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ベートーヴェン「第九」1

  これまでの記事のプレーバック、今回はベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」を4回にわたって綴ってみたい。

  年末といえば「第九」。日本ではベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付」が各地で演奏される。そこで4回に分け、さまざまな角度から「第九」に迫ってみたい。まず第1回は、世界でも愛され、歴史的な瞬間に登場する「第九」にスポットを当ててみたい。
  ベルリンの壁開放の興奮も冷めやらぬ1989年12月25日、市内のコンサートホール、シャウシュピールハウスで行われた記念コンサートの会場で、レナード・バーンスタインが指揮していたのは、ベートーヴェンの「第九」だった。
  これには世界各国のオーケストラから有志が集まり、戦争で対立しあった国の人々が、同じステージで演奏するという感動的な場面を生んだ。バイエルン、ベルリン、ドレスデン…。ドイツの代表的なオーケストラのメンバーが、この日、次々とホールに集まってきた。歌手もアメリカから、イギリスから、そして東西ドイツからベルリンにやってきた。それは文字通り国を超え、民族を超えた大イヴェントとなった。
  そしてこのときの「第九」には、もうひとつ特筆すべきことがあった。それはシラーの詩の「歓喜」ということばを「自由」に置き換えて演奏したことだ。
 「シラーが歓喜を自由と読み替えられる、もうひとつの草稿を残したという説がある。その真偽のほどはともかく、いまこそこれを“自由”ということばと置き換えてうたうときではないだろうか。これは天から与えられた最上の機会であるように思えてならない」
  バーンスタインはこんなコメントを残している。そしてこの日、満場の聴衆を集めたシャウシュピールハウスには、「フロイデ(Freude=歓喜)」に替わって「フライハイト(Freiheit=自由)」の歌声が高らかに響きわたった。
  これとときをほぼ同じくして、改革に向けての市民運動が起こったチェコのプラハでも、市民フォーラムのためのコンサートで「第九」が演奏された。このときチェコ・フィルを指揮したのは、長らくこのオーケストラの首席指揮者を務めた経験のあるヴァーツラフ・ノイマン。彼は「いまここで必要なのは、一国家を超えた普遍的な連帯の心を人々に伝える音楽ではないか。それにふさわしいのはベートーヴェンであり、”第九”こそ、うってつけだ」といっている。そして深遠な音調と喜びに満ちあふれた賛歌は、まさに世界が大きくひとつに包み込まれた後、人類全体が結ばれ合った姿をうたい上げるのにピッタリだ、と付け加えている。
  さらに1990年10月2日には、再び同じシャウシュピールハウスにおいて、今度はクルト・マズアが旧東ドイツ政府主催の記念式典でドイツ統一へのタクトを振ったが、このときの曲目も「第九」だった。
 「”第九”を選んだのは、存在感を失ってしまった人々の再生への気持ちを表現したかったから」と、マズアは語っている。
  このように国あげての大きなイヴェントや歴史的な瞬間には、必ずといっていいほど演奏されたきた「第九」。これはいまに始まったことではなく、古くはワーグナーの時代にも見られる。
  1872年5月22日、ワーグナーは自ら終生の地と呼んだバイロイトで、祝祭劇場の定礎を記念して辺境伯歌劇場で行われた演奏会で「第九」を指揮した。声楽と器楽の総合芸術を目指すワーグナーにとって、「第九」は理想とする音楽だった。だが、この祝賀行事に「第九」を取り上げようと考えたのは、どうやら妻のコジマの方だったようだ。
  それから 約80年後の1951年7月29日、第2次世界大戦で中断されていたバイロイト音楽祭の再開初日に、またもや「第九」は演奏された。指揮は65歳を迎えていたヴィルヘルム・フルトヴェングラー。このライヴ録音は不滅の名盤(EMI)といわれ、そのドラマティックで奥深い演奏は人々の心を打ち、いまも語り継がれる超名演となっている。
 「苦悩を通して歓喜を」という「第九」の精神は、やはりいつの時代でも人々に希望と力を与えてくれるものなのだ。 
posted by 伊熊よし子 at 21:28 | クラシックを愛す
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