2017年01月16日
プラド美術館の三時間
アーティストにインタビューをするなかで、ある絵画や書籍や映画などが無性に見たくなるということがある。
昨年末、ピアニストの赤松林太郎にインタビューをしたとき、彼が「この本、よかったら読んでください」と渡してくれたのが、「虹のように」赤松林太郎著(道和書院)。
この本のなかで、「グラナドスの音楽を感じるには、この1冊を読めば十分だと思われる」と紹介しているのが、エウヘーニオ・ドールスの名著「プラド美術館の三時間」(神吉敬三訳、ちくま学芸文庫)。
たまたまこの1997年の第1版をもっていたので、本棚から引っ張り出し、改めてグラナドスを意識して読んでいる。
文庫本といっても、ドールスの文章はさらりと読めるものではないため、結構時間がかかる。だが、私はグラナドスが大好きなため、その作品を理解するためにじっくり読みたいと思っている。
プラド美術館は何度か訪れているが、最近はいついっても長蛇の列で、その人たちから「もう3時間も並んでいる」といわれると、あきらめざるを得ない。
この本を改めて時間をかけて読んだ暁には、グラナドスの音楽が自分のなかでどのように変容しているか、楽しみである。
今日の写真は、「プラド美術館の三時間」の表紙。このタイトルの付け方、本当にうまいよねえ。傑作だと思うワ。

昨年末、ピアニストの赤松林太郎にインタビューをしたとき、彼が「この本、よかったら読んでください」と渡してくれたのが、「虹のように」赤松林太郎著(道和書院)。
この本のなかで、「グラナドスの音楽を感じるには、この1冊を読めば十分だと思われる」と紹介しているのが、エウヘーニオ・ドールスの名著「プラド美術館の三時間」(神吉敬三訳、ちくま学芸文庫)。
たまたまこの1997年の第1版をもっていたので、本棚から引っ張り出し、改めてグラナドスを意識して読んでいる。
文庫本といっても、ドールスの文章はさらりと読めるものではないため、結構時間がかかる。だが、私はグラナドスが大好きなため、その作品を理解するためにじっくり読みたいと思っている。
プラド美術館は何度か訪れているが、最近はいついっても長蛇の列で、その人たちから「もう3時間も並んでいる」といわれると、あきらめざるを得ない。
この本を改めて時間をかけて読んだ暁には、グラナドスの音楽が自分のなかでどのように変容しているか、楽しみである。
今日の写真は、「プラド美術館の三時間」の表紙。このタイトルの付け方、本当にうまいよねえ。傑作だと思うワ。
