もうかなり前のことになるが、田村正和に一度インタビューをしたことがある。音楽関係の新聞のコラムで、音楽家ではない人にクラシックとのかかわりを聞く、という記事の内容だった。
このコラムでは、俳優や女優、建築家、演出家、アスリート、デザイナー、画家、声優らさまざまな職業の人に話を聞いた。
そのころ、どんな大物にインタビューしても私はいつも緊張したりしないことから、会社の人たちが「きっと大好きな田村正和だったら、しどろもどろになるかも」と考え、勝手にインタビューの依頼を出した。
当時、田村正和はニヒルな役からコミカルな役へと役柄を広げているところだった。いつもはインタビューなどには絶対応じない彼が、「音楽の話題なら」と応じてくれた。しかし、ひとつマネージャーから条件が出された。新番組の情報を付け加えてほしいというものだった。
私は昔から田村正和のテレビではなく、「眠狂四郎」や「乾いて候」などの舞台を見ることが好きだった。ナマの正和さんは、それはそれは美しくクールで、着流し姿は妖艶ですらあった。特に「声」が素敵だった。
インタビュー当日、会社のみんなが想像した通り、私は汗たらたらになり、あがりまくって、何をいっているのかわからない状態になった。
そのときは真夏で、正和さんは素肌にグレーのシルクのワイシャツを1枚ポンと、すっきり着こなしていた。「やあ、こんにちは」と、いつも舞台で聞き慣れているあの声でいわれただけで、カーっと頭に血が上り、カメラマンが背後から「ねえ、背中を汗が流れているよ」などというものだから、余計に焦り、もう足はガクガク、どうしたらいいのかわかない。
こりゃまずい、と判断した私は、ハンドバックから正和さんの大学時代にデビューしたころの写真を取り出し、「実は、私すごく長い間ファンなんです。主として舞台を見ています。今日は仕事なので緊張しまいと思ったのですが、どうもいつもと勝手が違って…」というと、「えっ、舞台を見ているの。ホント? うれしいねえ」といって、「この写真、なつかしいなあ」と、フランクに話し始めた。
ようやく落ち着いてきた私は、なんとかインタビューを開始した。
正和さんは、子どものころにピアノを習っていたこと、レッスンが嫌で逃げまくり、先生を弟の亮に押し付けたこと、でも、いまは後悔していて、バリー・マニロウのように弾き語りをしたかったこと、子ども時代の父親との思い出、テレビで野球観戦をするのが好きなことなど、さまざまな話をしてくれた。
このたった1度のインタビューが、ずっと私の宝物のような存在になった。そのときの写真も大切な財産である。
インタビューの途中で、「私はニヒルでクールな役を演じる田村さんが好きなので、お父さん役やコミカルな役はあまりやらないでほしい」といったところ、急にシリアスな表情になり「俳優というのはいつも限界を感じて演技しているものなんですよ。僕も針1本の落ちる音が聞こえるような張り詰めた場所で仕事をするのが好きなんですが、実際はそうもいかない。笑いをとったり、コミカルな演技をするのは本当に疲れるけど、どうかわかってほしい。年齢を重ねると、いろんな役に挑戦しないとならないんですよ」と、少し困惑したような、またその暗い表情もグッとくるような感じで語った。
その田村正和が亡くなった、享年77。謹んでご冥福をお祈りします。