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伊藤恵

「よく最後の晩餐に何を食べたいですか、と聞かれる話はありますが、今夜のプログラムは最後に弾きたいと思う作品を演奏しました。でも、これからもまだ100年くらいはビアノを弾いていきたいため、これが最後ではありません(笑)」
 今日は、伊藤恵が銀座のヤマハホールでリサイタルを行った。
 プログラムは、前半が彼女のライフワークともいえる作曲家、シューマンの「幻想小曲集」、そして高い頂をひたすら極めていくベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番。後半は、いまもっとも魂を注ぎ込んでいるシューベルトのピアノ・ソナタ第20番。
 まさに、最後の晩餐ならではの熟成された音楽で、ひとつひとつの作品が聴き手の心の奥深く浸透し、作曲家の真意を伝えた。
 いつも伊藤恵のピアノを聴くと、私は胸がいっぱいになるというか、心の奥深いところで作品に共鳴するというか、微動だにせずに聴き込んでしまう。奏者と一体になって、その作品の内奥へと入り込んでいく感覚にとらわれるのである。
 彼女は、最後に冒頭に記したトークを行い、「リストに感謝します」といって、シューマンの「献呈(リスト編)」をアンコールとして演奏した。
 私はこの曲が大好きで、いつもこれを聴くと、ヘルマン・プライの晩年の来日公演のアンコールを思い出し、胸が痛くなる。
 終演後、楽屋にあいさつに行き、伊藤恵の写真を撮ったのだが、照明の関係で、うまく撮れなかった。
 今日の彼女は、早春らしい、非常にさわやかな若草色のドレスを着ていたのに、それを紹介できなくて残念…。
 帰路に着く間、ずっと私の頭のなかでは、シューベルトのソナタの第4楽章が鳴っていて、いまでも口ずさんでいるほどだ。やはりシューベルトは「歌曲の王」と呼ばれるだけあって、主題がとてもメロディアスだ。
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posted by 伊熊よし子 at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシックを愛す

アンドラーシュ・シフ

 コンサートが終わると、聴衆の鳴りやまぬ拍手に応えてアンコールが演奏される。その演奏会が聴き手の心に深い感動を与えた場合、音楽家は何度もステージに呼び戻され、アンコールも次々に演奏される。
 しかし、アンドラーシュ・シフほど、本来のプログラムからアンコールまで、一気に演奏するピアニストはいないのではないだろうか。
 昨夜は、東京オペラシティ コンサートホールでシフの「The Last Sonatas」と題されたピアノ・リサイタルが行われた。これはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの「最後から2番目のソナタ」(3月21日)と「最後のソナタ」(3月23日)を演奏するプログラムで、昨夜は4人の作曲家の「最後から2番目のソナタ」が演奏された。
 まず、モーツァルトのピアノ・ソナタ第17(16)番変ロ長調K.570、次いでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110が演奏され、ハイドンのピアノ・ソナタ ニ長調Hob.XVI:51、シューベルトのピアノ・ソナタ第20番イ長調D959が続いて演奏された。
 そのプログラムの徹底したこだわりもシフらしいが、演奏スタイルがまた個性的。なにしろ、4曲のソナタを休憩なしに演奏し、しかもひとつの作品が終わっても舞台袖に戻らず、ほとんど弾きっぱなしの状態。
 さらにアンコールは5曲も登場したのである。
 シューベルトの「3つの小品D946-2」、バッハの「イタリア協奏曲」は第1楽章を弾き、再度第2楽章と第3楽章が演奏された。そしてベートーヴェンの「6つのバガテルより作品126-4」、モーツァルトのピアノ・ソナタK545の第1楽章と続き、さらにシューベルトの「楽興の時より」第3番が披露された。
 もう会場はやんやの拍手で、帰る人はほとんどいない。時間を見ると、9時20分を回っている。シフは午後7時からほとんど休憩なしに2時間20分以上もずっと弾き続けていたのである。
 このプログラムはヨーロッパでも実践しており、ベーゼンドルファーのVC280というピアノを使用している。このピアノはシフのいかなる要求にも応えることができ、弱音の美しさと繊細さ、深々とした音色、そしてダイナミックでドラマティックな要素も含まれているようだ。
 昨日は、各々のソナタの内容に合わせ、響きとダイナミズム、繊細さと奥深さなどを自由自在にピアノから引き出し、全体としては、豊かで自然でうたうような音色を響かせた。
 シフの演奏を聴くと、いつも思うことがある。それは「脱力の極み」「自然体の奏法」「やわらかなタッチ」「絶妙のぺダリング」である。
 モーツァルトはかろやかに天空に飛翔していくように、ベートーヴェンは大規模なフーガでドラマを編み出し、ハイドンは多彩な世界で音遊びをしているように、シューベルトは晴朗さの奥に無念と闇を潜ませるなど、さまざまな作風を自由闊達に紡ぎ出し、それぞれの作曲家の晩年の様相を抑制された響きで表現した。
 なんとナチュラルな響きだろうか。完全に脱力ができているため、からだのどこにも余分な力が入っていない。それゆえ、紡ぎ出される音楽は、ごく自然に語るように、うたうように、感情を素直に吐露するように聴こえる。
 シフは最後にピアノのふたを閉め、「アンコールはこれでおしまい」と合図し、聴衆はようやく異次元の世界から現実の世界へと引き戻された。
 以前、シフにインタビューをしたとき、静かな語り口なのにユーモアたっぷりで、話が止まらなくなったことを思い出した。まさに演奏と同様である。
 今日の公演評は、次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定である。
 写真は、プログラムの一部。

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posted by 伊熊よし子 at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシックを愛す

辻井伸行in大阪

 連載を続けている「家庭画報」の記事のため、18日に辻井伸行のザ・シンフォニーホールのリサイタルを聴きに行った。
 このホールは初めて訪れたが、ステージが割に低く、親密的な雰囲気を醸し出していた。
 この日は土曜日で14時開演だったためか、満席の状態。辻井さんのコンサートはほとんどがソールドアウトだが、ここでは補助席がズラリと出ていた。
 プログラムは1月にサントリーホールで聴いたものと同様で、前半がJ.S.バッハの「イタリア協奏曲」、モーツァルトのピアノ・ソナタ第17番、後半がベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」と第23番「熱情」。
 これらの作品は2月のヨーロッパ公演でも演奏されたためか、より熟成された演奏となり、自信に満ちあふれたものとなっていた。
 終演後、ホテルに移動し、次号の雑誌用のインタビューを行った。
 辻井さんは、いつ会っても、どんな質問に対しても、元気に語ってくれる。このときも、あちこちに話題が飛び火し、爆笑になってしまった話もあり、演奏後にもかかわらず、雄弁に話してくれた。
 これを踏まえて、「家庭画報」の編集担当のSさんと、次号の内容を練った。
 今日の写真は、インタビュー後の辻井さん。話している最中はにこやかだったが、「ブログ用の写真、いいですか?」と聞いたら、急に真顔になってしまった。
 私はインタビュアーなので、その最中にはなかなか写真を撮ることはできない。ここが難しいところだ。
 本当は、アーティストはしゃべっているときの表情が一番いいんだけどね。


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posted by 伊熊よし子 at 23:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシックを愛す
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