功に導いたのだろう。これは現代社会に生きるあらゆる人々に当てはまることである。苦難に遭遇したときに自分をどう立て直すか、前に進むことができるのか、みんなが悩んでいる。そんなとき、室井摩耶子の前向きな生きかたそのものが、私たちに勇気を授けてくれる。人間関係でストレスがたまったとき、学校や仕事場でうまくいかなくなったとき、彼女の勇気を思い出してほしい。演奏に耳を傾けてほしい。きっと前に進む力が湧いてくるはずだ。
もちろん、音楽に関しても多くのものを得た。「もっと先に進んでいけ」と毎回いわれたことが一番印象に残るという。
「ヨーロッパにいって驚いたのは、この言葉を常にいわれたことね。音楽は次から次へと進んでいくものという意味。先生は、理屈はいわない。音楽の基礎をしっかりと踏まえ、先生の助言を的確にとらえ、自分で考えることを要求する。この基礎というものが非常に大切。たとえば国際コンクールで優勝したチェリストで、ドヴォルザークのコンチェルトが立派に弾けても、スケールが弾けない人がいる。それでは認められない。音楽をきちんとつかまえて、音楽で話ができないと、つまらない演奏になってしまうから」
室井摩耶子は、東京音楽学校(現・東京芸大)研究科時代にレオニット・クロイツァーに師事している。クロイツァーは基礎的なことを重視する人だった。レッスンはこまかく、とりわけppを大切にするという教えだった。
「ヨーロッパのピアニストは、大抵pやppを大切にするわね。日本人が何も考えずに音量上げて弾くと、もっと静かに、大きな音を出すなと指摘する。ニュアンスを大切にする教えなの。そして最後の音を静かに終わらせ、音符と音符の間のスウィングの感覚を重視する。これは人間が語る言葉と同じなのよ。それでね、というときの“ね“の音は大きくしないでしょ。次の言葉に期待させる。“ね“を平板に大きく何のニュアンスももたせずに安易に発音してしまうと、文章自体がつまらないものになってしまう。音楽も同様で、休符の前の音や5度から1度への移行、不協和音から協和音に移るときなど、ひとつずつこまやかな配慮をもって演奏しなければならない。それをさまざまな偉大な先生たちから学びました。いま、それらの教えを反芻し、じっくりと自分のものにしているところです」
この年になってようやくわかることがあるのよ、遅いわねえと、彼女はおだやかな笑みを見せる。なんと心温まる言葉だろうか。人間は一生勉強することが大切とよくいわれるが、まさに室井摩耶子のピアニストとしての歩みはそれである。しかも、肩肘張ったところが微塵もなく、勉強を楽しんでいる。この楽しさは一体どこからくるのだろうか。それは、8月30日に浜離宮朝日ホールで行われるトークコンサート「壮大な音の殿堂 バッハの真髄」のプログラムに表れている。
「多くのピアニストにとって、バッハはインヴェンションなどから入るため、どうしても学習的な意味合いから抜け出せない。私もそうでした。でも、じっくり勉強していくと、平均律のたった2ページのプレリュードのなかに、いい尽くせぬほど多くのドラマが詰まっていることに気づく。バッハは確固たる音の原理に基づき、形式を重視し、すばらしく情感豊かな音楽を作り上げた人。それが子どものころはわからないのよね。私もいまようやく、バッハの作品の血となり肉となるものに少し近づくことができたの。本当に楽しいわよ。それをリサイタルで表現したいの」
たとえば「イタリア協奏曲」。これは各々楽章がまるで異なる構成や形式をもち合わせ、多彩な色合いを放つ作品である。
「第1楽章はバッハのイタリアへのあこがれを表すような明るさが見られます。これに続く第2楽章は、とても難しい。アンサンブルの上にメロディが美しく乗っていく。演奏は大変。単なるきれいさを超越したものを表現しないとならないからです。そして静かに終わり、第3楽章は自然な息遣いで開始しなくてはなりません。自然な呼吸でね。バッハは本当に奥深い作曲家だと思います」
ペダルに関しても、緻密さを要求されるバッハ。しかし、バッハの話題になると、日々新しい発見に遭遇している彼女の表情が一層輝き、前向きになった。これまで数々のライヴ録音でも高い評価を得ているが、きっと真夏に演奏されるバッハは、外部の暑さをしのぐほど熱く燃える音楽になるに違いない。
心に残る恩師の言葉
ヴィルヘルム・ケンプは1957年以来、南イタリアのポジターノで講習会を開き、多くの門下生を育成していました。私がここで受講したときにもっとも印象に残ったのは、楽譜のこまかな読みです。ある部分を演奏したときに、「そこ、タイじゃない?」とおっしゃった。タイは次に進みたいのに、一瞬止まる。それから離れたときにスッと自然に次に流れるように音楽が進んでいかなくてはなりません。それをケンプは指摘した、その大切さを。以後、私はひとつの記号もおろそかにしてはいけないと考えるようになりました。
生前、何度か成城のご自宅にインタビューに出かけたが、いつもとてもにこやかに雄弁に質問に答えてくれ、いろんな話を聞くことができた。ひとつ心残りなのは、お料理を教えてもらえなかったこと。サバ寿司を教えてくれるといってくれたが、それがかなわぬこととなってしまった。
今回は、2008年に「ムジカノーヴァ」でインタビューした記事を紹介し、追悼文に替えたいと思う。謹んでご冥福をお祈りいたします。
「生涯現役のピアニスト」という姿勢を貫き、コンサートやレコーディングのみならず、後進の指導も積極的に行っている室井摩耶子。テレビやラジオにも出演し、パソコン習得にも意欲を燃やす。その前向きなエネルギーはとどまるところを知らず、常にチャレンジあるのみという姿勢を崩さない。そのポジティブな精神が演奏に全面的に現れ、聴き手を元気にさせてくれる。さて、その素顔は…。
「みなさん、よく私の演奏を聴いてエネルギーをもらったといってくださるんだけど、私は弾く側ですから、正直いってそれがよくわからないの。そんなに活力を与えるようなこと、何もしていないんですけどねえ(笑)」
この自然さ、謙虚さ、おだやかさ。澄んだ高音のトーンをもつ美しい声で流れるごとく話す。その語りは彼女の音楽にも通じ、人の心を瞬時にとらえる、ある種の引力の強さを内包している。しかし、押し付けがましさや説得するような雰囲気は皆無、あくまでも聞き手とのコミュニケーションを楽しむ、というスタイルが根底に横たわっている。
この室井摩耶子の語りを含んだ「音楽を聴きたいって何なの?」と題した「トーク&コンサート・シリーズ」が95年からスタート、すでに18回を数える。いまや、人気の高いシリーズとして定着した感がある。
「最初、トークはちょっとためらっていたんです。でも、徐々にみなさんが期待してくださるようになり、ここまで続けてきました。でも、15分から20分のトークがいいなんていわれると、また少し困惑気味。だって、何年間もかけて練習で積み上げてきた演奏のほうが余程価値があるでしょう。トークはあくまでも聴衆との会話の導入ですね」
彼女は、演奏は人々との会話だと考えている。「音」が媒介となる会話。楽譜に書かれた音符は作曲家が五線紙に綴った音の詩であり、小説であり、また戯曲であるという考え。それを演奏家である自分が音として蘇らせ、聴き手の心に音の会話として届ける。
「譜面というものは、読めば読むほど新しい発見がいくつも出てくるものなんです。もう80年もピアノを弾いているのに、いまも日々新たな発見がある。それをほんのひとつ見出しただけで、私は限りない喜びに満たされ、この上ないうれしさに心が踊るような気持ちになり、天に飛翔していくような感覚にとらわれるの。この喜びがずっと私を音楽に結びつけてくれたのだと思います。そして音楽がエネルギーを与えてくれたのでしょうね。作曲家に感謝しています」
幼いころから、本人いわく「お転婆」だった。新しいことや面白いことに興味を抱き、好奇心に満ち、冒険好きで楽天家だった。電車の踏み切りでも、危険を顧みずに上下の電車が行き交う間に立って、駅員さんに怒鳴られたりもした。それを「今日、面白いことがあったの」と母親に報告するような子だった。
音楽に関してもただ音符を楽譜通りに弾くのでは物足りず、いつも「この作品は何を表現したいのか」と疑問を抱き、納得いくまで追求する性格だった。それが、音楽大学の入試のときに演奏したモーツァルトの作品で疑問の頂点に達する。モーツァルトをいかに弾いたらいいのか、自分には何かが足りない、そう感じ、先生に質問した。
「当時はいまと違って先生に質問などする生徒はいませんでした。でも、私はモーツァルトってどういう音楽なんですか、と聞いたんです。すると、困り果てた先生からは真珠の粒のようなきれいな音楽だという答えが戻ってきました。そんなこといわれたって、わからないじゃない(笑)」
これがきっかけとなり、現代の楽器で現代のピアニストが弾くのだから、いまの時代の作曲家、同時代の作品を弾いたほうが理解できると考えた。そしてサティやデュカスをはじめとする作品を徹底して学び始める。やがて「現代音楽の室井摩耶子」と評されるようになった。しかし、モーツァルトやベートーヴェンに対する強い思いは変わることなく、作品が生まれたヨーロッパに留学しようと決心する。折しも、ウィーンではモーツァルト生誕200年に湧く時期だった。
「ここでカール・ベームが指揮するモーツァルトの交響曲第40番を聴いたの。そのときに、ああモーツァルトはこういう音楽だったのかとわかった。ウィーンには4か月いたけど、それでモーツァルトがすべてわかるはずもない。その後、ベルリンで勉強を続けたわけ。ここでは主としてベートーヴェンを学びました。海外と日本の先生の教えかたの相違もわかり、次第に自分の音楽家としての方向性が決まっていきました」
留学先で学んだことは、音楽だけではなかった。日本からの留学生はとかく日本人だけでまとまりがち。そこから少しでも離れる人はいじめなどに遭う。室井摩耶子も、マイペースの個性派ゆえ、何度もいじめに遭遇した。
「最初はどう対処していいか、本当にわかりませんでした。陰湿な意地悪をされると、やはり気持ちを立て直すのが大変です。でも、あるとき決心したんです。私はこんなことに時間を割くために留学したんじゃない。音楽を学びにきたんだ、よしっ、音楽に集中しようって。そう思えるまでは忍耐の日々でしたが、気持ちが決まった時点で、いろんなことが聞き流せるようになった。もう音楽だけに目を向けられるようになったんです」
この強い意志が彼女を成功に導いたのだろう。これは現代社会に生きるあらゆる人々に当てはまることである。苦難に遭遇したときに自分をどう立て直すか、前に進むことができるのか、みんなが悩んでいる。そんなとき、室井摩耶子の前向きな生きかたそのものが、私たちに勇気を授けてくれる。人間関係でストレスがたまったとき、学校や仕事場でうまくいかなくなったとき、彼女の勇気を思い出してほしい。演奏に耳を傾けてほしい。きっと前に進む力が湧いてくるはずだ。
もちろん、音楽に関しても多くのものを得た。「もっと先に進んでいけ」と毎回いわれたことが一番印象に残るという。
「ヨーロッパにいって驚いたのは、この言葉を常にいわれたことね。音楽は次から次へと進んでいくものという意味。先生は、理屈はいわない。音楽の基礎をしっかりと踏まえ、先生の助言を的確にとらえ、自分で考えることを要求する。この基礎というものが非常に大切。たとえば国際コンクールで優勝したチェリストで、ドヴォルザークのコンチェルトが立派に弾けても、スケールが弾けない人がいる。それでは認められない。音楽をきちんとつかまえて、音楽で話ができないと、つまらない演奏になってしまうから」
室井摩耶子は、東京音楽学校(現・東京芸大)研究科時代にレオニット・クロイツァーに師事している。クロイツァーは基礎的なことを重視する人だった。レッスンはこまかく、とりわけppを大切にするという教えだった。
「ヨーロッパのピアニストは、大抵pやppを大切にするわね。日本人が何も考えずに音量上げて弾くと、もっと静かに、大きな音を出すなと指摘する。ニュアンスを大切にする教えなの。そして最後の音を静かに終わらせ、音符と音符の間のスウィングの感覚を重視する。これは人間が語る言葉と同じなのよ。それでね、というときの“ね“の音は大きくしないでしょ。次の言葉に期待させる。“ね“を平板に大きく何のニュアンスももたせずに安易に発音してしまうと、文章自体がつまらないものになってしまう。音楽も同様で、休符の前の音や5度から1度への移行、不協和音から協和音に移るときなど、ひとつずつこまやかな配慮をもって演奏しなければならない。それをさまざまな偉大な先生たちから学びました。いま、それらの教えを反芻し、じっくりと自分のものにしているところです」
この年になってようやくわかることがあるのよ、遅いわねえと、彼女はおだやかな笑みを見せる。なんと心温まる言葉だろうか。人間は一生勉強することが大切とよくいわれるが、まさに室井摩耶子のピアニストとしての歩みはそれである。しかも、肩肘張ったところが微塵もなく、勉強を楽しんでいる。この楽しさは一体どこからくるのだろうか。それは、8月30日に浜離宮朝日ホールで行われるトークコンサート「壮大な音の殿堂 バッハの真髄」のプログラムに表れている。
「多くのピアニストにとって、バッハはインヴェンションなどから入るため、どうしても学習的な意味合いから抜け出せない。私もそうでした。でも、じっくり勉強していくと、平均律のたった2ページのプレリュードのなかに、いい尽くせぬほど多くのドラマが詰まっていることに気づく。バッハは確固たる音の原理に基づき、形式を重視し、すばらしく情感豊かな音楽を作り上げた人。それが子どものころはわからないのよね。私もいまようやく、バッハの作品の血となり肉となるものに少し近づくことができたの。本当に楽しいわよ。それをリサイタルで表現したいの」
たとえば「イタリア協奏曲」。これは各々楽章がまるで異なる構成や形式をもち合わせ、多彩な色合いを放つ作品である。
「第1楽章はバッハのイタリアへのあこがれを表すような明るさが見られます。これに続く第2楽章は、とても難しい。アンサンブルの上にメロディが美しく乗っていく。演奏は大変。単なるきれいさを超越したものを表現しないとならないからです。そして静かに終わり、第3楽章は自然な息遣いで開始しなくてはなりません。自然な呼吸でね。バッハは本当に奥深い作曲家だと思います」
ペダルに関しても、緻密さを要求されるバッハ。しかし、バッハの話題になると、日々新しい発見に遭遇している彼女の表情が一層輝き、前向きになった。これまで数々のライヴ録音でも高い評価を得ているが、きっと真夏に演奏されるバッハは、外部の暑さをしのぐほど熱く燃える音楽になるに違いない。
心に残る恩師の言葉
ヴィルヘルム・ケンプは1957年以来、南イタリアのポジターノで講習会を開き、多くの門下生を育成していました。私がここで受講したときにもっとも印象に残ったのは、楽譜のこまかな読みです。ある部分を演奏したときに、「そこ、タイじゃない?」とおっしゃった。タイは次に進みたいのに、一瞬止まる。それから離れたときにスッと自然に次に流れるように音楽が進んでいかなくてはなりません。それをケンプは指摘した、その大切さを。以後、私はひとつの記号もおろそかにしてはいけないと考えるようになりました。
posted by 伊熊よし子 at 22:28
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