2018年04月17日
マリア・ジョアン・ピリス
先日、マリア・ジョアン・ピリスの引退公演を聴き、深い感動が胸に迫ってくるのを感じた。
ピリスには長年に渡ってインタビューを行い、さまざまな話を聞いてきた。
かなり前のことになるが、彼女がポルトガルのベルガイシュ村に拠点をもって教育活動を行っていたとき、ひとりのピアニストとして人間としてのピリスを取材し、さまざまな形で紹介し、軽井沢でその活動を再現するようなプロジェクトが企画された。
数人のチームが結成され、私は取材とインタビューとすべての記事を担当することになった。そして何度かチームでの話し合いがもたれたが、ピリス側とのやりとりが困難を極め、日本側の考えとピリス側の考えが微妙に食い違い、その溝がどんどん深まってしまい、企画はすべて白紙に戻される形となってしまった。
以来、来日するごとにピリスは私に「どうして、あのプロジェクトはあんなにこじれてしまったの? 一番の理由は何なのよ」と詰め寄られたが、私が答える立場にはなかったため、明快な返答はできなかった。
いま思い返してみても、いい企画だったのに、残念で仕方がない。
そのころ、ピリスはNHKテレビ「スーパーピアノレッスン」の講師を務めることになった。そのテキストにピリスのことを綴った。「インタビュー・アーカイヴ」の第78回は、それを紹介したいと思う。
[スーパービアノレッスン]2008年夏
音楽は人生を豊かにし、人々を救う力があると信じているピリス。演奏のみならず教育や社会活動も行い、人間同士の触れ合いの大切さを説く。夢はシューベルトが親しい友人を集めて行っていた「シューベルティアーデ」のような小規模で親密な演奏会で、音楽、演劇、舞踊などあらゆる芸術を組み合わせたコミュニケーションの場を作ること。
「私、ようやく夢をかなえることができそうなのよ。長年考え続けていた計画を実行に移す時期がきたの。ベルガイシュはとても辺鄙なところだけど、豊かな自然が息づき、人々は素朴で温かい。私にとっての理想郷なの!」
マリア・ジョアン・ピリスがベルガイシュに芸術研究のためのセンターを創立したのは、1999年のことだった。それが実現されるかなり前に、彼女はこのビッグニュースを知らせてくれた。そのときの夢見る少女のような表情は、いまだ忘れることができない。
ピリスに話を聞くときは、常に音楽の内奥に深く根差す、多分に精神論的なシリアスな内容になることが多い。しかし、ベルガイシュという名を口にした途端、瞳は明るく輝き、いつにも増して雄弁になった。構想は当初かなり大きなものだったが、近年さまざまな事情からベルガイシュの活動は中止されることになった。現在はその哲学と教育をスペインのサラマンカやブラジルのサルヴァドール、バヒアなどに広めている。
ピリスがこうした活動に目を向けるようになったのは、若いころに一時期腕を痛め、まったくピアノが弾けない状態になったことに端を発する。それを克服し、さらに家庭的な危機も乗り越え、ピリスは自分が何をすべきか、どう生きるべきかを追及するようになる。そして本当に自分のしたいことをしよう、と考える。20年以上前から、彼女は演奏以外に多くの時間を割くようになっていく。
「仕事や勉強などにトラブルが生じ、自分に危機感を抱いている人たちが集まる場所を提供し、芸術全般を通して彼らとコミュニケーションをとるという、いわゆる修繕学校のようなものを開きたいの。それに最近の若い演奏家はコンクールで優勝して名が出ると、周囲がちやほやするから自分は特別なんだという気持ちになってしまう。演奏は単なるビジネスになって商業主義に振り回され、早い時期に自信を失って音楽から離れてしまう。そういう人を何人も見ているけど、たまらない気持になるの。その人たちに対して私ができることはないか、そればかり考えているわ」
ピリス自身、子どものころから「天才少女」と称され、デビュー後はスター扱いされた。年の割には多くのお金が入ってきて、特別な存在だといわれる。そうされればされるほど、彼女の心は重くなっていった。自分を特別だと考える、そのおごりが演奏に表れてしまうからだ。ごくふつうの人間でありたい、その気持ちを忘れないようにしたい、若いピリスはその狭間で毎日悩んでいた。
そんな彼女を救ってくれたのが、恩師のカール・エンゲルである。彼はピリスの気持ちをリラックスさせ、自分の方向を明確に見定めるという方法を伝授してくれた。
「重要なのは、自分が求めているものをずっと探し求めていく気持ちをもつことだと教えられたの。音楽によって自分の探しているものを見つけ出し、表現する。音楽はとても深く、一生を捧げるのに十分価値があるものだから」
こうした話を聞くと、いつも心が浄化するような思いにとらわれる。生きていくことに真摯なピリスはインタビューでも最大限誠意を尽くす。自分の話を本当に理解してもらえるだろうかと、常に相手の表情を見ている。そして真の意味が伝わったとわかると、そのつどにっこりと笑いかける。
このほほ笑みのなんと魅力的なことか。派手なことを好まず、自然素材の洋服を着てほとんどノーメイクだが、とてもチャーミング。来日中も多忙なためインタビューのオーケーをとるのも至難の業だが、いつもこのやさしい眼差しに接すると、それまでの困難が霧散していく。
ピリスの演奏は、研ぎ澄まされた鋭角的な音色と歯切れのよい躍動感あふれるリズム感に支えられたもので、ひたむきな性格と作品をこよなく愛す気持ちが演奏にそのまま投影されている。もっとも印象的なのは、集中力である。
彼女の集中力というのは驚異的で、それは「音楽は別世界」と何度も口にすることからもうかがえる。これはプライヴェートな面で何が起きようと、いったん演奏が始まれば完全に音楽のなかに入っていけることを意味している。それが無理なくできるそうだ。驚くべきは作品との対峙のしかた。ピリスは毎日多くても3時間ほどしか練習しない。あとは家事をしながら、さまざまな仕事をこなしながら、頭のなかで音楽を考えている。頭のなかで音楽と対話しているから、ピアノに向かうのはごく短時間でいいという。これこそ、集中力の賜物なのだろう。
しかし、ピリスも人間である。1994年の来日公演ではそれがリアルに現れた。実はこの来日中、ピリスは再愛の母を失った。その訃報を聞いた後、彼女は黒のシンプルなドレスでヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイとステージに登場した。心持ち目線が下向きでいつものやわらかな笑顔は見られなかったが、演奏は崇高な美しさに彩られたものだった。ピリスは演奏がうまくいくよう、必死の思いで神に祈りながら弾いているように見えた。
このとき、感動的だったのはデュメイのやさしさ。彼は懸命にピリスをサポートし、彼女の音楽をいつもの演奏に戻そうと全身全霊を使い、弦で呼びかけていた。私は目頭が熱くなった。彼らはともに「演奏は神への奉仕」と表現している。私はその意味合いが、この日の演奏に接して初めて深く理解できたような気がした。
彼らはモーツァルト、グリーグ、フランクなどの録音を残しているが、ブラームスは「男性が弾く曲」と考えて敬遠していたピリスを長い時間かけて説得し、録音に導いたのはデュメイの力である。一方、ピリスの得意とするソロ作品はモーツァルトとショパンとシューベルト。いずれも温かい血の通った人間が弾いているというヒューマンな演奏である。
ここに2000年、ベートーヴェンの「月光」の静謐で詩的で洞察力あふれる録音が加わった。これはベルガイシュで録音された、唯一の貴重な宝物である。
2007年冬、ピリスはたった1度のコンサートのために来日し、情感豊かで歌心あふれるシューベルトの即興曲とピアノ・ソナタを披露した。そんな彼女にシューベルト観を聞くと‥。
「シューベルトに近づくにはありのままの自分と向き合わなければならず、頭で音楽を考えすぎるとうまくいかない。これがシューベルトは難しいといわれる理由でしょうね」
シューベルトは人生の痛みや病気をすべて受け入れ、深い包容力をもって短い人生を生き抜いた。それを演奏で伝えたいと彼女は付け加えた。そこには何年たっても変わらぬ、真摯で自己を律する凛としたピリスがいた。
このインタビューから何年も経過しているが、ピリスの根底に流れている音楽への思いは変わらない気がする。そして彼女の生き方も…。
今日の写真は、2009年のインタビュー時に撮ったもの。担当者の要望により、サイン帳にサインをしているところ。

ピリスには長年に渡ってインタビューを行い、さまざまな話を聞いてきた。
かなり前のことになるが、彼女がポルトガルのベルガイシュ村に拠点をもって教育活動を行っていたとき、ひとりのピアニストとして人間としてのピリスを取材し、さまざまな形で紹介し、軽井沢でその活動を再現するようなプロジェクトが企画された。
数人のチームが結成され、私は取材とインタビューとすべての記事を担当することになった。そして何度かチームでの話し合いがもたれたが、ピリス側とのやりとりが困難を極め、日本側の考えとピリス側の考えが微妙に食い違い、その溝がどんどん深まってしまい、企画はすべて白紙に戻される形となってしまった。
以来、来日するごとにピリスは私に「どうして、あのプロジェクトはあんなにこじれてしまったの? 一番の理由は何なのよ」と詰め寄られたが、私が答える立場にはなかったため、明快な返答はできなかった。
いま思い返してみても、いい企画だったのに、残念で仕方がない。
そのころ、ピリスはNHKテレビ「スーパーピアノレッスン」の講師を務めることになった。そのテキストにピリスのことを綴った。「インタビュー・アーカイヴ」の第78回は、それを紹介したいと思う。
[スーパービアノレッスン]2008年夏
音楽は人生を豊かにし、人々を救う力があると信じているピリス。演奏のみならず教育や社会活動も行い、人間同士の触れ合いの大切さを説く。夢はシューベルトが親しい友人を集めて行っていた「シューベルティアーデ」のような小規模で親密な演奏会で、音楽、演劇、舞踊などあらゆる芸術を組み合わせたコミュニケーションの場を作ること。
「私、ようやく夢をかなえることができそうなのよ。長年考え続けていた計画を実行に移す時期がきたの。ベルガイシュはとても辺鄙なところだけど、豊かな自然が息づき、人々は素朴で温かい。私にとっての理想郷なの!」
マリア・ジョアン・ピリスがベルガイシュに芸術研究のためのセンターを創立したのは、1999年のことだった。それが実現されるかなり前に、彼女はこのビッグニュースを知らせてくれた。そのときの夢見る少女のような表情は、いまだ忘れることができない。
ピリスに話を聞くときは、常に音楽の内奥に深く根差す、多分に精神論的なシリアスな内容になることが多い。しかし、ベルガイシュという名を口にした途端、瞳は明るく輝き、いつにも増して雄弁になった。構想は当初かなり大きなものだったが、近年さまざまな事情からベルガイシュの活動は中止されることになった。現在はその哲学と教育をスペインのサラマンカやブラジルのサルヴァドール、バヒアなどに広めている。
ピリスがこうした活動に目を向けるようになったのは、若いころに一時期腕を痛め、まったくピアノが弾けない状態になったことに端を発する。それを克服し、さらに家庭的な危機も乗り越え、ピリスは自分が何をすべきか、どう生きるべきかを追及するようになる。そして本当に自分のしたいことをしよう、と考える。20年以上前から、彼女は演奏以外に多くの時間を割くようになっていく。
「仕事や勉強などにトラブルが生じ、自分に危機感を抱いている人たちが集まる場所を提供し、芸術全般を通して彼らとコミュニケーションをとるという、いわゆる修繕学校のようなものを開きたいの。それに最近の若い演奏家はコンクールで優勝して名が出ると、周囲がちやほやするから自分は特別なんだという気持ちになってしまう。演奏は単なるビジネスになって商業主義に振り回され、早い時期に自信を失って音楽から離れてしまう。そういう人を何人も見ているけど、たまらない気持になるの。その人たちに対して私ができることはないか、そればかり考えているわ」
ピリス自身、子どものころから「天才少女」と称され、デビュー後はスター扱いされた。年の割には多くのお金が入ってきて、特別な存在だといわれる。そうされればされるほど、彼女の心は重くなっていった。自分を特別だと考える、そのおごりが演奏に表れてしまうからだ。ごくふつうの人間でありたい、その気持ちを忘れないようにしたい、若いピリスはその狭間で毎日悩んでいた。
そんな彼女を救ってくれたのが、恩師のカール・エンゲルである。彼はピリスの気持ちをリラックスさせ、自分の方向を明確に見定めるという方法を伝授してくれた。
「重要なのは、自分が求めているものをずっと探し求めていく気持ちをもつことだと教えられたの。音楽によって自分の探しているものを見つけ出し、表現する。音楽はとても深く、一生を捧げるのに十分価値があるものだから」
こうした話を聞くと、いつも心が浄化するような思いにとらわれる。生きていくことに真摯なピリスはインタビューでも最大限誠意を尽くす。自分の話を本当に理解してもらえるだろうかと、常に相手の表情を見ている。そして真の意味が伝わったとわかると、そのつどにっこりと笑いかける。
このほほ笑みのなんと魅力的なことか。派手なことを好まず、自然素材の洋服を着てほとんどノーメイクだが、とてもチャーミング。来日中も多忙なためインタビューのオーケーをとるのも至難の業だが、いつもこのやさしい眼差しに接すると、それまでの困難が霧散していく。
ピリスの演奏は、研ぎ澄まされた鋭角的な音色と歯切れのよい躍動感あふれるリズム感に支えられたもので、ひたむきな性格と作品をこよなく愛す気持ちが演奏にそのまま投影されている。もっとも印象的なのは、集中力である。
彼女の集中力というのは驚異的で、それは「音楽は別世界」と何度も口にすることからもうかがえる。これはプライヴェートな面で何が起きようと、いったん演奏が始まれば完全に音楽のなかに入っていけることを意味している。それが無理なくできるそうだ。驚くべきは作品との対峙のしかた。ピリスは毎日多くても3時間ほどしか練習しない。あとは家事をしながら、さまざまな仕事をこなしながら、頭のなかで音楽を考えている。頭のなかで音楽と対話しているから、ピアノに向かうのはごく短時間でいいという。これこそ、集中力の賜物なのだろう。
しかし、ピリスも人間である。1994年の来日公演ではそれがリアルに現れた。実はこの来日中、ピリスは再愛の母を失った。その訃報を聞いた後、彼女は黒のシンプルなドレスでヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイとステージに登場した。心持ち目線が下向きでいつものやわらかな笑顔は見られなかったが、演奏は崇高な美しさに彩られたものだった。ピリスは演奏がうまくいくよう、必死の思いで神に祈りながら弾いているように見えた。
このとき、感動的だったのはデュメイのやさしさ。彼は懸命にピリスをサポートし、彼女の音楽をいつもの演奏に戻そうと全身全霊を使い、弦で呼びかけていた。私は目頭が熱くなった。彼らはともに「演奏は神への奉仕」と表現している。私はその意味合いが、この日の演奏に接して初めて深く理解できたような気がした。
彼らはモーツァルト、グリーグ、フランクなどの録音を残しているが、ブラームスは「男性が弾く曲」と考えて敬遠していたピリスを長い時間かけて説得し、録音に導いたのはデュメイの力である。一方、ピリスの得意とするソロ作品はモーツァルトとショパンとシューベルト。いずれも温かい血の通った人間が弾いているというヒューマンな演奏である。
ここに2000年、ベートーヴェンの「月光」の静謐で詩的で洞察力あふれる録音が加わった。これはベルガイシュで録音された、唯一の貴重な宝物である。
2007年冬、ピリスはたった1度のコンサートのために来日し、情感豊かで歌心あふれるシューベルトの即興曲とピアノ・ソナタを披露した。そんな彼女にシューベルト観を聞くと‥。
「シューベルトに近づくにはありのままの自分と向き合わなければならず、頭で音楽を考えすぎるとうまくいかない。これがシューベルトは難しいといわれる理由でしょうね」
シューベルトは人生の痛みや病気をすべて受け入れ、深い包容力をもって短い人生を生き抜いた。それを演奏で伝えたいと彼女は付け加えた。そこには何年たっても変わらぬ、真摯で自己を律する凛としたピリスがいた。
このインタビューから何年も経過しているが、ピリスの根底に流れている音楽への思いは変わらない気がする。そして彼女の生き方も…。
今日の写真は、2009年のインタビュー時に撮ったもの。担当者の要望により、サイン帳にサインをしているところ。

posted by 伊熊よし子 at 21:06
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