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ミヒャエル・ザンデルリンク

 エストニア出身の名指揮者、ネーメ・ヤルヴィの家は、息子のパーヴォとクリスチャンのふたりが指揮者になった。
 ウィーンには、クラリネット一家のオッテンザマーが存在する。父のエルンストはウィーン・フィルの首席クラリネット奏者、長男のダニエルも同じくウィーン・フィルの首席クラリネット奏者を務める。次男のアンドレアスは、ベルリン・フィルの首席クラリネット奏者だ。
 こうした父親の職業を継ぐ息子たちというのは、古今東西数多く存在するが、今日はまた指揮者一家のサラブレット的な存在に話を聞くことができた。
 旧東ドイツ出身の名匠、クルト・ザンデルリンクの3男ミヒャエルである。1967年東ベルリン生まれで、最初はチェリストとして活動していた。この一家も、父親と同じく、長男のトーマス、次男のシュテファンともに指揮者である。
 DNAのなせるワザなのだろうか、やがてミヒャエルも指揮者となった。現在は、ドレスデン・フィルの首席指揮者を務め、歴史と伝統を誇る同オケに新風を吹き込んでいる。
 ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルは、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの交響曲を組み合わせるシリーズの録音を行っており、2016年にベートーヴェンの交響曲第6番「田園」とショスタコーヴィチの交響曲第6番をリリース。つい先ごろ第2弾がリリースされ、今回はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」とショスタコーヴィチの交響曲第10番という組み合わせである(ソニー)。
 今日は、「CDジャーナル」のインタビューでザンデルリンクに会い、新譜の話、偉大な父の思い出、幼いころショスタコーヴィチに会った印象、ドレスデン・フィルの現況、チェリストから指揮者に転向したいきさつ、今後の展望など、多岐に渡る話を聞くことができた。
 ショスタコーヴィチの作品に関する話のときは、あたかも作品をひとつずつ紐解いていくような真摯で論理的で思慮深い話ぶりだったが、子ども時代のことや父親の話になると、にわかに表情がおだやかになり、ジョークも交え、笑顔が絶えなかった。
 185センチ以上ありそうな長身、整った顔、人を惹きつける話術など、あまりにも素敵でイケメンすぎて、インタビューに居合わせた女性陣はみな目がウルウルになっていた(笑)。
 幼いころのチェロとの出合いや、父親とのこと、ショスタコーヴィチの思い出など、興味深い話が盛りだくさん。とても内容の濃いインタビューとなった。
 ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルは、7月1日(大阪ザ・シンフォニーホール)、2日(ミューザ川崎シンフォニーホール)、4日(東京芸術劇場コンサートホール)、5日(アクトシティ浜松大ホール)にコンサートが予定されている。
 小川典子をソリストに向かえたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」や、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とショスタコーヴィチの交響曲第5番を組み合わせたプログラムもある。
 今日の写真は、なごやかな雰囲気のインタビューとなった際の1枚。彼は、指揮姿もとても美しいと評判だ。レコード会社の担当者いわく、「うしろから見ていると、首から肩にかけての丸みが父親にそっくりなんですよね」とのこと。
 旧東ドイツの名門一家の流れを汲むミヒャエル、ぜひコンサートでその底力に触れてくださいな。 


タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | アーティスト・クローズアップ

テープ起こし

 取材やインタビューの仕事では、必ずテレコで録音をする。
 私はインタビューの仕事が多いため、その録音テープは膨大な数になる。現在はICレコーダーで録音をしているが、その管理もまた大変である。
 ある程度の数になったら、ファイルをパソコンにコピーする。でも、かなり昔の録音を聞きたいと思うと、それを探し出すのに時間がかかる。
 それもこれも、整理の悪い、私の悪癖ゆえか、探しているものがどこかに紛れ込んでしまうのである。
「なんで、こういうことになるの」
「あのアーティストの録音だけ、どこかにいくって、どういうことよ」
 文句をいっても始まらない。
 すべては私のキャパシティの狭さで、仕事量に対して、整理が追い付かないのである。
 早く、テープ起こしをして、原稿を書かなくてはならないのに…。
 これはテレコに限ったことではない。私は毎日、何かを探している。
 アーティストの資料、古いCD、以前書いた記事、前回の来日時のプログラムなど、いつも「これさえあれば、早く原稿が書けるのに」と願うのだが、なぜかそのときに必要なものだけが見つからない。
 まったくもって、時間の浪費である。
 いつも自転車操業のようで、嫌になる。
 そういえば、以前、あるレコード会社のお偉いさんに、「やあ、伊熊さん、しばらくだねえ。元気? 相変わらず、貧乏暇なしなの?」と面と向かっていわれ、絶句したことがある。
 そりゃあ、いつもバタバタしていて、けっしてお金持ちではないけど、それを単刀直入にいわれるのは、ちょっとねえ。
 周りにいた人は、「彼、ことばをまちがえたのよ」「忙しそうだねえ、といいたかったんだよ」とフォローしてくれたけど、このひとことは、私の仕事ぶりを端的に表しているようだ。
 ものを探してばかりで、余分なことに時間がかかり、けっして優雅に楽しそうに仕事をしているようには見えないのだろう。反省しきりである。
 そういいながら、今日もある原稿を書くために、仕事部屋の資料棚をひっくり返して探しもの。あ?あ、変わんないねえ(ため息)。
 
タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | ああ愉しき(?)、締切り地獄

国際音楽祭NIPPON

 ヴァイオリニストの諏訪内晶子が芸術監督を務める「国際音楽祭NIPPON」が第5回を迎え、5月末から各地で開催されている。
 この音楽祭は4つの柱を立てている。
「イントロダクション・エデュケーション(現代作曲家への委嘱、マスタークラス)」「トップ・クオリティ(諏訪内晶子が音楽仲間である一流アーティストとの対話を重ねて創り上げるコンサート)」「コラボレーションwithアート(美術館や記念館などのコンサート会場以外の空間で演奏)」「チャリティ・ハート(チャリティ・コンサート)」の4つで、今回は東京、名古屋、久慈で開催されている。
 7月には6回のコンサートが予定され、まず4日(三井住友海上しらかわホール)と5日(東京オペラシティ コンサートホール)には、諏訪内と同じ1990年にチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝に輝いたピアニストのボリス・ベレゾフスキーとのデュオ・リサイタルが開かれる。
 プログラムは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ、藤倉大の「Pitter-Patter(国際音楽祭NIPPON委嘱作品 世界主演)」、R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナ変ホ長調。
 16日(東京オペラシティ リサイタルホール)と17日(トヨタ産業技術記念館エントランス・ロビー)には、戸田弥生(ヴァイオリン)、横坂源(チェロ)、小森谷裕子(ピアノ)、桐朋学園室内楽アンサンブルと諏訪内が共演し、「コラボレーション・コンサート(音楽と言葉)と題したコンサートが予定され、サン=サーンスの「動物の謝肉祭(室内楽版)」、テキスト:谷川俊太郎(子供達による朗読付)ほかが演奏される。
 さらに19日はレナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団と諏訪内との共演で、コルンゴルドのヴァイオリン協奏曲が予定されている(東京オペラシティ コンサートホール)。
 30日は、久慈市文化会館アンバーホールでチャリティ・コンサートが行われる。出演者は、古部賢一(指揮・オーボエ)桐朋学園室内楽アンサンブルである。
 実は、同音楽祭の第1回のプログラムに、下記のような文を寄せた。あれから5年、諏訪内晶子の夢は、着実に実を結んでいるようだ。

[いまを見つめ、未来へと目を向け、音楽で人々をつないでいく諏訪内晶子の音の架け橋]

 諏訪内晶子は意志の強い人である。子どものころから何でも自分で決め、その責任もまた自分ひとりで背負ってきた。ヴァイオリニストとして人生を歩もうと決意したのも、留学する場を決めたのも、コンクールを受けたのも、すべて自分の意思。チャイコフスキー国際コンクール優勝後すぐに演奏活動をせずに留学して勉強を続けたのも、もっと自己研鑽が必要だと感じたからだ。
「いまのままでいいのだろうか、もっと何かできるのではないか、できるとしたらそれは何なのか」
 彼女は常に自問自答し、生きかたを考え、とことん悩み、そして自らの可能性を追求していく姿勢を貫いてきた。
 3歳からヴァイオリンを始め、小学生のころは医師になりたいと思い、中学生になると興味がスポーツに移り、新体操や陸上競を始めた。ヴァイオリンは続けていたものの、当時は本当にヴァイオリニストになれるのだろうか、自分にはほかの道があるのではないだろうかと、日々迷いながら練習をしていた。
 その気持ちが吹っ切れたのが、江藤俊哉のレッスンを受けてから。最初のレッスンで先生の人間としてのすばらしさに感動し、即座に桐朋女子高校音楽科受験を決意し、次いで桐朋学園大学に進むことになる。国際コンクールを受けることを勧めてくれたのも江藤俊哉だった。イタリア、ベルギー、ロシアのコンクールに参加し、同世代のヴァイオリニストたちの高度な演奏と音楽に対する真摯な態度に衝撃を受け、留学を夢見るようになる。
 そして1990年、チャイコフスキー国際コンクールで優勝の栄冠に輝いたときは、史上最年少の18歳。このときはまずアメリカに行っていろいろなことを経験し、それからヨーロッパの伝統や歴史、音楽とじっくり対峙しようと考え、すぐにニューヨークにわたった。
「ジュリアード音楽院ではドロシー・ディレイ先生に就き、技術的なことに加えて競争のはげしい世界でいかに生き抜いていくか、自分の思いを実現していくには、どのような方法をとっていくべきかなどを学びました」
 実は、留学でまず壁にぶつかったのが語学だった。ジュリアード音楽院は週に一度論文の発表がある。持ち時間は2時間。各国の学生25人ほどの前で自分の研究したものを発表しなければならない。
「毎日机に向かって勉強ばかりしていましたから、もうヴァイオリンが弾けなくなるんじゃないかと不安に駆られました。向こうの人は本当に論文がうまい。自分の考えをまとめることに長けています。ここで自分の考えをきちんと相手に伝えることを学びました」
 その積み重ねがやがて音楽にも反映し、自分のいいたいことをしっかり伝えられる演奏ができれば本望だと考えるようになる。同時期には、提携プログラムを利用してコロンビア大学にも通い、音楽以外の科目の勉強も行っている。その後、シューマンの後期の作品を深く掘り下げて研究してみたいという気持ちが強くなり、国立ベルリン芸術大学に進み、ドイツ作品を中心にさらなる研鑽を積む。
 そして1996年秋、待望のCDデビューを果たし、これを機に世界各地の指揮者、オーケストラとの共演を積極的に行うようになる。ウラディーミル・アシュケナージやユーリ・テミルカーノフからはロシア作品の真髄を学び、パーヴォ・ヤルヴィとは音楽する喜びを分かち合い、サカリ・オラモ、トゥガン・ソフィエフとの共演は新たな自己の発見につながり、ユーリ・バシュメットの弓使いには心を奪われた。さまざまな音楽家と共演するたびに多くを学び、自分の演奏がいかにしたら肉厚なものになるかを模索してきた。
 とりわけ、現存する偉大な作曲家との共演が得難い財産となっている。彼女はデビュー当初から「自分と同時代に生きている作曲家の作品を演奏したい」と語っているが、これまでそうした作曲家の初演もいくつか行ってきた。ポーランドの前衛音楽の第一人者、クシシュトフ・ペンデレツキの作品を演奏したときも貴重な経験をし、2007年のルツェルン音楽祭で初演したハンガリーの作曲家、ペーテル・エトヴェシュの「セヴン」というコロンビア号の宇宙飛行士を追悼する協奏曲が生まれる瞬間にも立ち会うことができ、深い感銘を受けている。
 最近ではイギリスの作曲家、ジェームズ・マクミランが2009年にヴァディム・レーピンのために書いたヴァイオリン協奏曲の日本初演をNHK交響楽団と行い、指揮は作曲家本人が担当した。委嘱作品も積極的に取り入れ、さまざまな作曲家とのコミュニケーションを図っているが、最近ではアンリ・デュティユーと会話する機会を得、この偉大な巨匠とのコラボレーションが可能になりそうだ。
「偉大な作曲家との交流は、多くのものをもたらしてくれます。私は近・現代作品を積極的に演奏していきたいと考えていますが、現代の作曲家の初演をすることは、大きな喜びとともに責任も伴います。でも、パリに住んでからいろんな人との交流が増え、そのなかで成長してきました。夢は新たな共演から生まれる新たな自己の発見と、人々に知られていない作品でいいものを選び、広く世に紹介していくこと。これは演奏家の使命ですから。そして自分をしっかり持つこと。いま、ようやく自分の土台ができてきたという感触を得ています」
 そんな彼女が満を持して大きな夢の実現にこぎつけた。「国際音楽祭NIPPON」の創設である。ここでは「音楽家としての原点に戻りつつ、次の人生へと一歩踏み出したい」という考えのもと、多彩なプログラムを構成した。もっとも印象的なのは共演者。今回は全員が初めて一緒に演奏する人ばかり。だが、彼らの演奏姿勢は諏訪内晶子とまったく同様で、常にひとつのステージに全身全霊を傾け、新たな演奏を生み出し、それを聴衆と分かち合うという面で一致している。
 この音楽祭に登場するプログラムは、諏訪内晶子のこれまでの軌跡をリアルに映し出している。作品や内容が、デビュー当初から現在にいたるまでの彼女の演奏史のような様相を呈し、歩みが凝縮しているようで、思い入れの深さが伝わってくる。
 彼女はいつも「いま」という時代を見つめている。「いま自分が何をすべきか」を考え、それが今回はチャリティ・コンサートやマスタークラスという形になり、音楽家としての意義を見出すとともに、社会に還元することも含んでいる。
 彼女にはデビュー当初から取材を続けているが、一貫して変わらないのは「何でも徹底してやらないと気がすまない」という姿勢。もちろんそれは演奏に全面的に表れているが、今回の音楽祭に関しても徹底的に考え抜き、長年温めてきた夢の実現のために骨身を削って努力した痕跡が伺える。これは夢の第一歩。「いまを見つめる」目は「未来を見つめる」ことへとつながる。諏訪内晶子は持ち前の前進あるのみの精神で音楽と向き合い、音楽の力を信じて未来へと目を向ける。それは大きな夢の架け橋であり、日本から世界へと発信する音楽祭となることを願う気持ちが詰まっている。
 諏訪内晶子を聴く―それは自分を信じてひたすら前進すれば夢はきっと叶うということを演奏から受け取ること。華麗でしなやかな容姿の奥に、とてつもないマグマが燃えたぎっているような底なしのエネルギーは、聴き手を元気にしてくれる。弦の魔術で…。

 今日の写真は音楽祭のパンフレットの表紙。Photo Akihiro Ito



 

 
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posted by 伊熊よし子 at 23:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報・特急便
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