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リヴァプールでビートルズの足跡を辿る A

 リヴァプールのビートルズ第2弾は、ジョンの家の登場だ。

「メンディップス」
 こちらはジョンが叔母ミミと酪農家の叔父ジョージと一緒に1945年から1963年(ジョンが住んだ家のなかで一番長い期間)まで住んでいた家である。母のジュリアはたびたびジョンに会いに来る。ジョンは母が道沿いにあるバス停から降りてくるのを家の門から見つめながら、毎回待ちわびる。母がわざわざ遠くから彼に会いにきていると思っていたのである。しかし、実は徒歩10分以内のところに住んでいた。ジュリアはわざとバスに乗り、遠くに住んでいるようにジョンに信じ込ませようとした。1952年の夏、12歳になったジョンを従兄弟のスタンリーは母ジュリアの家へ連れていく。ジョンにとって、母と異父の妹ジャッキーとジュリアがこんなに近いところに住んでいたことは衝撃的だった。
 1955年にジョンにとって唯一の父親的存在だった叔父のジョージが肝臓の出血が原因でなくなった。1956年にジョンは初めてエルヴィス・プレスリーの曲を寝室にあるラジオで耳にし、叔母ミミにギターを買ってくれるよう頼む。ミミはギターなんかで食べていけるはずがないから、しっかり勉強する方が大事だと伝え断る。ジュリアはミミの意志を無視して、ジョンに初めてギターを買ってあげる。唯一家のなかで弾くのを許されていた場所は、ガラス張りのサンルームだった。ジョンは音を響かせるガラスと床のタイルでできたその部屋を気に入っていた。
 1957年にここに立っていたら、ふたりの男の子たち、ジョンとポールがギターを弾いている姿が見えたことだろう。1958年7月15日にジュリア・レノンは家を夜10時に出て道を渡る最中に車にはねられ亡くなる。クルマを運転していたのは運転免許試験にまだ合格していない仕事へ遅れて急ぐ警察官だった。ジュリアは即死だった。ジョンはよく母をニ度「失った」といっている。一度目は叔母に預けていった5歳のころ。ニ度目はこの関係をまた築き直し始めた17歳のころだった。
 こちらに見える青いイングリッシュ・ヘリテッジ(歴史的建造物を保護する組織であり、イギリスの著名人として認定されている人の家に貼られる)のマークはジョンの死から20年経った2000年に記念として貼られた。そのイヴェントの日、ジョンの異父の妹ヴィクトリア(のちにイングリッドと呼ばれる)は他のふたりの異父の妹ジュリアとジャッキーとここで初めて対面する。
 叔母のミミは1965年にジョンがプール・ドルセットで新しい家を購入してあげたため、この家を出る。ミミは1991年に88歳で亡くなっている。
 ヨーコ・オノはこの家を2001年に買い、ナショナルトラストへ寄付する。インテリアはジョンが住んでいたときのように作られ、現在はミュージアムになっている。

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posted by 伊熊よし子 at 23:05 | 麗しき旅の記憶
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