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キット・アームストロング

 ピアニストがリサイタルのプログラムを組むとき、あまり演奏されない作品を選ぶのには、かなりの勇気を要する。
 聴衆がそれらの作品になじみがないため、会場の雰囲気が盛り上がらなくなったり、退屈な顔をしたり、ときには眠ってしまう人が増えたり…。
 しかし、個性派の若きピアニスト、キット・アームストロングは自身の好きなバッハ以前の古い時代の音楽を積極的にプログラムに取り上げる。
 1月23日に浜離宮朝日ホールで行ったリサイタルでは、イギリス・ルネサンスを代表する作曲家、ウィリアム・バード(1540頃?1623)の「プレリュード」、「パヴァーヌ」、「ガイヤルド」から幕開け。
 次いで「ファンシー」が取り上げられ、あたかもヴァージナル(主として16世紀にイギリスで流行したチェンバロの一種)を聴くような雰囲気を醸し出した。
 私はチェンバロを演奏していたためか、この時代の音楽がとても好きである。キットが完璧なる技巧とバードの書法を深く理解した奏法、舞曲のリズムを美しく表現する術にいたく感銘を受けた。
 プログラムは、モーツァルトの幻想曲K.394、ピアノ・ソナタ第17番と続き、かろやかでコロコロと転がる真珠の粒のような音が、天空に舞っていった。
 キットの演奏は、けっして派手ではない。しかし、そのピアノは深い思考に根差したもので、作品の内奥にひたすら肉薄し、楽譜に忠実ながらピアノ好きをうならせる造詣の深さが存在する。
 後半はリストのピアノ・ソナタ ロ短調が「巡礼の年」第3年より「エステ荘の噴水」が演奏された。
 ロ短調ソナタでも、大袈裟なことは何もない。生涯ピアノを愛したリストの伝統と革新、新たなソナタの様式、単一楽章で成し得る最高の表現を楽譜から読み取り、緻密で繊細で内的な情熱を遺憾なく発揮した。
 最後の「エステ荘の噴水」は、キットの美しい弱音が存分に堪能できる演奏となった。
 本当にすばらしい才能だ。もっともっと多くの人に聴いてほしい逸材である。
 欲をいわせてもらえば、バードをより多く聴きたかった。次回もまた、アーリー・ミュージックが登場するだろうか。
 今日の写真は、プログラムの表紙。


タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 23:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシックを愛す
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