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リヴァプールでビートルズの足跡を辿るC

 ビートルズの足跡を辿る 第4回目はジョージ・ハリソンの家の登場だ。

 174マケッツ・レーン
 ここはジョージ・ハリソン一家が1962年から1965年までを過ごした家である。ハリソン一家はリヴァプールで3回引っ越しをしているが、ここが3軒目の家にあたる。
 ジョージは12アーノルド・グローブにあるベッドムが2つの小さな家で生まれたが、両親と4人の子どもで暮らすにはやや窮屈だった。
 一家は1950年にスペック地区の24アプトン・グリーンに移り住んだ。同地区にはポール・マッカートニーも住んでおり、彼らは同じスクールバスで学校に通い、とても仲良くなった。
 しかし、ジョージの母親はスペック地区に落ち着こうとはせず、1962年にここに引っ越してきて、ファンが毎日押しかけてくるため、新しい家を探さざるを得なくなる1965年までの3年間暮らした。ファンの女の子たちはジョージの父親の靴下や下着まで、ジョージのものと勘違いして庭先から盗んでいった。
 やがて、ジョージはここから15マイルほど離れたワリントンに家族のための家を購入する。しかし、不運が続く。1970年、母親が脳腫瘍のために、1978年には父親が肺がんで、1985年には長兄ハロルドもまた肺がんで亡くなり、1997年にはジョージ自身も肺がんと診断される。
 1999年、暴漢マイケル・アブラハムがフライアーズ・パークの家に押し入り、ジョージと妻オリビアは襲われる。ジョージは何カ所も刺されたものの生き延びたが、2001年11月21日がんで亡くなる。ジョージの次兄ピーターも、また2007年がんで亡くなった。
 1964年2月9日、ビートルズはエド・サリバン・ショーに出演、その2週間後ジョージは21歳の誕生日を家族や友人たちとこの家で祝っている。郵便配達の人たちは、世界中のファンから届くカードと62箱ものプレゼントを必死で届けてくれたのである。
 翌日、ジョージは映画「ハード・デイズ・ナイト」の撮影のためにロンドンに向けて出発するが、その日の写真家によって撮影された写真を見ると、ジョージの顔には前日のパーティの疲れがありありと見てとれる。

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posted by 伊熊よし子 at 22:54 | 麗しき旅の記憶
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