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ティモシー・リダウト

 次世代を担うヴィオラ奏者、ティモシー・リダウトが来日している。
 1995年年ロンドン生まれのヴィオラ奏者ティモシー・リダウトは、2016年年にライオネル・ターティス国際コンクールで優勝し、ここから世界の舞台へと一気に飛翔することになる。
 ライオネル・ターティス(1876〜1975)はイギリスのヴィオラ奏者で、ヴィオラが独奏楽器として認められることに尽力し、イザイ、ティボー、クライスラー、ウォルトンをはじめ同時代の音楽家と幅広く交流した。
 ティモシー・リダウトもターティスを尊敬し、子どものころから彼の名を冠したコンクールに参加したいと考えていたという。
 3日はそのティモシーにインタビューし、4日は王子ホールに無伴奏のリサイタルを聴きに行った。
 彼は人なつこい笑顔のナイスガイで、いまや欧米各地のオーケストラや音楽祭から引っ張りだこの人気で、「この夏はまったくオフの日がなかった」というくらいの忙しさ。
 すでに録音も多数行っており、今回の「intoxicate」のインタビューでは、そのなかからライオネル・ターティスに捧げたアルバム、シューマンの「詩人の恋」をヴィオラで演奏したもの、エルガーのチェロ協奏曲をターティスがヴィオラ用に編曲し、作曲家から許諾を得たものの演奏などを中心に話を聞いた(キングインターナショナル)。
  このエルガーのコンチェルトの話や、ターティスにまつわる話はとても興味深く、これは絶対に詩面で紹介したいと思った。
「ホント? 興味をもってくれてありがとう。実は、ターティスがエルガーのチェロ協奏曲の編曲のOKをもらったという証拠のサイン付きの写真があったんだけど、スマホの整理が悪くてすぐに見当たらない。ああ、残念、見てもらいたいんだけどなあ」といってしばらくスマホの写真を探していたけど、時間切れ。「あとで見つかったら、送るね」といっていたが、とうとう今回の来日中には見つからなかったようだ。
 このほか、ヴィオラを始めたきっかけからコンクール優勝のこと、その後のラトルをはじめとするさまざまな共演者の話まで、実に楽しそうに雄弁に語ってくれた。
 今夜のリサイタルは現代作品とテレマン、J.S.バッハを組んだプログラム。とりわけ最後に登場したバッハ「パルティータ第2番」が印象深く、「シャコンヌは、僕のもっとも大切な作品のひとつ」と熱く語っていたことが思い出された。
 今日の写真はインタビュー中の1枚。みんなで「テディベアみたい」といっていたのだが、演奏はすこぶるストイックでドラマティックで緊迫感に富んだもの。ペレグリーノ・ディ・ザネット製作(1565〜75年頃)の渋く深く心にずしんと響いてくる低音の響きが、強烈な存在感を示していた。

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posted by 伊熊よし子 at 00:05 | クラシックを愛す

千住真理子

 千住真理子が2025年にデビュー50周年を迎えることになり、1年を通してさまざまなプロジェクトを企画しており、そのプログラムのインタビュー記事のために、音楽事務所に出向いた。
 近年、千住真理子には新譜がリリースされるたびに話を聞いているが、50周年を俯瞰する話となると、かなり膨大な内容になりそうだ。
 しかしながら、これまで聞いてきた内容などは重複すると時間の無駄になってしまうため、今回はいま考えていること、これからのことをメインに話を聞いた。
 彼女は2002年に幻の名器ストラディヴァリウス「デュランティ」との運命的な出会いをしてから、「人生のすべてをこの楽器を演奏するために変えた」と明言する。
 食事や運動、睡眠などの日常生活のすべてを変え、一日のプログラムをしっかり立て、いかにしたらデュランティと一体になり、いい演奏ができるかを考え、一瞬も無駄にできないと自分を律している。
 ひとつの楽器がひとりの人生をこれほどまでに変えてしまうことに驚き、その精神性の強さに感銘を受ける。
 あまりにもストイックで、いつ話を聞いても私は感嘆しきりである。
 「でも、こんな幸せなことはないの。デュランティは、最初はとても気難しい楽器で、いかにしたら近づけるかと四苦八苦して夜も眠れないほどだったのが、徐々に楽器に近づいて、いまはもっともいい音が出せる、もっといい演奏ができるはずと、思えるようになった。これからも、少しでも上を目指して進んでいくつもり。まだまだデュランティのすごさは奥深くて、一日一日その深いところに入り込んでいくの。なんという幸せな音楽人生なんだろうと思うのよ」
 いやあ、聞いているだけで感激。こんなにもひとつのことに打ち込める人生は、本当に幸せである。
 その熱く深い思いを記事に綴りたいと思う。
 今日の写真は、インタビュー後の1枚、愛器とともに。 

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posted by 伊熊よし子 at 23:35 | 日々つづれ織り

若林顕

 9月30日、東京文化会館大ホールに、川瀬賢太郎指揮東京都交響楽団のコンサートを聴きに行った。
 この日のプログラムは、前半がメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」で、後半がラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ソリストは若林顕である。
 このコンチェルトに関し、ヤマハ「ピアニストラウンジ」に公演レポートを綴ることになっており、出かけた次第である。
 実は、1987年のエリザベート王妃国際コンクールで若林顕が第2位入賞に輝いたとき、私は現地に取材に行っていたのである。当時は「ショパン」編集部に勤務していたため、国際コンクールの取材には頻繁に出かけていた。
 そのときに彼が本選で弾いたのが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番という難曲に知られた作品。
 あれから37年の月日が流れたが、コンクールのことはよく覚えている。
 若林顕の演奏は、もちろん成熟し、圧倒的な説得力と存在感を示すものに変貌していたが、随所に22歳で演奏した当時のみずみずしい音色が顔をのぞかせ、なつかしい思いに駆られた。
 ひとりのアーティストを長年聴き続けるというのは、本当に意義あることだと思う。その人の人間性と音楽性の変遷をたどることができ、それにより自分の音楽の聴き方の変化にも気づくからである。
 この公演レポートには、そうした思いも盛り込みたいと思っている。

posted by 伊熊よし子 at 23:11 | クラシックを愛す
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