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宮沢明子

 先日、宮沢明子の追悼文のような形で「ムジカノーヴァ」の記事を紹介したが、もうひとつ印象に残っている記事があるので、取り上げたい。
  1987年、明子さんのベルギーのご自宅におじゃましたときの「ショパン」の記事である。このときはパリでカメラマンと合流し、アントワープに向かった。記事はここからスタートする。

緑に囲まれたやすらぎの館

 アントワープ中央駅から宮沢さんのご主人(ギイ・クルガールさん・カメラマン)の運転する車で北へ30分。もうオランダとの国境に近い森のなかの閑静な住宅街に着く。日本の感覚からいうと、住宅街というよりは別荘地といった雰囲気。かなり広い庭には、日本のさつきやつつじ、もみじ、しゃくなげなどが整然と植えられている。
「全部日本の家の庭から盗んで来ちゃったの(笑)。これ、よく税関通ったってみんなにいわれるんだけど…。ここは土がいいからよく育つわよ」 
  ここに移ってから今年で5年目。それまではアントワープ市内の街のなかのアパートに住んだり、一戸建ての借家に住んだり…。しかし、ピアノの音にまつわる苦情に疲れ果ててしまった。
「ピアニストっていうのは、午後すごく指の訓練をする人が多いわけ。私も朝はまだねぼけているから、ノクターンとかワルツの練習から入り、午後はすごいテクニックのものを弾く。それで夕方からまた静かなものに戻る。ところが、この午後が全然できない。ベルギーは老人天国で、上の階、下の階からギャンギャンノックされる。おじいさん、おばあさんが『俺たちの命がなくなってもいいのか』って」
  そうこうして移った一軒家の方では、今度まわりの人がゾロゾロ行列してピアノを聴きに来てしまう。まるで見世物。そんなとき、この家と巡り合った。
  宮沢さんはイニシャルがM・M。大好きなミッキー・マウスもM・M。そしてこの家を売り出した人がモリス・メリヤーといって、これまたM・M。何かピンとくるものがあった。なんとこれが家探しを始めて61軒目の家だった。
「この家を初めて見たとき、『ここは私の家だ!』と思ったの。ここで最高に素敵なのは、隣にだれが住んでいるのかわからないこと。ただね、この先に95歳で亡くなった小説家のおじいさんがひとりで住んでいたのは死っていたの。35個部屋がある、いわゆるお城なんだけど、2000万円でいま売りに出ているのよ。ベルギーは50万円でちょっとしたお城なら買えるくらい。あなた、買わない?(笑)」
  なんともうらやましい限りである。ここはあくまでも空気が澄み、まわりは緑一色。鳥の鳴き声と風のそよぐ音以外は何も聞こえず、独占して泳げるプールがあり、食事の際には自家製トマトやポワロー(ニラネギ)が食卓を飾る。
「私、2日間暇ができたとき、日本からここへ飛んで帰って来ちゃったの。この空気吸って、ポケーッとして、また音楽の戦場に戻る。どこの国に行ってもすぐ戻って来ちゃう」
  この通称” 宮沢旅館”はご夫妻だけではなく、ここを訪れる人をみな去りがたくする、一種の魔力をもっているようだ。

  今日の写真は、そのときのページ。いま思い出しても、心が洗われるようだ。 

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posted by 伊熊よし子 at 22:34 | 麗しき旅の記憶
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