2017年09月26日
マティアス・ゲルネ
[ヤマハWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」]2014年7月23日
[アーティストの本音トーク マティアス・ゲルネ ?]
マティアス・ゲルネはひとつの歌曲をうたうとき、徹底的に作品を研究し、歌詞の内容に寄り添い、ピアニストとの音の融合を図り、旋律と詩との有機的な結びつきを極めていく。
そこには完璧主義者としての顔がのぞく。それは子ども時代に培われた性格なのだろうか。
「子ども時代はワイマールで過ごしました。とても自由で、いま思い出してみると、独特の空気に包まれていたような感じがします」
ゲルネはこういって、目を遠くに泳がせるような表情をした。それは自身の思い出をたどっているようにも見えた。
「ごく最近、おもしろいことがあったのです。母が1枚の古い写真を送ってくれたのですが、もうそれを見た途端に爆笑してしまいましたよ。すっかり忘れていたんですが、急にそのときのことが鮮やかに蘇ってきました」
それはゲルネが3歳のころの写真で、幼稚園のカーニヴァルに参加したときのものだった。その日は、みんなが仮装することになっていた。
「母は私に“何になりたいの“と聞きました。インディアン、カウボーイ、パイロットなどと聞くのですが、私はいやだいやだといったんです。どれも私か着たいコスチュームではありませんでしたから。母は困惑して、”じゃ、いったい何になりたいの“と聞きました。すると私は、はっきり”赤ずきんちゃん!”といったのです。母は驚いて“な?に、本当に赤ずきんちゃんがいいの”と再度聞きました。私はハイと答え、赤ずきんちゃんのコスチュームを着てカーニヴァルに参加したわけです。母が送ってくれたのは、そのときの写真だったんですよ(笑)」
ゲルネの話を聞いた途端、インタビューに居合わせた全員が大笑いし、しばらく笑いが止まらなかった。ぜひ、その写真を見せてほしいものだ。
体躯堂々としたゲルネが、幼少時代に「赤ずきんちゃん」に変装したとは、想像を絶する。彼はそんな子ども時代を「独特の空気」ということばで表現したのだろう。
「すごくいい子ども時代だったと思います。私の要望したことがそのまま“いいよ”といわれる環境だったわけですから。子どもというのは、はっきりした希望をもっているため、それが受け入れられることがとても重要になります。私はけっして子どもらしさの芽を摘まれることがなかったのです。そう、折られることがなかった。親が子どもに何かを強制したり、否定したりすることがなかったんです」
それはライプツィヒで最初に師事した声楽の先生、ハンス=ヨアヒム・バイヤーの教えにも共通していたことだという。
「先生は、お前はダメだとか、個性をいじる人ではありませんでした。何が正しいか、何が正しくないかを教えてくれ、まちがっていることははっきり指摘されました。私は子どものころからとてもわがままな性格で、一度いやだと思ったら絶対に引かない。そんな私を先生はよりよい方向へと導いてくれました」
そうした子ども時代に培った精神は、いまなお彼の仕事ぶりに現れ、シューベルトの録音シリーズでも大いに発揮されている。
さらに次なる大きなプロジェクトとして、シューベルトの「冬の旅」を京都賞を受賞した南アフリカの美術家、ウィリアム・ケントリッジの映像とのコラボレーションでうたうという計画も進められている。
これは6月9日にプレミエが行われ、ウィーン、エクサンプロヴァンス、アムステルダム、パリ、ニューヨーク、ドイツの各都市などで5年間にわたって展開されるプロジェクト。ドイツ・リートの新たな地平を拓くゲルネの挑戦は、ここからまた快進撃が続く。
「このプロジェクト、ぜひ日本でも実現させたいんですけどね」
目力の強いゲルネの表情が、なお一層強い光を放って見えた。
[アーティストの本音トーク マティアス・ゲルネ ?]
マティアス・ゲルネはひとつの歌曲をうたうとき、徹底的に作品を研究し、歌詞の内容に寄り添い、ピアニストとの音の融合を図り、旋律と詩との有機的な結びつきを極めていく。
そこには完璧主義者としての顔がのぞく。それは子ども時代に培われた性格なのだろうか。
「子ども時代はワイマールで過ごしました。とても自由で、いま思い出してみると、独特の空気に包まれていたような感じがします」
ゲルネはこういって、目を遠くに泳がせるような表情をした。それは自身の思い出をたどっているようにも見えた。
「ごく最近、おもしろいことがあったのです。母が1枚の古い写真を送ってくれたのですが、もうそれを見た途端に爆笑してしまいましたよ。すっかり忘れていたんですが、急にそのときのことが鮮やかに蘇ってきました」
それはゲルネが3歳のころの写真で、幼稚園のカーニヴァルに参加したときのものだった。その日は、みんなが仮装することになっていた。
「母は私に“何になりたいの“と聞きました。インディアン、カウボーイ、パイロットなどと聞くのですが、私はいやだいやだといったんです。どれも私か着たいコスチュームではありませんでしたから。母は困惑して、”じゃ、いったい何になりたいの“と聞きました。すると私は、はっきり”赤ずきんちゃん!”といったのです。母は驚いて“な?に、本当に赤ずきんちゃんがいいの”と再度聞きました。私はハイと答え、赤ずきんちゃんのコスチュームを着てカーニヴァルに参加したわけです。母が送ってくれたのは、そのときの写真だったんですよ(笑)」
ゲルネの話を聞いた途端、インタビューに居合わせた全員が大笑いし、しばらく笑いが止まらなかった。ぜひ、その写真を見せてほしいものだ。
体躯堂々としたゲルネが、幼少時代に「赤ずきんちゃん」に変装したとは、想像を絶する。彼はそんな子ども時代を「独特の空気」ということばで表現したのだろう。
「すごくいい子ども時代だったと思います。私の要望したことがそのまま“いいよ”といわれる環境だったわけですから。子どもというのは、はっきりした希望をもっているため、それが受け入れられることがとても重要になります。私はけっして子どもらしさの芽を摘まれることがなかったのです。そう、折られることがなかった。親が子どもに何かを強制したり、否定したりすることがなかったんです」
それはライプツィヒで最初に師事した声楽の先生、ハンス=ヨアヒム・バイヤーの教えにも共通していたことだという。
「先生は、お前はダメだとか、個性をいじる人ではありませんでした。何が正しいか、何が正しくないかを教えてくれ、まちがっていることははっきり指摘されました。私は子どものころからとてもわがままな性格で、一度いやだと思ったら絶対に引かない。そんな私を先生はよりよい方向へと導いてくれました」
そうした子ども時代に培った精神は、いまなお彼の仕事ぶりに現れ、シューベルトの録音シリーズでも大いに発揮されている。
さらに次なる大きなプロジェクトとして、シューベルトの「冬の旅」を京都賞を受賞した南アフリカの美術家、ウィリアム・ケントリッジの映像とのコラボレーションでうたうという計画も進められている。
これは6月9日にプレミエが行われ、ウィーン、エクサンプロヴァンス、アムステルダム、パリ、ニューヨーク、ドイツの各都市などで5年間にわたって展開されるプロジェクト。ドイツ・リートの新たな地平を拓くゲルネの挑戦は、ここからまた快進撃が続く。
「このプロジェクト、ぜひ日本でも実現させたいんですけどね」
目力の強いゲルネの表情が、なお一層強い光を放って見えた。