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ベートーヴェン「第九」3

  1981年の暮れ、ウィーンのコンツェルトハウスの前には「ロブロ・フォン・マタチッチ氏が病気のため、本日の指揮者が交替にになります」の張り紙が出されていた。
  この日の演目はベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」。急きょ代役に立った若い指揮者は巨匠を聴きに駆け付けた聴衆をがっかりさせまいと必死でタクトを振り、オーケストラも歌手も合唱もそれに呼応し、すばらしい「第九」となった。
  私その日、ベートーヴェンの住んだ家やさまざまな作品を作曲した場所を訪ね歩き、狭く暗い階段や質素な部屋、それを補ってあまりある窓からの美しい眺めなどに心を奪われていたため、最後の合唱の部分ではベートーヴェンの姿がそこに見えるようで胸がいっぱいになり、ついハラリと涙してしまった。
  そして年が明けた1月4日、ウィーンのテレビには「マタチッチ、故郷のザグレブで85歳の生涯を閉じる」のニュースが映し出された。はるばる日本から演奏を聴きに来たちょうどそのときに亡くなるなんて、とても複雑な気持ちに駆られた。年末にはあんなにも崇高で感動的な演奏が聴けたのに、その直後にひとりの偉大な指揮者の訃報を耳にするなんて…。
  いままで多くの「第九」を聴いてきたが、このときの無名の若手指揮者によるナマの演奏が一番心に深く残っている。
  そのときに受けた熱い思いにもっとも近く、端的に「第九」に引き寄せられるのが録音でいえばカラヤン盤(ユニバーサル)だ。それも1983年9月にカラヤンが4度目の全集として完成したものが最高。これはソリストの4人がカラヤンの心情をよく理解し、いわんとすることを的確に読み取って、もてる力を十分に発揮していることはいうまでもない。
  だが、一番驚かされるのはベルリン・フィルがピタリとカラヤンに寄り添っている様子がひしひしと伝わってくることだ。ここまでオーケストラを自在に動かすカラヤンの力に、改めて感服してしまうほどで、いまやこういうカリスマ性をもった指揮者はいなくなったなあと一抹の寂しさも感じてしまう。
  そう、この「第九」はいろいろなことを考えさせてくれる演奏なのである。もちろんベートーヴェンの作品をここまで磨き上げ、研ぎ澄まされた究極の美しさと、壮大で劇的な表情をとことん追求したカラヤンの力量あってこそだが、その演奏を聴くうちに私の心にはさまざまな思いが去来する。ベートーヴェンがいいたかったことを、自分のいままでの歩みに重ね合わせてしまうのた。
  今年も大変なことがいくつかあったけど、来年はきっとそれを乗り越える何かを見つけようとか。よしっ、くよくよしていないで前向きに考えようとか。要するにエネルギーが湧いてくるのである。
  カラヤンの目も覚めるようなスピード感あふれる演奏が、人に生きる力を与えてくれるのだろう。こういう「第九」こそ、ベートーヴェンが目指した本来の主旨にのっとっているのではないだろうか。
posted by 伊熊よし子 at 20:54 | クラシックを愛す
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