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リヴァプールでビートルズの足跡を辿る @

 2月初頭、ヴァシリー ・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団(ソリスト 辻井伸行)の取材でリヴァプールを訪れ、取材の合間を縫ってビートルズの4人の足跡を辿った。
 そのときに、「ビートルズのことなら何でも知っている」という生き字引のような男性に出会った。彼は生粋のリヴァプールっ子。何10年にも渡ってこの地でガイド兼ドライバーを務め、世界中から訪れるビートルズファンにゆかりの場所を紹介している。
 そんな彼から貴重な資料を見せてもらったため、何回かに分けてその資料を紹介し、私が撮影した写真とともにビートルズの足跡を辿りたいと思う。
 まず、ポール・マッカートニーの住んだ家から。資料では、「フォースリン・ロードの家」となっている。

 こちらはポール・マッカートニーが母のマリー(レット・イット・ビー“Let It Be”で登場するマリーは母の名から)、父のジムと兄のマイケルと1955年から1964年まで過ごした家。ポールにとって7軒目の家である。
母が助産婦や区の看護師を仕事としていたため、仕事場に近い家へいつも引っ越さなければならなかったのである。引っ越しも仕事のひとつだった。
 ポールの母は1953年に乳がんと診断され、1956年10月31日に亡くなっている。ポールはギターや大好きなロックンロールで心の痛みを癒したそうだ。
 父はコットンのセールスマンで、長時間仕事をしていたため、ポールは朝、自分で学校へ行く支度をし、バスに乗って通った。やがてロックンロールの方が学校より大事だと感じ始めたポールは、学校へ行かない日も出てきた。
 朝早く出勤し、夜遅く帰宅 する父は、ポールの欠席のことをいっさい知らなかった。ポールはジョンとジョージを電話で誘い、自宅でみんな一緒に練習をしていた。ジョンとポールの初期の作品の多くはここで作曲されている。
 ワン・アフター・909(The One After909)、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア(I Saw Her Standing There)、ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)、シー・ラヴズ・ユー(She Loves You)、ホエン・アイム・シックスティーン・フォー(When I‘m 64 これを書いた当時、ポールはまだ15歳だった)。
 ポールの兄マイケルはアマチュア写真家で、ジョンとポールが作曲しているところやくつろいでいる様子の写真を何枚も撮った。マイケルはポールと一緒に学校を休んでいたのである。
 この家は、ナショナルトラストによって、ジョンとポールの作曲した思い出やビートルズの歴史の一部として、1977年購入された。その後、1950〜60年代ころの面影を取り戻すため、ポールの兄の力を借りて修復された。ポールは、1999年に突然この家を訪れたが、あいにくその日は閉ざされていたため、家のなかに入ることはできなかった。市民はこのとき、ポールの写真を撮りに集まってきた。

写真キャプション
 ポールが暮らしたフォースリン・ロードの家(写真中央がマッカトニー家、2階がポールの部屋だった)

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 柵の手前には、ポールの家だと示すプレートが置かれている。

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posted by 伊熊よし子 at 21:33 | 麗しき旅の記憶
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