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デア・リング東京オーケストラ デビュー

 今日は、西脇義訓指揮デア・リング東京オーケストラのデビュー公演を聴きに、三鷹市芸術劇場「風のホール」に出かけた。
 先日、西脇さんにインタビューしたことはブログに綴ったが、このオーケストラはいろんな意味で画期的な内容を備え、新しい響きを探求している。
 プログラムはモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲からスタート。オーケストラのメンバーはヴァイオリン、ヴィオラの全員が立って演奏。西脇さんも聴衆の方を向いて指揮をするスタイルだ。
 次いでメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が演奏された。この弦楽器が立って演奏する方式は、メンデルスゾーンがライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者を勤めていた時代に倣っているという。
 後半は、オーケストラのメンバーである森岡聡がソロを務めるベートーヴェンの「ロマンス ヘ長調」(指揮者なし)が演奏され、この日のメインであるベートーヴェンの交響曲第7番が登場した。
「風のホール」は木造りの室内楽に向いているホールだが、デア・リング東京オーケストラの40名編成のオーケストラのおだやかで親密的な響きによく合い、やわらかな音色がホールをふんわりと包み込んだ。
 2時間を超すコンサートとなったが、最後にアンコールが1曲プレゼントされた。J.S.バッハの「マタイ受難曲」から「コラール」である。これがすこぶる敬虔で神秘的で透明感あふれる演奏。なんだか心が浄化する思いに駆られた。
 この公演評は、いくつか雑誌やWEBに書く予定になっている。 
posted by 伊熊よし子 at 23:46 | クラシックを愛す

新たな単行本

 4月から企画会議が重ねられていた単行本が、ようやく出版可能になった。
 これから出版社の担当者のKさん、編集プロダクションのSさんとともに綿密な打ち合わせを行い、どんな方向性を持つ本にするかを決めていかなくてはならない。
 今年は独立30周年だから、この数字にまつわるものを考えている。
 来週末、打ち合わせがあるため、それによって詳細が明らかになると思う。
 具体的な内容が決定次第、集中して原稿に取り組まなくてはならない。でも、9月中旬にはまた海外出張が入っているし、シーズンが始まると来日オペラやコンサートが目白押し。アーティストのインタビューも、すでに何本か入ってきている。
 そのなかで、どうやって執筆の時間を確保するかが問題だ。
 さて、8月もあと1日。気持ちを引き締めて9月を迎えなくっちゃ。
posted by 伊熊よし子 at 23:19 | 日々つづれ織り

リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE

「リヴァプールでビートルズの足跡を辿るE」は、1967年2月にビートルズが発表した14枚目のオリジナル・シングル(両A面シングル)の「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」と「ペニー・レイン」ゆかりの場所である。

 ストロベリー・フィールズは1870年に設立され、元々はいちご畑だった。この土地を裕福な海運商人が買い取り、豪邸を建てた。その後、それをサルヴェーション・アーミー(国際キリスト教団体)が1930年代に購入する。孤児院として改造されたこの場所へ、子どものころのジョンはよく足を運び、子どもたちと遊んでいた。
 ひとりっ子として叔父と叔母と暮らしていたジョンは、そこにいる子どもたちに共感を覚え、よく門を乗り越え、遊びにいった。ジョンは孤児院で毎年開かれる夏のパーティに参加し、レモネードの販売を手伝ったこともよい思い出のひとつである。
 ある夜、ジョンは孤児院のベッドで寝ているのを見つかり、もう一度立ち入ったら「吊るすぞ」(Hang)と脅される。ジョンはこのフレーズをさりげなくユーモラスに「ストロベリー・フィールズ」のなかに引用している。「吊るされるほどのことではない」というフレーズは、英語で「立ち止まっている暇はない」ということを表現している。
 この孤児院はジョンの印象に強く残ったことから、彼の傑作となる「ストロベリー・フィールズ・フォー・エヴァ―」が生まれる。1970年にジョンはニューヨークへ引っ越した際、この家にとても似ていることが理由でダコタ・ハウスに住むことを決意したのである。この孤児院は1969年に取り壊され、現在の家は1970年代に建て直されたものである。
 ジョンの死後、ヨーコ・オノは毎年子どもたちにクリスマス・プレゼントを渡しにここを訪ねていたが、いまは空き家となっている。ヨーコはジョンの灰をここに撒いたという説があるが、その証拠はない。
 写真は、現在のストロベリー・フィールズの門。世界中からのファンの落書きが見られる。

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 ポールの「ペニー・レイン」のインスピレーションは、毎日通学のために乗り、ジョージとも出会った有名な「86バス」から得た。そのバスは「青い郊外の空」のもと、「ロータリーの真ん中の停留所」で停まった。ポールは兄のマイケルと一緒にペニー・レイン通りの先にある聖バルナバス教会の合唱団のメンバーで、その教会で行われた1982年の兄の結婚式では付き添い人も務めた。「ペニー・レイン」の曲に登場する「床屋」「バス停留所」「銀行」「消防署」などは、現在も当時の姿を留めている。
 写真はペニー・レイン通り。看板が柵に貼りつけられているが、ファンがもっていってしまうため、現在は厳重に縛られている。

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posted by 伊熊よし子 at 23:10 | 麗しき旅の記憶
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