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ルノー・カピュソン

 ブルッフのヴァイオリン協奏曲は、ルノー・カピュソンが2015年5月にパリに新しくできたホール、フィルハーモニー・ド・パリで録音した新譜がリリースされている(ワーナー)。このライナーを担当したため、録音にはじっくり耳を傾けていたが、今日はレナード・スラットキン指揮フランス国立リヨン管弦楽団との共演により、ライヴを聴くことができた。
 ブルッフのヴァイオリン協奏曲は、カピュソンの美質が遺憾なく発揮されるコンチェルトである。技巧的なレチタティーヴォ、旋律美、重音奏法などが自然に表現され、極限まで感情を抑制しながらも作品への敬愛の念があふれ、音楽が濃密なものとなっている。
 ルノー・カピュソンは「特別な音」をもっているヴァイオリニストである。流麗で透明感のある情感豊かな美音は、即座にカピュソンの音とわかる強い個性に彩られている。
 2015年6月7日にはNHK交響楽団の定期公演に出演し、ラロの「スペイン交響曲」を演奏した。指揮は、近年注目を浴びているフランスのステファヌ・ドゥネーヴ。この作品は演奏される機会に恵まれているとはいえないが、5楽章構成の聴きごたえのある作品。スペイン色濃厚で、ハバネラやボレロのリズムが随所に顔をのぞかせ、甘美で民族色あふれる旋律が全編を覆っている。
 カピュソンは冒頭からオーケストラと完全に融合する妙技を披露し、躍動するリズム、豊かな歌心を備えた主題などを美しく自然に弾き進めた。その演奏からはスペインの歌が聴こえ、乾いた空気がただよい、聴き手を異国の地へといざなった。
 使用楽器は1737年製グァルネリ・デル・ジェス。50年間アイザック・スターンが使っていた楽器だが、すでに10年ほど使用しているため、カピュソンの音になってきたようだ。
 今日は、まさに楽器の特質を存分に生かした美しく濃密な響きを発揮、ブルッフのロマン的で情熱的な曲想をたっぷりと披露した。
 アンコールは「タイスの瞑想曲」。オーケストラをバックにこの名曲を官能的な音色でじっくりと聴かせた。
 今日のプログラムのメインは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」。スラットキンがラヴェル編曲版に少し手を加えた版で演奏し、緊密で劇的で壮大な絵巻物のような演奏を繰り広げた。
 アンコールはオッフェンバックの「ホフマンの舟歌」と、スラットキンの「ツイスト・カンカン」。フランスのオーケストラ特有の色彩感とかろやかなリズムを遺憾なく発揮した。
 ところが、楽屋でカピュソンのにこやかな表情の写真を撮ったのに、スマホがトラブルを起こし、写真に縦線のようなものが入ってしまった。
 もう、大ショック…。明日、修理にいこうと思っているけど、機械というのは突然こういうことになるから、困る。せっかくいい写真が撮れて、ルノーも「うん、いいねえ」といってくれたのに、残念無念。
 というわけで、今日は写真はありません(涙)。
タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシックを愛す

次なるアーティストレシピは?

 HPの「アーティストレシピ」のコンテンツは、多くの人が楽しみに読んでくれるようだ。
 いつも予告を入れているため、次はチョン・ミョンフンで、レシピも考え、お料理も済ませ、写真もすでに用意ができている。
 しかし、まだ記事を書く時間がない。
 こういうときは気ばかり焦って、コンサートに出かけたり、インタビューにいったりしていても、「ああ、早く記事をアップしなければ」と、内心おだやかではない。
 これは締め切りが決まっているわけではないから、そう焦らなくてもいいと思うのだが、やはり少しでも多くHPの更新をしたいと思うため、気持ちが前のめりになるのである。
 とはいえ、いまはかなりの来日ラッシュ。連日すばらしいアーティストのコンサートが目白押し。
 今日も紀尾井ホールでNanaのデビュー・リサイタルがあり、一生懸命弾いている姿を見て、「頑張って!」と心のなかでエールを送った。
 帰宅してからも原稿の締め切りが重なっているため、それらを片付け、ようやくブログに取りかかったという次第だ。
 でも、ウィンブルドンも気になるし、ユーロ2016のビデオはたまっているし…。
 どうして、こう時間がないんでしょうねえ。まあ、スポーツ観戦を飛ばせばいいだけの話なのだが(笑)。
 明日は、ミョンフンの記事が書けるかなと思ってノートを見たら、あらら、大変。締め切りが2本あって、ひとつはすごく時間のかかる原稿だ。
 夜は、サントリーホールにレナード・スラットキン指揮フランス国立リヨン管弦楽団の演奏を聴きにいく予定になっている。なんといっても、大好きなルノー・カピュソンがブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾くのだから、聴き逃すわけにはいかない。
 明日もまた、巻き巻きの時間で一日があっというまに過ぎそうだ。
 アーティストレシピは、週末にアップすることにしま?す。
タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 美味なるダイアリー

イングリット・ヘブラー

 夏になると、思い出すシーンがある。
 1990年7月、ザルツブルクでイングリット・ヘブラーと一緒にランチを食べたときのことが蘇ってくるのである。このときの様子は著書「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」に綴ったが、なぜか、私のなかでは夏とこのランチが結び付いている。
 もうひとつ、「ヘブラーと夏」で思い出すのは、1994年6月に東京で聴いたリサイタル。そのときの演奏会の様子を「ショパン」に書いたのだが、今日はそれを振り返ってみたいと思う(1994年8月号)。

強さと信念のモーツァルト

 ヘブラーのモーツァルトを聴くと、目の前にザルツブルクの風景が浮かんでくる、と以前なにかに書いたことがあるが、今回もやはり最初からこの感覚がおそってきて思いを新たにした。私が聴いた6月8日東京芸術劇場のプログラムは、ピアノ・ソナタ ヘ長調K.332からスタート。これは有名な「トルコ行進曲」の陰に隠れた作品といわれているものの、モーツァルト好きには聴き逃せない味わい深いソナタである。
 ヘブラーはそんな地味でありながらも含蓄の深い旋律を淡々と、しかも気品をもって弾き始めた。第1楽章の明るく素朴な主題はまるでザルツブルクの澄んだ夏空のように、また、緩徐楽章のこまやかな装飾音は真珠の粒がころがるように、そして奔放なフィナーレはザルヅァッハ川の滔々とした流れのように…。
 まだ会場が十分に温まっていないためか、ヘブラーのピアノは鳴りが悪いように聴こえたむきもあるようだが、けっして派手ではない、こうしたモーツァルトの内面を吐露するような作品から始めたところに、私は現在のヘブラーの心境を垣間見る思いがした。
「モーツァルトは、私の心に一番近い」と語るヘブラーは、モーツァルトの街ザルツブルクに住み、モーツァルトと同じ空気を吸い、モーツァルトを肌で感じて生きている。多彩なレパートリーを誇るピアニストが多いなか、ヘブラーはあくまでもモーツァルトにこだわり、モーツァルトをライフワークとし、モーツァルトに生命を賭けている。
 そんなピアニストが弾くモーツァルトが、人の心を打たないわけがない。ヘブラーはとても優雅で真摯で心温まる会話をしてくれる人だが、一本芯の通った強さも感じさせる。その強さはモーツァルトに賭ける信念のようなもので、それがそのまま音楽に現れている。
 ヘブラーは後半に幻想曲K.475とソナタK.457を演奏した。前半より乗って感じられたのは、作品のもつ劇的な要素ばかりではないだろう。彼女は、憂いと不安な表情を見せる旋律では、あたかも泣いているようなうたいまわしを見せ、情熱に駆られるアレグロでは毅然と立ち直って強く前進するような気丈な音楽を聴かせた。
 ああ、こういう微妙な喜怒哀楽の表情こそ、モーツァルトに欠かせないものなのだ。
 そんな感慨に浸っているところに、アンコールのショパンのノクターン第20番が飛び込んできた。いやあ、これは聴き手の気分をまるごと変えてしまうような意表を突く選曲で、ヘブラーの業師ぶりにビックリさせられましたね。ひたすら内省的な響きで勝負するのですから…。
 ただし、こういう曲はもう少し規模の小さなホールでじっくり聴きたいと思ったのは、ぜいたくというものだろうか。
 今回、ヘブラーのピアノから、ひとつのことを長く続けることの大切さを学んだような気がした。ヘブラーは今年デビュー40周年を迎える。みずみずしいモーツァルトを弾いてデビューした彼女は、いま余分なぜい肉をそぎ落したシンプルで清らかなモーツァルトに到達した。ここまでたどりつくのに40年という年月を要したわけだ。
 さて、今後はどんなモーツァルトを聴かせてくれるだろうか。再びあの美しい風景に出合えることを楽しみにしている。

 今日の写真は、その雑誌の一部。ヘブラーはこの6月20日に90歳のお誕生日を迎えた。もう来日公演は無理だろうか。もしも可能なら、またザルツブルクでランチをご一緒したいと密かな願いを抱いている。




タグ:"Yoshiko Ikuma"
posted by 伊熊よし子 at 22:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシックを愛す
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