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リヴァプールでビートルズの足跡を辿る B

 リヴァプールのビートルズ第3弾は、リンゴの家の紹介である。

「マドリン・ストリート」
 こちらはリンゴ・スターの誕生した家であり、両親が離婚する3歳まで住んでいた。彼の父は離婚後、親の住む59番の実家へ戻った。じきに再婚した父はクルーへ引っ越し、その後リンゴにはニ度と会うことはなかった。
 リンゴは母のエルシーとアドミラル・グローヴへ引っ越し、1963年まで同じ家に住む。この家は生家のすぐ近くにあり、印象的な建物となっている。
 リンゴは子どものころから病気にかかることが多く、7歳で虫垂炎を経験している。13歳のころには結核に苦しんだ。リンゴの母はバーで働くと同時に角にあるパブで掃除の仕事をしていた。のちにハリー・グレーブスと出会い、結婚する。ハリーは入院していた病院を出るなりリンゴに初のドラムセットをプレゼントした。
 リンゴはこの角にある「ザ・エンプレス」というパブをファーストアルバムのカバーに使う。こちらのエリアではいくつかの道路が壊される計画があったが、長期に渡るデモのおかげでリンゴの家のほか117軒が無事に残された。

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「アドミラル・グローヴ」
 リンゴの母はこの10番に住んでいた。しかし、1964年の夏にリンゴのファンが押し寄せ、引っ越しせざるをえなくなる。ファンの熱狂ぶりはビートルズマニアと呼ばれた。リンゴの思い出の多くはこの家のものであり、80人も参加した21歳の誕生日会さえこの家で開かれた。彼の大切な思い出はすべてこの家で生まれ、先ほどの生家ではない。
 1963年12月7日、ビートルズがリヴァプールの中心にある「エンパイア・シアター」で公演した日が、リンゴにとってこの家で過ごす最後の夜となった。翌日、家を出るときの写真が残っている。リンゴは以前、「ローリー・ストーム」や「ザ・ハリケーンズ」といったバンドのメンバーだった。ビートルズに参加を頼まれていたが、参加を決めたのはビートルズがレコード会社との契約に成功してからのことだった。

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posted by 伊熊よし子 at 22:31 | 麗しき旅の記憶
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