2023年05月10日
伊藤恵
2023年05月08日
メナヘム・プレスラー
私の敬愛するピアニスト、メナヘム・プレスラーが5月6日、ロンドンで亡くなった、享年99。何度も演奏会を聴き、インタビューも行い、その音楽性と人間性に魅了されてきた。もう、あの心が温まるような笑顔と深きピアニズム、ゆったりと話す独特の話術に触れることができないと思うと、ことばにできないほど悲しい。
ここでは、以前「公明新聞」に書いた公演評を紹介し、心からご冥福をお祈りしたいと思う。
メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル
ドイツ、フランス国家から民間人に与えられる最高位の勲章を授与されたメナヘム・プレスラーは、94歳の現在も世界各地で演奏を行っている現役のピアニストである。その演奏は「同時代に生きていて幸せだ」とつくづく感じさせてくれる滋味豊かな響きを備え、心の奥に温かな感動を残す。
2017年10月16日に東京・サントリーホールで行われたリサイタルのプログラムは、ヘンデルの「シャコンヌ」で幕開け。冒頭の主題がゆったりとした3拍子のリズムで奏でられ、21の変奏がやわらかな弱音で流れる清らかな水のように続く。会場はその弱音を1音でも聴き逃すまいと、静けさに包まれた。
次いで、90歳から始めたというモーツァルトのソナタ全曲録音の第1弾のオープニングを飾る「幻想曲ハ短調K・475」、ピアノ・ソナタ第14番K・457が演奏され、まさに余分なものが何もない、精緻で純粋無垢な音楽を生み出し、聴き手の魂を浄化させた。
後半はドビュッシーの「前奏曲集」第1集から5曲、「レントより遅く」「夢」と続き、ショパンのマズルカ3曲とバラード第3番を演奏。いずれもプレスラーの音楽人生を映し出すような真摯で率直で作曲家にすべてを捧げているピアノで、長年弾き続けてきた円熟味あふれる響きがそこには存在していた。
この夜の演奏でとりわけ印象深かったのは、アンコールに登場したドビュッシーの「月の光」。遅めのテンポで淡々と奏でられるドビュッシーは、1946年のドビュッシー国際コンクール優勝時から弾き続けてきた自家薬籠中の曲。あまりにも美しく清らかな「月の光」に、天上の世界でひと筋の光を浴びているような感覚に陥り、頭を垂れて聴き入った。この感動は何日たっても薄れることはない。
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