ブログ

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE

「リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE」は、1967年2月にビートルズが発表した14枚目のオリジナル・シングル(両A面シングル)の「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」と「ペニー・レイン」ゆかりの場所である。

 ストロベリー・フィールズは1870年に設立され、元々はいちご畑だった。この土地を裕福な海運商人が買い取り、豪邸を建てた。その後、それをサルヴェーション・アーミー(国際キリスト教団体)が1930年代に購入する。孤児院として改造されたこの場所へ、子どものころのジョンはよく足を運び、子どもたちと遊んでいた。
 ひとりっ子として叔父と叔母と暮らしていたジョンは、そこにいる子どもたちに共感を覚え、よく門を乗り越え、遊びにいった。ジョンは孤児院で毎年開かれる夏のパーティに参加し、レモネードの販売を手伝ったこともよい思い出のひとつである。
 ある夜、ジョンは孤児院のベッドで寝ているのを見つかり、もう一度立ち入ったら「吊るすぞ」(Hang)と脅される。ジョンはこのフレーズをさりげなくユーモラスに「ストロベリー・フィールズ」のなかに引用している。「吊るされるほどのことではない」というフレーズは、英語で「立ち止まっている暇はない」ということを表現している。
 この孤児院はジョンの印象に強く残ったことから、彼の傑作となる「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」が生まれる。1970年にジョンはニューヨークへ引っ越した際、この家にとても似ていることが理由でダコタ・ハウスに住むことを決意したのである。この孤児院は1969年に取り壊され、現在の家は1970年代に建て直されたものである。
 ジョンの死後、ヨーコ・オノは毎年子どもたちにクリスマス・プレゼントを渡しにここを訪ねていたが、いまは空き家となっている。ヨーコはジョンの灰をここに撒いたという説があるが、その証拠はない。
 写真は、現在のストロベリー・フィールズの門。世界中からのファンの落書きが見られる。

y2071_R.JPG

 ポールの「ペニー・レイン」のインスピレーションは、毎日通学のために乗り、ジョージとも出会った有名な「86バス」から得た。そのバスは「青い郊外の空」のもと、「ロータリーの真ん中の停留所」で停まった。ポールは兄のマイケルと一緒にペニー・レイン通りの先にある聖バルナバス教会の合唱団のメンバーで、その教会で行われた1982年の兄の結婚式では付き添い人も務めた。「ペニー・レイン」の曲に登場する「床屋」「バス停留所」「銀行」「消防署」などは、現在も当時の姿を留めている。
 写真はペニー・レイン通り。看板が柵に貼りつけられているが、ファンがもっていってしまうため、現在は厳重に縛られている。

y2080_R.JPG



  
posted by 伊熊よし子 at 23:10 | 麗しき旅の記憶
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
検索ボックス