2017年01月10日
シューラ・チェルカスキー
これまで多くのアーティストにインタビューを行ってきたが、時折ものすごくユニークで、型破りな人に出会う。
インタビュー中、「これはいったい記事になるのだろうか」と心配するほど、奇人変人ぶりを発揮する人もいる。
なかでも、シューラ・チェルカスキ―は忘れがたい印象を残している。チェルカスキ―(1909?1995)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。私が会ったのは最晩年だが、いまでもそのインタビューのときの様子は鮮やかに脳裏に蘇ってくる。
インタビュー・アーカイヴ第72回は、そのチェルカスキ―の登場だ。
[ショパン 1993年4月号]
自由にマイペースで生きることができる人ってうらやましい!
今年84歳を迎えるチェルカスキ―が、例年通り真冬の日本にやってきた。今回もレパートリーの広いチェルカスキ―らしく、バッハからペリオまで幅広い作品を聴かせてくれた。
各会場ではアンコールを求める拍手が鳴り止まず、チェルカスキ―は5曲も続けて演奏。それでもまだまだ演奏可能なそぶりを見せるかくしゃくぶり。このエネルギーはいったいどこからくるのかと不思議に思っていたら、なぞはインタビュー中に解けた。彼はひたすらマイペースの姿勢を崩さなかったのである。
それも“超”のつくマイペース。これはいくらことばで表現しても真の姿は伝わるものではない。
そこで今回は、いつもと少々趣向を変えて、チェルカスキ―の素顔を忠実に伝えるべく、インタビュー中の様子をそのまま再現してみた。
――先日はすばらしい演奏を聴かせてくださって、ありがとうございました。チェルカスキ―さんは、演奏の前は何か縁起をかつぐというか、おまじないというか、特別にしていることがおありとか…。
チェルカスキ―(以下C) いや、縁起をかつぐというよりもすべて一分の狂いもなく物が並んでいないと気がすまないんだよ。ピアノ、せっけん、プログラムなどすべてがね。それと練習するときにきっちりと時間を計る時計がないと絶対ダメ。これを日本人はきちんと守ってくれるから、100パーセント信頼できる。日本人は私と似ている面が多いので気が合う。ここのホテルでも、日本人がいかに先を見越して行動するかを見ることができて楽しい。朝食のときだって、おつりをすぐに渡してくれるし、こういう点がヨーロッパじゃ遅いからねえ。
日本人は常に先のことを考えるでしょ。私は、20年前に食事したけど覚えているかとか、妹を覚えているかとか、そういう過去の話はまったく興味がない。過去は振り返らず、いつも先のことを考えていたい。ただ例外は過去に犯した過ちを2度と繰り返したくない、それだけだよ。
ここまで話がくるのに、実は大変なまわり道をした。私がセットしてあるテープレコーダーを見ては、「あっ、私もこれと同じのをもっているよ」と、突然席を立ってテレコをもちにいってしまったり(そのテレコは私の物とは似ても似つかぬ物だったが)、初めて来日したときの演奏会の様子を聞いたら、案の定、過去の話は興味がないらしく「あのときは帝国ホテルに泊まってね、そのときの朝食が…」と、すぐに音楽から話が逸れてしまう。
――雑誌「ショパン」は、今年創刊10周年を迎えます。それからチェルカスキ―さんの新譜もショパンのピアノ・ソナタ第2番、第3番ということで、ショパンのピアノ・ソナタについてお話を伺いたいのですが…。
C ショパンっていうと、おもしろい話があってね、ひとつはジョークなんだが…。
――(あっ、また見事にかわされた)
C アメリカの田舎の家族が大金を手にしたけど、使い道がわからなくて、毎週水曜日に人を招いて豪華なディナーを開いたんだよね。しばらくしたら、主人の耳にみんなが彼の奥さんをバカにしているという噂が伝わり、彼は妻に余計なことはいわないようにと釘を刺した。
ところが、その夜のディナーで、「ショパンはお好きですか」と聞かれた奥さんは、「ああ、彼なら2週間前、8番のバスのなかで見かけたわ」と答えてしまう。それを聞いた主人は、テーブルの下で妻の膝を蹴った。そして怒りの目を向けた奥さんに、「バカ、8番のバスはもう走っていないのを知らないのか」といったんだ。
――ああ、またまた話がどんどん逸れていってしまう。この後、チェルカスキ―は今度は本当にあった話、といって真面目な顔をし、彼がマヨルカ島にいったときの話を始めた。
それはショパンの直系の家族にあたる人がチェルカスキ―の演奏を聴き、彼のことを有名なピアニストとは知らず、「そう、ショパンはこう弾くべきなのよ」といってくれたので、とてもうれしかったということだった。
でも、この間も「ちょっと暖房暑くない? 私はこれくらいじゃないとダメなんだけどね。毎朝泳いでいるんで」といいながら、立ったりすわったり。
さらに、生まれ故郷のオデッサの音楽事情を聞こうとしたら、話はモスクワに飛び、チャイコフスキー国際コンクールまで一気にいってしまった。
――国際コンクールの審査員はなさっていませんが、チャイコフスキー国際コンクールでしたら、引き受けるつもりはありますか?
C あっ、この前優勝したのはだれだっけ? ボリス・ベレゾフスキー? ああ、知っているよ、その人。確か、ロンドンのアルバートホールで演奏したと思う。
――(ハズシ方がプロですよね)
C うん、実にうまかったなあ。だけど、音響がよくなかったのか、ときどきオーケストラの音にもぐっちゃって聴こえなかった。
――チェルカスキ―さんは、演奏する際に、そのときどきのインスピレーションを非常に大切にされるということですが、そのインスピレーションとは作品や演奏する場所、または指揮者との共演などに左右されるものでしょうか。
C 特にインスピレーションはないけど、心を動かされる場所というのはある。私はね、大きな都市か、反対に海辺とか田舎とか、そういう静かなところが好きなんだよ。中間はないね。そうそう、札幌はまだいったことがないなあ。とても大きな都市だと聞いているから、ぜひいってみたいんだが。
そんなこんなで1時間のインタビューは過ぎ去ってしまった。いったい何を聞いたのか自分でもよくわからないし、中身がまったくなくて読者の方々にはとても申し訳ないと思う。しかし、ひとつだけわかったことは、チェルカスキ―という人は、自分に興味がある話には耳を傾けるが、少しでも興味がない話題は自然に耳を通り過ぎていってしまうことだ。
だが、それがけっして嫌味であるとか、故意でないことははっきりしている。すべてをユーモアに変えてしまい、周囲を温かい雰囲気に包み込んでしまう。これはもう天賦の才能としかいいようがない。
とにかくピアノを弾いているときが最高で、他のことはまったくかまわない。住んでいるのもホテルで、楽器と楽譜とごく身のまわりの物だけに囲まれ、ぜいたくは好まないらしい。そしてステージにすべてを賭ける。
そんなチェルカスキ―は、最後に「オデッサでチャリティ・コンサートをするのが夢だ」といった。これはぜひ実現してほしい。その話題だったら、話を逸らさず、きっとまともに答えてくれるだろうな。
ああ、自由にマイペースで生きることができる人ってうらやましい!
今日の写真は、その雑誌の一部。写真撮影のとき、ピアノの前でポーズをとってほしいと頼んだら、ネクタイをしていないことに気づき、わざわざ時間をかけてステージ衣裳に着替えてくれた。う?ん、こんなことをしてくれる人も初めてだ。

インタビュー中、「これはいったい記事になるのだろうか」と心配するほど、奇人変人ぶりを発揮する人もいる。
なかでも、シューラ・チェルカスキ―は忘れがたい印象を残している。チェルカスキ―(1909?1995)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。私が会ったのは最晩年だが、いまでもそのインタビューのときの様子は鮮やかに脳裏に蘇ってくる。
インタビュー・アーカイヴ第72回は、そのチェルカスキ―の登場だ。
[ショパン 1993年4月号]
自由にマイペースで生きることができる人ってうらやましい!
今年84歳を迎えるチェルカスキ―が、例年通り真冬の日本にやってきた。今回もレパートリーの広いチェルカスキ―らしく、バッハからペリオまで幅広い作品を聴かせてくれた。
各会場ではアンコールを求める拍手が鳴り止まず、チェルカスキ―は5曲も続けて演奏。それでもまだまだ演奏可能なそぶりを見せるかくしゃくぶり。このエネルギーはいったいどこからくるのかと不思議に思っていたら、なぞはインタビュー中に解けた。彼はひたすらマイペースの姿勢を崩さなかったのである。
それも“超”のつくマイペース。これはいくらことばで表現しても真の姿は伝わるものではない。
そこで今回は、いつもと少々趣向を変えて、チェルカスキ―の素顔を忠実に伝えるべく、インタビュー中の様子をそのまま再現してみた。
――先日はすばらしい演奏を聴かせてくださって、ありがとうございました。チェルカスキ―さんは、演奏の前は何か縁起をかつぐというか、おまじないというか、特別にしていることがおありとか…。
チェルカスキ―(以下C) いや、縁起をかつぐというよりもすべて一分の狂いもなく物が並んでいないと気がすまないんだよ。ピアノ、せっけん、プログラムなどすべてがね。それと練習するときにきっちりと時間を計る時計がないと絶対ダメ。これを日本人はきちんと守ってくれるから、100パーセント信頼できる。日本人は私と似ている面が多いので気が合う。ここのホテルでも、日本人がいかに先を見越して行動するかを見ることができて楽しい。朝食のときだって、おつりをすぐに渡してくれるし、こういう点がヨーロッパじゃ遅いからねえ。
日本人は常に先のことを考えるでしょ。私は、20年前に食事したけど覚えているかとか、妹を覚えているかとか、そういう過去の話はまったく興味がない。過去は振り返らず、いつも先のことを考えていたい。ただ例外は過去に犯した過ちを2度と繰り返したくない、それだけだよ。
ここまで話がくるのに、実は大変なまわり道をした。私がセットしてあるテープレコーダーを見ては、「あっ、私もこれと同じのをもっているよ」と、突然席を立ってテレコをもちにいってしまったり(そのテレコは私の物とは似ても似つかぬ物だったが)、初めて来日したときの演奏会の様子を聞いたら、案の定、過去の話は興味がないらしく「あのときは帝国ホテルに泊まってね、そのときの朝食が…」と、すぐに音楽から話が逸れてしまう。
――雑誌「ショパン」は、今年創刊10周年を迎えます。それからチェルカスキ―さんの新譜もショパンのピアノ・ソナタ第2番、第3番ということで、ショパンのピアノ・ソナタについてお話を伺いたいのですが…。
C ショパンっていうと、おもしろい話があってね、ひとつはジョークなんだが…。
――(あっ、また見事にかわされた)
C アメリカの田舎の家族が大金を手にしたけど、使い道がわからなくて、毎週水曜日に人を招いて豪華なディナーを開いたんだよね。しばらくしたら、主人の耳にみんなが彼の奥さんをバカにしているという噂が伝わり、彼は妻に余計なことはいわないようにと釘を刺した。
ところが、その夜のディナーで、「ショパンはお好きですか」と聞かれた奥さんは、「ああ、彼なら2週間前、8番のバスのなかで見かけたわ」と答えてしまう。それを聞いた主人は、テーブルの下で妻の膝を蹴った。そして怒りの目を向けた奥さんに、「バカ、8番のバスはもう走っていないのを知らないのか」といったんだ。
――ああ、またまた話がどんどん逸れていってしまう。この後、チェルカスキ―は今度は本当にあった話、といって真面目な顔をし、彼がマヨルカ島にいったときの話を始めた。
それはショパンの直系の家族にあたる人がチェルカスキ―の演奏を聴き、彼のことを有名なピアニストとは知らず、「そう、ショパンはこう弾くべきなのよ」といってくれたので、とてもうれしかったということだった。
でも、この間も「ちょっと暖房暑くない? 私はこれくらいじゃないとダメなんだけどね。毎朝泳いでいるんで」といいながら、立ったりすわったり。
さらに、生まれ故郷のオデッサの音楽事情を聞こうとしたら、話はモスクワに飛び、チャイコフスキー国際コンクールまで一気にいってしまった。
――国際コンクールの審査員はなさっていませんが、チャイコフスキー国際コンクールでしたら、引き受けるつもりはありますか?
C あっ、この前優勝したのはだれだっけ? ボリス・ベレゾフスキー? ああ、知っているよ、その人。確か、ロンドンのアルバートホールで演奏したと思う。
――(ハズシ方がプロですよね)
C うん、実にうまかったなあ。だけど、音響がよくなかったのか、ときどきオーケストラの音にもぐっちゃって聴こえなかった。
――チェルカスキ―さんは、演奏する際に、そのときどきのインスピレーションを非常に大切にされるということですが、そのインスピレーションとは作品や演奏する場所、または指揮者との共演などに左右されるものでしょうか。
C 特にインスピレーションはないけど、心を動かされる場所というのはある。私はね、大きな都市か、反対に海辺とか田舎とか、そういう静かなところが好きなんだよ。中間はないね。そうそう、札幌はまだいったことがないなあ。とても大きな都市だと聞いているから、ぜひいってみたいんだが。
そんなこんなで1時間のインタビューは過ぎ去ってしまった。いったい何を聞いたのか自分でもよくわからないし、中身がまったくなくて読者の方々にはとても申し訳ないと思う。しかし、ひとつだけわかったことは、チェルカスキ―という人は、自分に興味がある話には耳を傾けるが、少しでも興味がない話題は自然に耳を通り過ぎていってしまうことだ。
だが、それがけっして嫌味であるとか、故意でないことははっきりしている。すべてをユーモアに変えてしまい、周囲を温かい雰囲気に包み込んでしまう。これはもう天賦の才能としかいいようがない。
とにかくピアノを弾いているときが最高で、他のことはまったくかまわない。住んでいるのもホテルで、楽器と楽譜とごく身のまわりの物だけに囲まれ、ぜいたくは好まないらしい。そしてステージにすべてを賭ける。
そんなチェルカスキ―は、最後に「オデッサでチャリティ・コンサートをするのが夢だ」といった。これはぜひ実現してほしい。その話題だったら、話を逸らさず、きっとまともに答えてくれるだろうな。
ああ、自由にマイペースで生きることができる人ってうらやましい!
今日の写真は、その雑誌の一部。写真撮影のとき、ピアノの前でポーズをとってほしいと頼んだら、ネクタイをしていないことに気づき、わざわざ時間をかけてステージ衣裳に着替えてくれた。う?ん、こんなことをしてくれる人も初めてだ。
